<碓井広義の放送時評>
朝ドラ「エール」の閉幕
画期的な戦争描写も
先週末、NHKの連続テレビ小説「エール」が終了した。新型コロナウイルスの影響による放送休止もあったが、最終回で登場人物たちが古関裕而のヒット曲をNHKホールで歌う、異色の演出で幕を閉じた。
このドラマ、全体としては誰もが楽しく見ることのできる良質な朝ドラになっていた。古関がモデルの作曲家・古山裕一(窪田正孝)とオペラ歌手でもあった妻・音(二階堂ふみ)の「夫婦物語」であり、二人を軸とした昭和の「音楽物語」でもあるという複層構造が功を奏したのだ。
しかし開始前、気になることがあった。古関は大学の応援歌から「長崎の鐘」まで、多くの人に愛される曲を作り続けた。まさに昭和を代表する作曲家の一人である。だが一方で戦時中は「軍歌の巨匠」でもあった。「勝ってくるぞと勇ましく」の歌い出しで知られる、「露営の歌」などその一例だ。
軍歌であれ戦時歌謡であれ、レコード会社の専属作曲家としての「業務」だったことは事実だが、古関の中に葛藤はあったのか、なかったのか。果たしてドラマはこの時代の古関を、いや古山裕一を描けるのか、それとも避けて通るのか、注目していた。
結果的に、予想を超える戦争描写に驚かされた。裕一は慰問でビルマ(現在のミャンマー)に赴く。悪名高い「インパール作戦」が進行する中、同行した作家や画家は前線へと向い、1カ月後にようやく戻ってきた。そして裕一に告げる。「前線は地獄です。すべて無謀で無駄な死。まさに犬死にです」と。こんなセリフを朝ドラで聞いたことがない。
ついに裕一も前線に出ていくが、そこで銃撃戦に巻き込まれる。次々と倒れていく日本兵。しかも、ようやく会えた恩師の藤堂(森山直太朗)が目の前で被弾し、亡くなってしまう。これまで何本もの朝ドラが戦争の時代を扱ってきた。だが、登場人物が出征することはあっても、悲惨な戦闘シーンをここまで直接的に見せることはなかった。それだけでも「エール」は画期的な朝ドラだったのだ。
敗戦後、裕一は自分の音楽が戦争に加担する形になったことに悩み、しばらく曲が書けなくなる。制作陣が戦争と裕一の苦悩を正面から捉えたおかげで、見る側も音楽の価値を再認識することができた。さらに期せずしてではあるが、コロナ禍に見舞われたこの国と、そこに暮らす私たちへの「エール(応援、励まし)」という意味も加わり、長く記憶に残りそうな朝ドラの秀作となった。
(北海道新聞 2020.12.05)