1972年、
家族みんなで見ていたテレビ番組を懐かしむ
遠い昔の家族団欒
家のテレビはほぼつけっぱなし。ホームドラマから学園モノ、時代劇まで最高視聴率20%以上を獲得した連ドラは25本以上もあった。作る側にとっても、見る側にとっても幸福な時代だったに違いない。
10時間の生中継番組1972年こそ、日本人がテレビをもっとも見た年かもしれない。
テレビの普及率が初めて90%を超えた'65年以降で、『NHK紅白歌合戦』の視聴率が一番高かったのが、この年である。なんと80.6%。
紅組のトップバッターは初出場を果たした天地真理『ひとりじゃないの』。同年に本土に復帰した沖縄出身の南沙織は、キャンディーズをバックダンサーにしたがえて、『純潔』を熱唱した。
さらに直前に生放送されて46.5%を記録した『輝く!日本レコード大賞』で大賞を受賞した名曲『喝采』をちあきなおみが歌いあげる。
一方、白組は野口五郎、沢田研二らが初出場。ゴールドに輝くジャケット姿で、『許されない愛』を歌う24歳のスリムなジュリーは眩しかった。
大トリは6年連続で昭和の歌姫、美空ひばり。『ある女の詩』をしみじみと聞かせた。ひばりが、特別出演('79年)以外で紅白に出場するのは、これが最後となった。
この年に放送されていたNHK朝ドラも今では考えられない高視聴率だった。4月に最終回を迎えた『繭子ひとり』(山口果林主演)が最高55.2%、その後番組である『藍より青く』(真木洋子主演)も、53.3%だった。期間平均視聴率は歴代の朝ドラのなかで、『おしん』に次いで、2位と3位だ。
元NHK放送文化研究所主任研究員で、次世代メディア研究所代表の鈴木祐司氏はこう解説する。
「この時代は、瞬間最高視聴率で50%を超えた番組も少なくありません。しかし'80年代以降はそのかぎりではない。なぜかと言えば、'70年代にはまだリモコンがなかったから。一回つけたチャンネルはなかなか変えなかった。
そのため、人気番組とそのほかの番組に二極化した。だから、『お化け番組』が誕生したんです」
日本史上でもっとも総世帯視聴率(調査対象の全世帯のなかでテレビをつけていた世帯の割合)が、高かった日は、昭和天皇の「大喪の礼」が行われた'89年2月24日、そして'72年の2月28日である。
この日は、『連合赤軍・あさま山荘事件』において、機動隊が突入した日だ。NHKがこの様子を生中継した報道特番は、午前9時40分から10時間40分という長時間におよんだが、平均視聴率は50.8%。
前出の鈴木氏が言う。
「瞬間最高視聴率は89.7%。長いテレビの歴史のなかで、もっとも刺激の強い番組だったと言えると思います。
私は中学1年生でした。その日は始業時間になっても、教師が教室に来ない。職員室に様子を見にいくと、先生たちは職員室にこもってテレビの前に釘付け。結果、その日は授業をやらなかったんです。
普段は厳格な教師たちが『いけー!』と声を出して興奮していた。子供ながらにも世紀の大事件なんだと思ったことをいまも覚えています」
元テレビプロデューサーで上智大学教授の碓井広義氏もこう思い返す。
「何かが起きるかもしれないから、ずっと見続けているというのは初めてのテレビ体験でした。同時に、生放送の力を実感させられました。自分も現場にいるような感覚があったんです。
忘れられないのが、あの鉄球のシーン。映画を見ているような不思議な感覚に襲われました。今思えば、全てをありのままに伝えてしまう怖さというものも孕んでいたと思います」
実社会では陰惨な事件が発生した一方で、明るいホームドラマが全盛期を迎える。この年はテレビドラマ史に残る大記録が打ち立てられた。
12月21日に放送された水前寺清子主演のドラマ『ありがとう』(第2シリーズ)が、56.3%を叩き出したのだ。この数字は民放ドラマの最高記録であり、今後も抜かれることはないだろう。
水前寺清子と山岡久乃に涙『ありがとう』は全4シリーズで、婦人警官、魚屋、カレー屋と舞台や設定を変えるが、この第2シリーズの看護師編がなかでも人気が高い。
ドラマ評論家の黒田昭彦氏が解説する。
「石坂浩二演じる小児科医がとうとう水前寺にプロポーズする回が最高視聴率でした。このドラマで楽しみだったのは、水前寺と母親役の山岡久乃のかけあい。二人は毎回、本音で口ゲンカをするけど、すぐに仲直り。
嫁入りして実家を出るときには、『年取ったらまた一緒に住もうね』『当てにしてないよ』とお互いを思いやり、心にしみました」
このほかにも、'72年はホームドラマのヒットが続いた。森光子主演の名作『時間ですよ』、京塚昌子主演の『肝っ玉かあさん』、吉永小百合主演の『花は花よめ』、子役・宮脇健が主演するケンちゃんシリーズの『すし屋のケンちゃん』と『ケーキ屋ケンちゃん』が高視聴率を獲得した。
「向田邦子が脚本を書いた『新・だいこんの花』(テレ朝系)も良かったですね。永山誠(竹脇無我)がなかなか結婚できないのは、父親(森繁久彌)の偏屈さも大きな原因でした。
竹脇はプロポーズした恋人に『お父さんと一緒にやっていく自信がない』と言われ、父親と自分のどちらを選ぶのかと迫られる。
一方の森繁は『自分が身を引くから結婚してやってくれ』と息子の恋人に伝え、事態がややこしくなっていく。ドタバタ劇の中にも家族の機微がきめ細かく描かれました。
それ以前のホームドラマは大家族モノが主流でしたが、『ありがとう』は母娘、『だいこんの花』は父と息子と、一対一の親子関係が軸なのが新しかった」(黒田氏)
前出の碓井氏は、同年のホームドラマでは、『パパと呼ばないで』(日テレ系)が印象深いという。
「独身男を演じる石立鉄男が、亡くなった姉の子である姪(杉田かおる)を預かるという当時としては異色作です。この作品で描かれたのはカッコつきの『家族』。それが本当の家族のようになっていく。
特に、子役のパワーが印象的でした。この作品を見ていた人からしたら、杉田かおるはいつまでもチー坊。それだけ彼女の存在感は抜群でしたね」
同年7月21日からは、伝説のドラマ『太陽にほえろ!』がスタートする。
「『七人の刑事』などそれまでの刑事ドラマは陰惨な事件に立ち向かうシリアスな話が多かった。
しかし、『太陽にほえろ!』はそんなイメージを一変させました。若手の刑事ががむしゃらに頑張る、青春アクション刑事ドラマという新たなジャンルとも言えるかもしれません。
若手刑事の人間味がしっかり描かれる一方で、石原裕次郎さんが若手を支える。だから、幅広い世代が楽しむことができたんです」(前出・碓井氏)
元日本テレビプロデューサーで、江戸川大学教授の内藤和明氏も魅力をこう語る。
「なによりすごかったのは音楽と作品の調和。例えば、オープニングのイントロ明けで太陽が出てくるシーン。作中でも、シーンに合わせて絶妙な音楽が流れる。刑事が走っているときに流れていた音楽も耳にこびりついています。
映像ではなく音による刷り込みが強くて衝撃的でした。このドラマの陰の立て役者は、音楽を担当した井上堯之さんだったと思いますね」
早瀬久美がかわいかった!'72年には青春ドラマの傑作もたくさん生まれている。なかでも、代表格は、村野武範が主役に大抜擢された『飛び出せ!青春』だろう。村野演じる教師・河野武は「レッツビギン」を合い言葉に奮闘する。映画監督の河崎実氏はこう語る。
「普通、学園ドラマでは先生が、いきなり生徒を殴ることはありません。しかし河野は第1話でそのタブーを犯すんですよ。『教師だから多少ナメたことをしてもいいと思ったら、大間違いだ。俺にナメたことをするやつは、遠慮なくブン殴る』って。
これが何とも痛快でしたね。このドラマでは生徒と同じ目線で教師がハチャメチャな行動を展開する。
この後に『3年B組金八先生』('79年~)が流行りますが、60歳前後の僕らの世代にとってのカリスマは村野武範なんです」
同年2月に最終回が放送された森田健作の『おれは男だ!』もまた名作。テレビドラマに詳しい社会学者・太田省一氏が語る。
「多くの男性がマドンナ役の早瀬久美のファンになりました。今見ると、高校生なのにメイクがバッチリですが(笑)。
早瀬さんは女子生徒のリーダー役で、森田さんと対立するのだけど、実は彼のことが好き。そんな青春ドラマの定番がきちっと描かれていました。
もう一人のマドンナ役が、剣道部の主将役を演じた小川ひろみさん。主人公をめぐって、2人のマドンナが恋のさや当てを繰り広げる。当時の小中学生は、その三角関係にハラハラしました」
当時の学園青春ドラマの2大ヒロインも忘れてはいけない。岡崎友紀の『なんたって18歳!』や『ママはライバル』(TBS系)、吉沢京子の『レモンの天使』(フジ系)も10代の間でヒットした。
そして、'72年は時代劇の当たり年でもある。
「'71年に大映が倒産したこともあり、映画界で時代劇を制作していたスタッフがテレビの世界で仕事をするようになりました。だから、この年の時代劇にはクオリティの高い作品が多いんです」
そう語るのは、コラムニストのペリー荻野氏。『水戸黄門』や『大岡越前』といった人気シリーズが続く一方で、中村敦夫の『木枯し紋次郎』、三船敏郎の『荒野の素浪人』、林与一、緒形拳らの『必殺仕掛人』(テレ朝系)の放送が同年に開始された。
「『木枯し紋次郎』には、日本的な集団主義から距離を置いた無宿渡世人への憧れがどこか感じられるんです。
組織に縛られない象徴が紋次郎。中村敦夫さんは長身のインテリで、陰のある役がよく似合いました。
それでいて、時代劇に慣れていないこともあり、文字通り体当たりの演技。田んぼの中でドロドロになった殺陣は画期的でしたね。当時のフィルムの映像は端整かつ緊迫感があって、今見直しても格好良いです」(前出・荻野氏)
日本大学名誉教授でドラマ評論家のこうたきてつや氏は、平賀源内を主人公にした『天下御免』(山口崇主演)を推す。
「『天下御免』には、時代を風刺する痛快さがありました。早坂暁さんが描く主人公は、どんな悲惨なことがあっても飄々としていて面白い。そういう人間像を描きながら、今でいう公害などの社会問題や権力の腐敗を取り上げた斬新な作品でした。
ほかに'72年でいえば山本周五郎が原作の『赤ひげ』(NHK)は、倉本聰さんの人間描写の転換点になるような作品でした。主演の小林桂樹が演じる医師がとても偏屈なんです。倉本さんはこの作品を契機に、欠点を描かないと魅力的な人間にならないといった作劇を身につけていきます。
時代劇ではありませんが、今の50代が見ていたNHKの『少年ドラマシリーズ』も挙げたい。
第1作がSFドラマ『タイム・トラベラー』。『時をかける少女』の最初の映像化作品です。少年と少女の別れがベタベタせずにドライに描かれて、むしろ良かった。特定の世代は、このドラマに強い思い入れがあると思います」
百恵が『スタ誕』で合格バラエティ番組に関していえば、'69年から始まったザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』がお化け番組。
また'60年代半ばからの寄席演芸番組ブームも続いていた。『笑点』を筆頭に、『大正テレビ寄席』、『土曜ひる席』、『日曜演芸会』(テレ朝系)、『やじうま寄席』(日テレ系)が週末の午後に乱立し、噺家と漫才師が出ずっぱり。しかも、いずれも2ケタの視聴率をキープしていた。
平日の夕方は10月から始まった『ぎんざNOW!』(TBS系)が席巻した。出演は、せんだみつお、キャシー中島、日系ブラジル人の双子の美人姉妹デュオ『ジェネミス』ら。
「せんだ偉い!せんだ偉い!」「駒澤、中ゥー退」などのせんだのギャグが今も頭から離れない人も多いだろう。せんだ本人は当時をこう振り返る。
「夕方は視聴率が取れないというのが定説でしたが、あれよあれよというまに13%も取ってしまった。ウケた理由は少しヤンチャな高校生が、自分たちも番組に参加している疑似体験を味わえたからだと思う。
後にヒットする『夕やけニャンニャン』('85年~)など、ラジオ的な視聴者参加型番組の礎になった。
実際には、その前に流行っていた大阪ローカルの『ヤングおー!おー!』のパクリだと思うんですが(笑)。
キャロルやダウン・タウン・ブギウギ・バンドなど、出演者は人気者たちだらけ。彼らを司会の僕は、アゴで使ってね。深夜以外はタブーだった『セックス』を扱い、『性の告白書』というお悩み相談コーナーを作ったこともあった。
若者が共感する番組だったんでしょう。僕にはかけがえのない番組です。ギャラは安かったけど(笑)」
前年10月から始まったオーディション番組『スター誕生!』(日テレ系)で、桜田淳子と山口百恵が合格したのも'72年だった。
「楽しみだったのが、合格した女の子たちがどのように躍進するのかを予測すること。'72年にデビューした森昌子さんはあまり売れないかも、と思っていましたが、誰もが知る歌手になった(笑)。中森明菜さんもこの番組で発掘されています。
国民的な名曲が不在な今こそ、『スター誕生!』がまた復活したら面白いでしょうね。新たな音楽文化が花開くかもしれませんよ」(前出・内藤氏)
特撮ヒーローブームもこの年の特徴だった。『仮面ライダー』や『帰ってきたウルトラマン』はもちろんのこと、『ミラーマン』、『スペクトルマン』『怪傑ライオン丸』(いずれもフジ系)や『レインボーマン』(テレ朝系)といった異色のヒーローたちにも少年たちは心を躍らせた。いずれも最高視聴率は20%以上だ。
「『レインボーマン』は戦時中の恨みで日本の破滅を目的とする『死ね死ね団』が敵。偽1万円札を大量にばらまくことによりハイパーインフレを起こし、日本を混乱に陥れる陰謀にはビックリです」(前出・黒田氏)
テレビが社会を呑み込んだ前述した「あさま山荘事件」も含めて、'72年は戦後史の転換点となる大ニュースがいくつもあった。それゆえテレビは娯楽だけでなく、大きな役割も果たすようになった。
「私はテレビが社会を呑み込んだ年だと考えています。あさま山荘事件をはじめ、『日航機ハイジャック事件』、『横井庄一さん帰国』、『田中角栄首相の訪中』など、報道特番が高い視聴率を獲得した。
テレビを見れば、国際情勢も含めて『世の中が動いている』感覚になりました。特に事件の生中継はテレビの独壇場です。
有名なエピソードとしては、この年の6月に佐藤栄作首相が新聞記者を嫌がり、テレビカメラだけを相手に記者会見を開いて、退陣を表明しました」(前出・太田氏)
'72年にNHKの夜7時のニュースが高視聴率をとった日を上の表にまとめた。見れば、あの日の映像が頭で再生される。新聞でもラジオでもない、テレビが日本人にとって特別な存在になった。それが'72年だった。
(週刊現代 2019年3月23日号)