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週刊現代で、「1970年代のドラマ」について解説

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1970年代テレビドラマ
「いまじゃ考えられない」驚きのシーン
日本のおふくろ、本物の刑事がいた

家族も友人もみんなが見ていた。学校や会社の休憩時間には、前夜のテレビドラマの話で大盛り上がり。'70年代はドラマが共通の話題であり、人生の教科書だった。あの名作たちをプレイバックする。

京塚昌子の割烹着姿

'70年代、テレビは最大の娯楽であり、ドラマ黄金期だった。カラーテレビが普及し、夜はお茶の間に家族が集合して、ドラマを楽しんでいた。

特に'70年代前半はホームドラマの全盛期。そこには「理想のおふくろ」が生き生きと描かれていた。その代表格が、『肝っ玉かあさん』である。

「おふくろの味、蕎麦の味~」

このフレーズが耳に残っている人は多いだろう。

戦後すぐに夫に先立たれ、女手一つで東京・原宿の蕎麦屋「大正庵」を切り盛りする五三子を演じたのは、京塚昌子である。ふくよかな身体に愛嬌のある笑顔。日本一、白い割烹着が似合った。

「京塚昌子さんは、いまでいうマツコ・デラックスのように恰幅よく存在感大。昭和の母親を見事に演じていました」(TVライター・桧山珠美氏)

ドラマ開始時、京塚は38歳で、息子役の山口崇は32歳。しかも実際の彼女は未婚だった。だが、堂々たる演技力で、2人の子どもを育てあげた母親役に違和感はまったくなかった。

親子のやりとりが、ドラマの見どころ。京塚が思春期の娘(沢田雅美)に、こう諭すシーンがある。

「若い人とね、歳取った人の考え方や気持ちが違うっていうのは当たり前なのよ。だけど、そのために言葉があんのよ。話し合いがあるのよ。思いやりの心があるんですよ」

京塚のセリフはじんわりと心に沁みた。

『肝っ玉かあさん』のプロデューサー・石井ふく子氏が同時期に手がけたのが、水前寺清子主演の『ありがとう』。

「水前寺が歌手だからか、劇中の公園のシーンなどで、いきなりミュージカルのように歌い出すような場面があり、不思議でした。今思えば斬新な演出ですね」(桧山氏)

このドラマで水前寺の母親役を演じたのは、山岡久乃。優しさと厳しさを併せ持つ名女優だが、彼女も生涯独身である。その演技は圧巻だ。

「山岡と水前寺の親子喧嘩のシーンがよくありました。夕食のときに喧嘩になって、母親がせっかく作った料理がのったお膳を水前寺がひっくり返してしまい、後悔して、仲直りしようとするパターンが繰り返されます。

その流れが自然で、二人は本当の親子なのではと思わされるほど。シリーズの後半は水前寺が石坂浩二演じる男性と結婚して、山岡が娘を送り出す。この展開に視聴者はしんみりとした気持ちになるんです」(テレビドラマ研究家・古崎康成氏)

浅田美代子が歌う

元テレビプロデューサーで上智大学文学部教授の碓井広義氏は、'70年代のホームドラマの名作として、東京の下町にある銭湯を舞台にした『時間ですよ』を挙げる。

「当時、銭湯はある種、共同体として地域の中心となっていた場所でした。だから、銭湯に集まる人間模様を見ていると楽しいんですよ。

このドラマでは女将さんである森光子さんが中心にいて、堺正章さんや樹木希林さん(当時の芸名は悠木千帆)が従業員として銭湯で働いている。

さらに、常連さんも集まり、さながら大きな家族なんです。その人間の温かさがテレビを通じて、こちらに伝わってきました。

当時、私は高校生でしたが、コントのコーナーのギャグで大笑いしましたね。ほかに印象的だったのは女湯のヌードシーン(笑)。それが目当てで見ていた少年たちもいたでしょう。とはいっても、まったくいやらしく描かれていません」

『90年代テレビドラマ講義』などの著者である文学者で立教大名誉教授の藤井淑禎氏もこう語る。

「銭湯のヌードシーンは衝撃的でしたが、それを堺正章さんの飄々とした演技や、森光子さんのどっしりとした女将さんぶりで和ませていた。お色気シーンだけを押すのではなく、それを覆うような名演技があったんです。

このドラマでは歌も良かった。堺さんの『街の灯り』、浅田美代子さんの『赤い風船』が挿入歌でした。銭湯の2階から繋がる物干し台で歌うシーンが作品を身近なものにしてくれました」

佐分利信しかできない演技

日本の家族をテーマにしたドラマで忘れてはいけないのが、向田邦子作品。なかでも『阿修羅のごとく』は傑作だった。

厳格に見えて、こっそり浮気をしている父親役の佐分利信の存在感がバツグン。佐分利が演じる父親は、妻(大路三千緒)が浮気に感づいていないと思い込んで、愛人が生んだ隠し子にプレゼントする予定のオモチャのミニカーを、自宅の居間に置いたままにする。

「でんでんむしむしかたつむり」

そう歌っていた妻は、そのミニカーを見て阿修羅の表情に豹変。ミニカーを襖に投げつけ、見事に突き刺さる。

「その後も襖の傷跡が随所に映し出される。ですが、それ以上には語られない。表面は穏やかな家族だが、内側では地殻変動が慎ましやかな男女にも起こっている。強烈なメッセージが放たれた名シーンでした」(前出・藤井氏)

父親は最初から最後まで変わらず堂々としているが、愛人に振られ、妻に先立たれる。

「ラストはどこか哀れを誘う。この演じ分けが絶妙で、佐分利信以外にこんな役はできないでしょうね」(前出・古崎氏)

作中で佐分利が何度もつぶやくセリフがある。

「……10年たったら、笑い話だ」

このフレーズに重みを持たせる演技は見事だ。

ドラマファンの間で評価が高いのが、『岸辺のアルバム』。平均視聴率は15%ほどだったが、衝撃的な内容はいまも色褪せない。

「セックスは月に何回くらいですか?」

国民意識調査を名乗るイタズラ電話をきっかけに、八千草薫が演じる貞淑な妻が、年下の青年(竹脇無我)とラブホテルに行くことになる。

夫(杉浦直樹)は、商社マンだが、会社は倒産寸前。長女(中田喜子)は、交際していたアメリカ人の友人に乱暴されたあげくに妊娠中絶。

東京・狛江市の建売住宅に住む平凡な家庭が徐々に壊れていく。最終回では、大雨による洪水で自宅が危険にさらされ、夫はこう叫ぶ。

「どんな思いでこの家を買ったと思っているんだ」

家が濁流に飲み込まれる寸前、長男(国広富之)は家族のアルバムだけをなんとか持ち出し、最後はわずかに再出発の希望の光が見える。

コラムニストの泉麻人氏はこう振り返る。

「台風の洪水によって自宅が流されるという実際に起こった出来事に、家族の静かな崩壊が重ね合わされています。

冒頭のタイトルバックの映像は、小田急線の和泉多摩川の鉄橋の空撮から始まっています。そこに、ジャニス・イアンの『ウィル・ユー・ダンス』という洒落た洋楽が重なる。映画的なオープニングが印象的でした。

山田太一作品の特徴は地理的なディテールがしっかりしているところ。八千草薫がラブホテルに入るシーンを当時の住宅地図で照らし合わせると、実際に渋谷の桜丘にあったホテルがそのままの名前で使われていました。モーレツ世代の杉浦直樹のセリフにも実にリアリティがありました」

裕次郎が「最後の名演」

'70年代は刑事ドラマが大ブームとなった時代でもある。なかでも『太陽にほえろ!』は斬新だった。同ドラマを担当した元日本テレビプロデューサー・岡田晋吉氏が語る。

「それまでの刑事ドラマは、なぜ犯人が犯罪を起こしたかに焦点を当てた作品が多かった。ですが、この作品は若い刑事が成長していく物語。まったく新しい考え方でした」

『太陽にほえろ!』と言えば、殉職シーンが名物。

「かあちゃん、あついなあ……」マカロニこと萩原健一が立ちション中にチンピラに刺されるシーンや、

「なんじゃこりゃあ!」とジーパンこと松田優作が落命するシーンの名セリフは完全なアドリブだからこそ、心に残った。

前出の岡田氏が名場面として挙げるのは、もはや伝説となっている、最終回の裕次郎の芝居。容疑者の妹から兄の居場所を聞き出すために自ら取り調べを行い、ボスは7分前後も独り語りする。

「裕次郎さんから『このシーンは自由にやりたい』という要望があったんです。僕らは裕次郎さんががんを患っていて、先が長くないことを知っていました。若い刑事が犯人に監禁されており、『部下の命は俺の命』『命ってのは、ほんとに尊いもんだよね』と、ボスは容疑者の妹に語りかけます。

でもどこか、自分自身がもっと生きたいと叫んでいるような言葉だった。役柄と現実の運命が重なる、本当に凄いセリフでした」

'70年代の刑事ドラマの名作は数知れず。個性的な刑事が次々と誕生した。ドラマに詳しいライターの田中稲氏が語る。

「『Gメン'75』のボスを演じた丹波哲郎はセリフが棒読みに聞こえるのですが、それがかえってニヒルに感じられましたね。

この人は生まれながらに格が違う、と思わせるのが丹波さんの魅力で、彼がいるからこそ独特の世界観ができあがったと思います。

最終回の丹波さんのセリフ、『誤認逮捕であれば潔く責任を取ろうじゃないか』は当たり前なのですが、彼が言うと名言に聞こえました。

『非情のライセンス』の天知茂は、ちょっと鼻にかかった低い声が本当に素晴らしく、予告編の語りを聴くだけでゾクゾクしました。眉間の皺、そしてパリッとしたスーツ、ぴっちり整えられた髪。劇画から飛び出したようなスタイルでしたね。

その一方、作中では戦争の傷の深さを感じさせるエピソードが多く、決して絵空事ではない現実感がありました。

『特捜最前線』で、特命課の神代課長を演じるのが、ダンディな二谷英明。『俺たちが相手にしているのは人間なんだ。汚いことも許されないことも、人間だからできるんだ』と新米刑事を諭す一方で、部下に頻繁に言い返されたりする親しみやすさもあった。

それが、石原裕次郎や丹波哲郎と違うところで、刑事同士の人間模様がドラマの生々しさにつながっていました」

当時の若者たちがファッションをこぞって真似していたドラマが、『傷だらけの天使』だ。主演の萩原健一は探偵事務所の調査員。オープニングの場面が印象的だ。

「ショーケンが新聞紙でエプロンを作って、ノザキのコンビーフを丸ごとかじりつくタイトルバックは多くの方が覚えているでしょう。

作中では、ショーケンや水谷豊が『BIGI』の服を着ていてオシャレだった。高校生の僕には高価で手が出なかったけれど、ボタンダウンのボタンをわざわざ外して『BIGI』っぽくエリを広げて着たりしていました。

井上堯之バンドの曲もかっこよくて、『太陽にほえろ!』とカップリングになったサントラ盤を買いましたよ」(前出・泉氏)

同作の脚本を担当していた柏原寛司氏が語る。

「名セリフを強いて挙げれば、舎弟の亨を演じた水谷豊さんが、萩原さんにくっついていくときに叫ぶ『兄貴ぃ~!』。『兄貴のブギ』というレコードが出るほど、流行りました。

名場面はそして、なんと言っても最終回。ペントハウスの前の屋上テラスに、ドラム缶の風呂があり、そこにショーケンが病気で死んだ亨を週刊誌の裸のグラビアと一緒に入れて弔う。

そして、そのまま大八車に積んで夢の島に捨てに行く。医者を呼ぶわけでも葬式をあげるわけでもなく捨てて逃げる。そんな社会を斜に構えて見ているところが最高でした」

岸田森が涙を誘う

このドラマでは、探偵事務所の長、岸田今日子やナンバー2の岸田森も忘れがたい。二人は邪悪な大人たちの見本を見事に演じた。

「作中でショーケンは偉そうなことを言っていても、岸田今日子の前になると何も言えなくなってしまう。彼女はそうさせる威厳をうまく表現していました」(前出・岡田氏)

「岸田森のインパクトは絶大でした。最後には、服従し慕っていた岸田今日子に捨てられる。涙を誘うシーンだったのを覚えています」(ドラマの歴史に詳しいライター・長月猛夫氏)

'70年代に学生時代を過ごした人なら、誰もが青春ドラマの洗礼を受けた。前出の泉氏が言う。

「なんとなく大学に行ってはいたけれど、ときには雀荘に行って時間を潰す。学生運動が衰退した'70年代中頃のノンポリ学生ムードが、『俺たちの旅』には上手く描かれていました。

主な登場人物は中村雅俊、秋野太作、田中健の3人組と女子学生役だった金沢碧。この頃は『モラトリアム』という言葉が流行していた時期。

中村雅俊が演じるカースケは就職も恋愛もなかなか答えを出せない。やさしいモラトリアム世代の若者を巧みに演じていました」

『前略おふくろ様』も若者たちにとってバイブルとも言える作品だった。

ショーケンが演じる主人公・三郎は、山形から集団就職で上京し、深川の料亭で働く。彼を中心に描かれる青春ドラマだ。

「上京する若者が増えていた時代、自分と重ね合わせていた視聴者が多かった。見ていて印象的だったのは、三郎の師匠である梅宮辰夫さんとの関係ですね。男が師匠を持つことの幸せが伝わってくるんですよ。

三郎が女将さんから口止めされていても、師匠に伝えたいことがあって、ポロッと言ってしまう。そうしたら、梅宮さんが『女将さんから言うなと言われて、お前は「はい」と答えたんだよな。

男が一度言わないと約束したら、たとえ相手が俺であっても、お前はそれを言っちゃいけない』って怒る。そのときのショーケンの顔が、いい。男としての生き方を教えてくれたドラマです」(前出・碓井氏)

前出の藤井氏も同作についてこう語る。

「海ちゃん役の桃井かおりさんが方言でコーヒーを注文するシーンがあり、『コーシー』と言うんですね。山形弁を使った『語り』のシーンも圧倒的だった。

やはり方言でないと、上京してきた人の人間性を表現できない。そういう考えが根底にあったのだと思います」

最終回、三郎は恋心をいだいていた同じ店で働く仲居・かすみ(坂口良子)と結ばれず、「前略おふくろ様。やっぱり俺は一緒にはなれません」と独白する。これに視聴者は涙した。

美しい松坂慶子のバニー姿

最後に'70年代のドラマヒロインを一気に振り返ろう。まずは、岡崎友紀。『おくさまは18歳』は最高視聴率が30%を超えた大ヒット作だ。

幼妻は岡崎演じる女子高生、夫は妻が通う高校の教師(石立鉄男)。だが、二人は夫婦であることを周囲には秘密にしている。

「ようし、人から後ろ指をさされないような、いい奥さんになってやるんだから」

そう腕まくりする岡崎が可愛らしかった。

『花は花よめ』は隠れた名作。とにかく主演の吉永小百合が可憐なのだ。

「売れっ子芸者から生花屋に嫁いでいきなり3児の母になる。当時まだ20代半ばの吉永小百合がフレッシュなんです。児玉清とのカップルがなんとも洒落ていました」(映画評論家・樋口尚文氏)

『俺たちは天使だ!』のヒロイン、多岐川裕美に中高生は夢中になった。

「探偵事務所を舞台に、主演の沖雅也を中心にした男たちの群れに、日本人離れした美貌と気品を持つ多岐川がマッチしていました。男どもを手玉に取るクールな態度に、当時の若者は憧れましたね」(前出・長月氏)

五木寛之氏原作ドラマ『水中花』では、松坂慶子が世の男性を魅了した。

「昼は速記者、夜はコーラスガール。黒網タイツのバニーガール姿の松坂は知性と色気を兼ね備えていました。その姿で『愛の水中花』を歌うシーンは最高に美しかった」(前出・桧山氏)

昭和の名ヒロイン、山口百恵を忘れるわけにはいかない。代表作「赤いシリーズ」の計10作品のなかでも、『赤い疑惑』が出世作である。

山口百恵演じる17歳の幸子は白血病を患うが、医学生・光夫(三浦友和)に励まされ、愛し合う。ところが、光夫は異母兄だった。死を悟った幸子は、光夫とともにヨットに乗り、沖へ出る。そして幸子は光夫に抱かれながら、落命する。

「私、何に生まれ変わるかな?花だったら何がいいかしら。そうだ、光夫さんの好きなわすれな草ね」

泣くなというほうが無理だ。ページ末のリストを見返すだけで、'70年代の思い出が蘇える。

(現代ビジネス 2019.03.24)




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