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祝!ファイターズ優勝!!
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プロバスケ「Bリーグ」への期待
日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。
今週は、「Bリーグ開幕戦中継」(フジテレビ系)について書きました。
「Bリーグ開幕戦中継」は
TVの強みを発揮できるコンテンツ
それは歴史的な一戦であり、画期的なテレビ中継だった。22日夜の男子バスケットボール「Bリーグ」の開幕戦である。プロ野球にセ・パ両リーグ、サッカーにJリーグがあるが、Bリーグはそのバスケット版。既存の2つのリーグが統合され、新たに船出したのだ。
実はバスケットボールの競技人口は野球やサッカーより多い。しかし、国内プロバスケの認知度は低く、見るスポーツとしての存在感も希薄だ。
またアニメ化された井上雄彦の人気漫画「スラムダンク」の功績は大きいが、バスケ全体の盛り上がりには至っていない。世のバスケファンは、本場米国のNBAの試合を、BS放送などで楽しんできた。今回、ようやく日本のプロバスケも、地上波で生中継されるようになったというわけだ。
フジテレビは、これまでずっとバレーボールをもり立ててきた。スポーツのもう一つの柱としてBリーグを支援することは、フジと視聴者、双方にとって価値のある取り組みになるはずだ。
ただし、フジは中継の中で会場に招いた広瀬アリス・すず姉妹の姿を頻繁に映していたが、それはサービスの方向が違う。そんな時間があったら、シュートシーンのリプレーをもっと増やすべきだ。
見応えのあるスポーツ中継は、テレビの強みを発揮できる重要なコンテンツ。Bリーグを大切に育てていって欲しい。
(日刊ゲンダイ 2016.09.28)
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日テレ「スッキリ!!」 で、“結婚会見”について解説
29日(木)に放送された日テレ「スッキリ!!」。
「言われてみればキニナルジャーナル」のコーナーで、電話出演し、解説しました。
テーマは、「結婚会見、初めて開いた人は誰?」。
結論としては、1950(昭和25)年、孝宮和子内親王が鷹司平通氏に嫁ぐことになり、結婚会見が行れました。
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【気まぐれ写真館】 札幌秋天 2016.09.30
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国井美佐アナのHTB「イチオシ!」MC最終日 2016.09.30
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HTB「イチオシ!モーニング」 2016.10.01
北見黄(きたみき)という貴重な玉ねぎを使って・・・
北見黄カレー(玉ねぎの中にはピラフ)
パンの上には北見黄ジャム
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【気まぐれ写真館】 いつもの北海道千歳市「柳ばし」 2016.10.01
特製ぶり刺身定食(メニューにはありません)
白老沖でとれたぷりぷりのぶり
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【気まぐれ写真館】 coffee break
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30周年を迎えた「世界ふしぎ発見!」~長く支持され続ける理由
北海道新聞に連載している「碓井広義の放送時評」。
今回は、30周年を迎えた「世界ふしぎ発見!」について書きました。
「世界ふしぎ発見!」30周年
「歴史と遊ぶ」止まらぬ進化
土曜夜の「世界ふしぎ発見!」(TBS系)が30周年を迎えた。変化も浮き沈みも激しいテレビの世界で、長期にわたって視聴者から支持され続ける理由(わけ)を探ってみたい。
放送開始は、バブル景気の時代だった1986年。テレビ界では、「楽しくなければテレビじゃない」を標榜(ひょうぼう)するフジテレビの番組が人気を得ていた。
それに対し、「楽しいだけがテレビじゃない」の精神で登場してきたのがこの番組だ。目指していたのは、新たな知的エンターテインメントであり、「面白くてタメになる番組」だった。
30年間、一貫して番組作りを行っているのが、制作会社のテレビマンユニオンだ。企画したのは、現在もゼネラルプロデューサーを務める重延浩(現・取締役会長。樺太生まれ、札幌育ち。75歳)。
重延は番組コンセプトとして「歴史と遊ぶ」を掲げ、企画書の冒頭には「あなたもインディ・ジョーンズになってみませんか」と書いた。だから、番組で歴史の現場に立つのはレポーターではなく、ミステリーハンターなのである。
海外取材では事前に徹底したリサーチ(調査)が行われる。テレビ界に「リサーチャー」という新しい“専門職”を誕生させたのも、この番組だ。
また世界各地に飛んだディレクターたちも、リサーチャーから得た情報だけでなく、「現地の人も知らないような」ネタを見つけようとする。その上で視聴者にどう見せるか、伝えるかを必死で考えるのだ。
さらに、この番組が単なるクイズ番組ではなく、クイズ&トークというスタイルをとったことも新鮮だった。司会者(草野仁)と出演者(黒柳徹子たち)は、「親しき仲にも礼儀あり」の距離を保ちつつ、ユーモアと緊張感に満ちたスタジオを展開している。
かつて「笑っていいとも!」「オレたちひょうきん族」という放送史に残る番組を手がけた、フジテレビの横澤彪プロデューサー(2011年没)が、亡くなる3ヶ月前、重延にこう言った。「君、『ふしぎ発見!』が今、番組の中で一番新しいよ。いつも視聴者に気づかれないように変わっている」。
番組が長く続くと、知らぬ間に作り手自身が飽きてきたり、成功体験にあぐらをかいたりすることがある。その時点で番組の進化は止まり、視聴者はそれを見逃さない。
しかし、この番組の作り手たちは常に好奇心に満ちた目で歴史と人間に向き合っている。ぜひこれからも「テレビに何ができるか」を探りながら、視聴者と共に歴史と遊び続けて欲しい。
(北海道新聞 2016年10月03日)
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書評した本: 山室寛之 『背番号なし 戦闘帽の野球』ほか
「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。
山室寛之
『背番号なし 戦闘帽の野球
~戦時下の日本野球史1936-1946』
ベースボール・マガジン社 2484円
今年の8月7日、マイアミ・マーリンズのイチローが通算3000本安打を達成した。メジャーリーグで30人目という快挙だった。イチローがアメリカに渡ったのは15年前。現在はイチローの他にも、ニューヨーク・ヤンキースの田中将大、テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有などメジャーで活躍する日本人選手が何人もいる。衛星中継の画面で彼らの姿を眺めるのも日常の風景だ。
しかし、元・読売新聞社会部長で巨人軍球団代表も務めた山室寛之の新著『背番号なし 戦闘帽の野球』を読むと、アメリカで日本人がプレイするどころか、日本野球そのものが消滅の危機に瀕した時代があったことがわかる。
昭和16(1941)年の真珠湾攻撃によって、野球は「敵国のスポーツ」となった。2年後、文部省は「戦時にふさわしい学校体育」を選定し、野球とテニスを除外する。夏の甲子園大会は朝日新聞の手を離れて文部省の管轄になり、六大学野球の春リーグも「戦時にあわず」と中止。映画にもなった「最後の早慶戦」が行われたのはこの年の秋だ。
さらに陸軍から日本野球連盟に、「野球用語をすべて日本語にせよ」という驚くべき通達が届く。その結果、ストライクは「よし、一本」、アウトは「ひけ」、ファウルが「だめ」と言い換えられる。だが、これらはまだマシなほうで、走軽打(スクイズ)、迎戦組(ホームチーム)、圏外区域(ファウルグラウンド)など奇妙な漢字表記の用語が並んだ。
国と軍の締めつけが強化され、選手たちにも続々と召集令状が届く中、それでも野球を守ろうとする人たちの見えない努力が続く。著者は関係者が残した貴重な日記、取材で得た証言、膨大な資料などを駆使して、この困難な時代の野球史を丁寧に可視化していく。本書を支えるのは、野球が、「日本精神」や「国防力」などと重ねて語られる時代が二度と来ないことへの切実な願いだ。
山口敬之 『総理』
幻冬舎 1728円
最高権力者の実像を伝えるジャーナリズムか。それとも巧妙なプロパガンダか。元TBS政治記者による話題の書だ。第一次安倍内閣の崩壊。5年後の総裁選。そして経済と安全保障の政権運営も、著者しか語り得ない”事実”がここにある。判断するのは読者自身だ。
鈴木義昭
『「世界のクロサワ」をプロデュースした男
本木荘二郎』
山川出版社 1944円
『生きる』『七人の侍』など数々の黒澤明監督作品でプロデューサーを務めたのが本木荘二郎だ。しかし、黒澤自身が語りたがらなかったこともあり、日本映画の”正史”から置き去りにされてきた。本書は初の本格評伝であり、毀誉褒貶の人間像に迫った労作だ。
李 相哲
『金正日秘録
~なぜ金正恩体制は崩壊しないのか』
産経新聞出版 1836円
今、なぜ金正日なのか。東アジア情勢に通じる著者は、北朝鮮の「あらゆる事象に金正日の影が投影されている」と言う。特に金正日の特徴である優越感と劣等感、自己顕示欲、誇大妄想癖、経済と核を追う姿は完全に正恩と重なる。今後、北朝鮮を探る重要文献の一つだ。
(週刊新潮 2016.09.29号)
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長谷川博己&尾野真千子の“夫婦”が秀逸な「夏目漱石の妻」
日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。
今週は、NHK土曜ドラマ「夏目漱石の妻」について書きました。
NHK土曜ドラマ「夏目漱石の妻」
メリハリのある芝居で素顔の文豪を造形
夏目漱石が亡くなったのは1916(大正5)年のこと。今年は没後100年となる。NHK土曜ドラマ「夏目漱石の妻」は、まさに妻・鏡子を軸にして描く夫婦物語だ。脚本はベテランの池端俊策。原作は鏡子の語りを筆録した「漱石の思い出」(文春文庫)である。
漱石を演じるのは、映画「進撃の巨人」「シン・ゴジラ」など話題作が続く長谷川博己だ。英国留学で顕在化した神経症や、小説家への夢を封印して英語教師として過ごす鬱屈を抱える漱石。家族愛に恵まれずに育ち、妻や子供たちとの接し方が不器用な漱石。長谷川は沈黙から激高まで、メリハリのある芝居で素顔の文豪を造形している。
鏡子役は、「はじめまして、愛しています。」(テレビ朝日系)を終えたばかりの尾野真千子だ。鏡子は貴族院書記官長の長女で、お嬢さま育ち。結婚後も朝寝坊の癖が直らない。気難しい漱石に従いながらも、自分の意志を通す芯の強さを持っている。
尾野は、漱石の言う「立派な悪妻」の喜怒哀楽を全身で見事に表現。長谷川と対峙する場面だけでも、このドラマを見る価値は十分にある。
現在、全4回の半分まで来ており、漱石は「吾輩は猫である」を発表したばかり。49歳で亡くなるまでの10年余り、創作にまい進していく。正岡子規(加藤虎ノ介、好演)との交友も含め、物語はここからが佳境だ。
(日刊ゲンダイ 2016.10.05)
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「叱ってくれる人」がいる幸せ――川村二郎さんの本
本のサイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。
https://shimirubon.jp/users/1672595
「叱ってくれる人」がいる幸せ
――川村二郎さんの本
元「週刊朝日」編集長の川村二郎さんは、私にとって、言葉と文章の師匠の一人である。いや、こちらが勝手に師匠にしているのだが(笑)。
何より有難いのは、言葉と文章に関して筋金入りの頑固者である川村さんが、著作を通じて「叱ってくれる」ことだ。
人は、年齢を重ねると、だんだん叱ってもらえなくなる。
川村さんのような<もの言う先達>の存在は、本当に貴重なのだ。
● 『社会人としての言葉の流儀』(東京書館)
言葉と文章に関して、いい意味で「筋金入りの頑固者」である川村さん。
今年8月に上梓された『社会人としての言葉の流儀』(東京書館)でも、「生きざま」「こだわり」といった言葉を無神経に使うことを戒めている。また、「思う」と「考える」と「感じる」を正確に使い分けることの大切さも教えてくれる。
この本は、いわば正しい言葉を学ぶ日本語読本だ。熟読して、学ぶべし。「言葉は人なり」なのだから。
● 『孤高~ 国語学者大野晋の生涯』(集英社文庫)
評伝の面白さは、主人公の実人生と人物像だけではない。誰が書くかも重要だ。
国語学の巨人と呼ばれる大野晋だが、日本語のルーツをタミル語だとする新説に対して、当時の学会やマスコミから強い反発が起きた。同時に、敵をつくることも恨みを買うことも意に介さない大野に反感を覚える者も多かった。
川村さんは、記者として「人間・大野晋」の造形に挑み、成功している。ここに描かれているのは、第一級の研究者であり、語り継がれるべき日本人の一人だ。
さらに、言動にはだれの目にも明らかな目的があるべきだと考え、思い立ったらただちに行動し、新しいことに挑戦し続けた一人の男の姿である。
● 『夕日になる前に~だから朝日は嫌われる』(かまくら春秋社)
この本は、川村さんが愛してやまない”故郷”朝日新聞への痛烈な諫言と、記者としての貴重な体験を綴ったエッセイ集である。
たとえば夕刊一面のコラム「素粒子」。文化勲章をめぐる「勲章もらうには何より長生きが大事」の一文に著者は呆れる。受賞者は音楽評論の吉田秀和であり、瀬戸内寂聴なのだ。
また近年、同じコラムが、時の法務大臣を「死に神」と書いた。川村さんは、“文章のわかる”幹部がいないと嘆息する。
逆に、いや、だからこそ本書で紹介される司馬遼太郎、海老沢泰久、さらに涌井昭治など名記者の“言葉と文章”に対する真摯な態度に打たれる。現役の新聞記者、そして記者を目指す若者たちも必読の一冊だ。
● 『いまなぜ白洲正子なのか』(東京書籍)
白洲正子と聞いて、すぐ分かる人、「え、誰?」という人、それぞれいるはずだ。それと、「よく知らないけど気になっていた」という人も多いだろう。この本は、そのいずれにもオススメできる<白洲正子入門編的傑作評伝>である。
白洲正子については、たとえば「白洲次郎の奥さん」という説明もできる。戦後、吉田茂の懐刀としてGHQと対峙した男、白洲次郎。数々の伝説に包まれた<風の男>、白洲次郎だ。
その白洲次郎の妻だった正子は、明治時代に樺山伯爵家のお嬢さんとして生まれた。今でいう幼稚園の頃にから能に親しむ。大正時代にアメリカ留学。昭和4年に白洲次郎と結婚。戦中・戦後の昭和、さらに平成を生きた88年の生涯。
文筆家として、能はもちろん、西行、匠の技など、日本の古典、日本の美をめぐる多くの本を書いている。美の優れた鑑賞者、美の目利きでもあった。
白洲正子の著作の一つに、彼女が自らの”師匠”について書いた『いまなぜ青山二郎なのか』(新潮社)がある。この本のタイトルはそこからきた。そして、「いまなぜ白洲正子なのか」という問いに、見事に答えているのだ。
正子の生い立ち(これが凄いのだが)。時代背景を思うと信じられないような幼少期と娘時代。そして白洲正子となってからの日々。
特に、上記のジイちゃんこと青山二郎や小林秀雄などに接する(というより修行だ)様子は、読んでいて、美や文化について思うこと多く、また決して届かぬ世界への憧れに似た感情が沸き起こる。
川村さんは前述したように、「週刊朝日」の編集長や朝日新聞編集委員などを歴任した人であり、現在は文筆家だ。もちろん白洲正子とも交流があった。随所に、川村さんが接した”実物の正子”が登場し、そのときの正子の”生の言葉”を紹介しているのも、この本の嬉しいところだ。
「文化とは日々の暮らしよ」
「明日はこないかもしれない。そう思って生きてるの」
「井戸を一つ掘り当てたと思ったら、別のところも掘るのよ」
現実には聞いたことのないはずの正子の声が聞こえてきそうだ。
● 白洲正子との遭遇
実は私自身も、たった一度だけ、白洲正子を<目撃>したことがある。会ったのではなく目撃。見かけたのだ。
それは赤坂のそば屋さん「赤坂砂場」でのことだった。ここの「ざる」が大好きで、ときどき行っていたのだが、いつものように食べ終わり、お勘定のお釣りを待つ間、広くない店内をふと見回したら、テーブルの一つに白洲さんがいた。
両側には、一緒にいらしたらしい女性がいて、白洲さんは(じっと見たりはしなかったのでよく分からないが)「ざる」か「もり」かを食べているところだった。
かつて、戦後の占領期における吉田茂を追ったドキュメンタリーの制作に参加していた。その番組で白洲次郎を知り、白洲正子を知った。そして、こんな人たちがいたことに驚いた。
当時、20代後半だった自分にとって、白洲正子は、いわば”歴史上の人物”だったと言っていい。その女性が、目の前でおそばを食べている。ほんの一瞬だけ見た光景は、信じられないような、ちょっと幸運のような、不思議な感じだったことを覚えている。
白洲さんを目撃してからも、数え切れないほど「赤坂砂場」には通ったが、二度とその姿を見つけることはなかった。
この本で、白洲正子という人がなぜ気になるのか、知りたくなるのか、読みたくなるのか、が分かってきた。川村さんは、こんなふうに言っている。
それは、
多くの日本人にとって
「羅針盤」であり、
「モデル」であり、
「一陣の風」であり、
ときに「精神安定剤」であるからだ。
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実相寺昭雄研究会 2016.10.07
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「定年後」のことは、定年後に考えよう!?
自分の「定年後」のことを、まったく考えていない、と言えば嘘になる。
とはいえ、どうも上手い具合に想像できないし、しっかり考えることもできない。
というか、メンドくさいんだな、きっと。
『まれに見るバカ』などの評論やエッセイで知られる勢古浩爾さんは、34年間勤務してきた会社を59歳で辞めた。
『定年後のリアル~お金も仕事もない毎日をいかに生きるか』(草思社文庫)は、「いまやわたしは何者でもない」という立場になってみて、初めて実感する定年後を、まさに本音で語った一冊だ。
定年後の3大不安は、お金、生きがい、健康である。
世の中には、その対処法を伝授するハウツー本が氾濫しているが、勢古さんは、「秘策などない」と言い切ちゃうところがすごい(笑)。
さらに勢古さんは言う。
老後に備えて何千万円といわれても、ないものはない。そんな平均値や一般論に惑わされることなかれ。
また、「生きがい」や「やりがい」も無理に求めない。今日一日をつつがなく過ごせれば御の字だ、と。
ちょっと、ホッとする。
定年者(ていねんもの、と呼びたい)が欲しくなるのは、刺激ではなく、「平安な気分」らしい。
3大不安に対する「なんとかなるんじゃないの?」という“ほんわか”した基本姿勢が嬉しい。
「好きに生きてください」という前代未聞の結論にも、苦笑いしつつ、大いに励まされる。
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だから、「古本」は、やめられない
本のサイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。
https://shimirubon.jp/columns/1674924
だから、「古本」は、やめられない
なじみの古本屋さんで買った本が、宅配便で届いた。ほんと、便利だ。宅配便の開発者に感謝。
先日、いつも「私にとってのお宝」が見つかる店先の格安ワゴンで、大量の古いポケミス(ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブック)を発見した。その中からエド・マクベインの<87分署シリーズ>を選んで購入したのだ。数えてみると39冊あった。
嬉しかったのは、39冊の中に、ずっと欲しかったNO.575「キングの身代金」があったことだ。しかも昭和35年に出た初版(!)。中身も半世紀以上前の本とは思えない美しさだ。
よく知られているように、黒澤明監督の「天国と地獄」の原作である。原作とはいっても、丸ごとシナリオ化されたわけではなく、映画では様々な、しかも見事なアレンジが施されている。
とはいえ、「キングの身代金」を読み直してみると、三船敏郎が演じた製靴会社重役の状況、住み込み運転手の子どもが“人違い”で誘拐されるなど、骨格はそのまま映画に移植されていることが分かる。
しかし、まあ、そんなふうに映画との違いを探すのも面白いが、それよりエド・マクベインお得意の風景描写や、スティーヴ・キャレラやマイヤー・マイヤーなど刑事たちの取り組みと人間臭さを、素直に堪能したほうがいい。
それにしても、このポケミスたち、どんな人が集めていたんだろう。本の状態から見て、同じ人のコレクションだ。
大事に保存してきたコレクションを、今度はなぜ、手放したんだろう。引越し? いや、本好きは、ましてやポケミスファンは、どこまでも持っていくはずだ。
昭和30年代からポケミスを読んでいたとすれば、今はそれなりの年齢のはず。うーん、もしかしたら、持ち主が亡くなってしまい、遺族が処分したのかも・・・とかなんとか、妄想してしまうのも古本ならでは。
今回は、87分署だけではなく、昭和29年の清沢洌「暗黒日記」ダイジェスト版(東洋経済新報社)や、初版から4年後の昭和16年12月(パールハーバー!)に出た川端康成「雪国」(創元社)なども入手した。
こういう本たちを手に取ると、歴史というか、その時代に触れたような気がしてくる。これもまた古書の楽しみの一つだ。
●古沢和宏
『痕跡本の世界~古本に残された不思議な何か』(ちくま文庫)
「わが道はすべて古本屋に通ず」という名エッセイを遺したのは、“古本の巨匠”植草甚一さんだ。その中に、古本屋巡りの帰途、電車内で買った本を一冊ずつ撫でまわす光景が登場する。古本愛の為せる業だ。
ただし植草翁には、古本に記された書き込みや線引きや、挟まれたメモに反応する傾向はなかった。著者の古沢さんは、こうした前の持ち主の痕跡から、人と本の「物語」を想像して愉しむのだ。
たとえば戦前の詩集に残る2人分の記名で、女学校の学生による“青春の引き継ぎ”を妄想する。もちろんイラストや日記、注釈などの書き込みも著者を大いに刺激する。「痕跡本を読むとは、自分の嗜好を読むこと」である。
●とみさわ昭仁
『無限の本棚 手放す時代の蒐集論』(アスペクト)
著者のとみさわさんは、神保町のマニタ書房店主である。元々ライターだった男が、いかにして“古本屋のおやじ”になったのか。
少年時代に始まる蒐集遍歴が開陳され、過去への郷愁と未来への好奇心がコレクターの魂だと分かる。その上で、著者が見つけた本とのつき合い方とは?
●池谷伊佐夫
『古本蟲がゆく~神保町からチャリング・クロス街まで』
(文藝春秋)
普通の書店さんの棚は、当然ながら、そのときどきの新刊を中心に並べてあるので、どうしても似通ってしまう。
しかし、古本屋さんは違う。どんな本を、どう並べようと、店主の自由なのだ。おかげで個性的な棚になる。いや、店構えも、店内の風景にも個性が出る。
古本好きのイラストレーター、池谷伊佐夫さんの『古本蟲がゆく~神保町からチャリング・クロス街まで』(文藝春秋)の面白さ、楽しさは、写真ではなく手描きのイラストであることで、1軒1軒の店の「個性」が際立っている点だ。
九州屈指の古書店「葦書房」から、日本最北端・稚内の「はまなす書房」まで、国内はもちろんロンドンにも遠征している。そうやって描かれた店内の俯瞰の細密画には、古本そのものに通じる温もりがある。
池谷さんの「俯瞰細密画」は、全体を見て、部分を見て、また全体に戻るの繰り返しで、飽きることがない。店の中を浮遊している気分だ。
この、上から見る、俯瞰ってのがいいんだなあ。俯瞰とは「鳥の目線」であり、オーバーにいえば「神様の目線」だ。普通、人間が持ち得ない目線なのだ。
また、池谷さんが書く各店の魅力を伝える文章と、池谷さんが目にした古書・入手した古本を紹介する「今回の収穫」コーナーも熟読に値する。これまた、一冊ずつの表紙が写真で並んでいても、その本についてのコメントを、こんなに力を入れて読んだりしないだろう。
古本の総本山みたいな神保町についての文章の中で、こんな言葉を見つけた。
本の世界は海のように奥が深く、海の家より間口が広い
これまでに出版された池谷流イラストレポ『東京古書店グラフィティ』『神保町の蟲―新東京古書店グラフィティ』(いずれも東京書籍)も、古本&古本屋さん愛好者には堪らない。
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ダンスの力、おそるべし! CM「ポカリガチダンス」
日経MJ(流通新聞)に連載しているコラム「CM裏表」。
今回は、大塚製薬ポカリスエット「ポカリガチダンス 結果発表篇」を取り上げました。
ポカリスエット「ポカリガチダンス 結果発表篇」
600作から選抜 小気味よいキレ
先日、ホノルル美術館で、パルテノン神殿で踊るイサドラ・ダンカンの写真を見た。96年前のモノクロだが、両手を広げた彼女には巨大遺跡にも負けない存在感があった。ダンスの力、おそるべし。
600もの応募作の中から選ばれたダンス映像が見られるのは、ポカリスエットのCM「ポカリガチダンス 結果発表篇」。
登場するのは学校の女子トイレ前で見事なステップを披露する2人。ランドセルを背負ったまま教室で踊る小学生6人。体育館のバスケゴールを背景にした、応援団風学ランの女子4人などだ。
いずれも踊る楽しさを全身で表しており、ダンスのキレが小気味よい。
また、「イケてないとか、イケてるとか、誰が決めるの?(中略)君の夢は僕の夢、必ずたどり着けるはずさ」という歌詞の応援ソングも純度の高い青春讃歌だ。
このシリーズCMのシンボルともいえる美少女は八木莉可子さん。こんな笑顔で応援されたら、もう頑張るしかない。
(日経MJ 2016.10.10)
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朝ドラ“ヒットの法則”を踏襲する「べっぴんさん」
NHK朝ドラ「べっぴんさん」について、週刊誌の取材を受けました。
第1週が終わったばかりではありますが、リクエストが「ファーストインプレッション(第一印象)は?」ということでしたので、ざっと以下のようなお話をさせていただきました。
記事の中に織り込まれるのは、たぶん超ダイジェストの数行かと思いますので、アウトラインを記録として記しておきます。
(1)朝ドラ「ヒットの法則」の踏襲
最近の朝ドラで支持を受けた作品には、「ヒットの法則」ともいうべき、いくつかの共通点がある。それは、「女性の一代記」、「職業ドラマ」、「成長物語」、そして「実在の人物」だ。
「あまちゃん」のように、ある時期に限定した物語ではなく、幼少時から成人、さらに中高年へと至る半生を描いたもので、ヒロインは職業を持ち、自立へと向かって成長していく。しかも、それが実在の人物というのがヒットパターンになっている。
思い出すままに並べれば、「カーネーション」(デザイナーのコシノ3姉妹の母)、「花子とアン」(翻訳家・村岡花子)、「マッサン」(ニッカウヰスキーの竹鶴政孝夫妻)、「あさが来た」(実業家・広岡浅子)、「とと姉ちゃん」(「暮しの手帖」の大橋鎭子)、今回の「べっぴんさん」(子ども服「ファミリア」の坂野惇子)だ。
さらに言えば、坂野惇子(ばんの あつこ)さんは、単なる「実在の人物」ではなく、「女性実業家」であり、「女性創業者」である。その点は、「あさが来た」や「とと姉ちゃん」と共通している。いや、踏襲している。視聴者は、困難な時代に、誰もやっていない事業にチャレンジする女性の姿に、拍手を送りたくなるのだ。
(2)時代背景~「戦争」と「戦後」
上記の作品の多くが、「昭和」前期を主な背景としている。朝ドラの視聴者層の大票田は女性であり、ご高齢の方々もたくさんいる。戦中から戦後という激動の時代は、自分史と重ねながら、感情移入しながら見てもらえるという意味で貴重なのだ。
特に「戦争」は、物語の中の大きな要素であり、ヒロインが昭和20年以降の「戦後」を生きる姿も、多くの視聴者の共感を呼んできた。
「べっぴんさん」では、主人公の坂東すみれを、1925(大正14)年生まれとしている。モデルの坂野惇子さんは1918(大正7)年の生まれだから、7歳若くしているわけだ。
それは、この年の生まれとすることで、年齢が昭和の年号と重なってくる(三島由紀夫と同じですね)からだろう。ドラマの第1回は昭和20年の敗戦から始まっていたが、この時、赤ちゃんを背負ったすみれは20歳だ。
同じ1回目で、子供服メーカーである会社の創業20周年パーティーが行われており、それは昭和44年で、すみれは44歳になっていた。また先週末、昭和17年には、すみれは17歳の女学生だった。つまり、時代背景やその推移と本人の関係がわかりやすく、成長や変化がイメージしやすいのだ。
(3)人物造形~「坂東すみれ」と「芳根京子」
スタート直後、まずは主人公を知ってもらい、馴染んでもらい、できれば応援してもらえるよう努めることが重要だ。
子役の渡邉このみさんは、少し引っ込み思案だけれど、じっくりものを考える少女を、生き生きと演じていた。また、「想いをこめる」という、このドラマのキーワードを視聴者に浸透させる役割も果たしていた。
実際の坂野惇子さんの母親は長寿だったようだが、ドラマのすみれは、母(菅野美穂)を9歳で失うことになる。これは、早くに父を亡くした「とと姉ちゃん」に準じた設定であり、視聴者にヒロインを応援してもらうための一策となっている。
また、「とと姉ちゃん」では、第1週は子役の内田未来さんが受け持ち、高畑充希さんの登板は第2週からだった。
しかし、「べっぴんさん」は、第1週の終わりに、早くも17歳の女学生になった芳根京子さんが現われた。主演女優、前倒しの登場である。
芳根さんは、昨年の『表参道高校合唱部!』(TBS系)などで主演を務めてきた。以前この欄でも書いたが、連ドラ初主演の『表参道』を見て、そのポテンシャルの高さに驚いた。ヒロイン生来の明るさや意志の強さだけでなく、感情の細やかさまで表現していたからだ。何より、表面的な美少女ではなく、地に足のついた骨太な少女像を体現している点に注目した。
とはいえ、ここ数年の朝ドラ女優である尾野真千子さん、吉高由里子さん、高畑充希さんなどと比べたら、まだまだ“新人”に近い。早めに顔と名前を覚えてもらうという意味でも、第1週からの“顔見せ”は有効な措置だった。
同時に、女学校の廊下で、後に子供服メーカーを一緒に起業する「仲間」たち(「ももいろクローバーZ」の百田夏菜子さんなど)の姿も見せている。全体の進行が、かなりスピーディーなのだ。
これらは、最近の視聴者の、ドラマに対する“取捨選択”の判断が、以前よりも短期間に行われることへの対策だろう。主要な登場人物たちを早めに披露することで、視る側の関心度を高めていこうというわけだ。
・・・全体として、前2作の「いいとこ取り」を狙ったことも功を奏し、半年付き合うに値する期待感がある、というのが取材を受けての結論でした。
さて、今週(第2週)からは、戦争の影が一層濃くなっていくはずで、ヒロインたちが、それとどう向き合っていくのか。引き続き、視聴させていただきます。
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バカリズムの脚本が冴える「黒い十人の女」
日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。
今週は、日本テレビのドラマ「黒い十人の女」について書きました。
脚本バカリズムが
今どきの“ギョーカイ”を巧みにデフォルメ
面白い題材を掘り起こしたものだ。ドラマ「黒い十人の女」(日本テレビ系)である。ベースは1961年に公開された市川崑監督の同名映画。9人もの愛人を持つドラマプロデューサーが、裏で手を組んだ女たちに命を狙われるという物語だ。
主人公であるプロデューサー・風松吉役は船越英一郎。愛人たちの間を遊泳する姿が実にハマっている。55年前の映画では、父・船越英二(「時間ですよ」で銭湯の番台に座っていた姿も懐かしい)が飄々と演じていた。
また愛人たちのキャスティングも、このドラマの見どころのひとつだ。水野美紀(舞台女優)、佐藤仁美(ドラマAP)、MEGUMI(脚本家)、成海璃子(テレビ局受付嬢)、そしてトリンドル玲奈(若手女優)もいる。これから登場する愛人も含め、船越P、モテすぎだろう。
脚本のバカリズム(写真)は、原作の設定を生かしながら舞台を現代に移し、今どきのテレビ界・芸能界の生態を巧みにデフォルメして描いていく。
先週も、水野美紀演じる舞台女優の活動を「情熱大陸」風に見せて、思いきり笑わせてくれた。また、愛人の立場に不満をもつ成海とトリンドルが、それぞれに若い男との浮気(?)を敢行。特に成海は、相手がまたもや妻帯者で大騒動となった。
午前零時近くの深夜ドラマであることを踏まえ脚本も演出も、一層ディープに攻めていい。
(日刊ゲンダイ 2016.10.12)
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ノーベル文学賞は、ちょっとびっくり、ボブ・ディラン!
13日午後8時すぎ、ノーベル文学賞の発表がありました。
なんと、ボブ・ディラン!
いやはや、かなりのサプライズです。
ノーベル賞の公式サイトによるライブ配信を見ていたのですが、会場も、どよめいていました(笑)。
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読売新聞で、「中日新聞」記事ねつ造問題についてコメント
中日新聞記事に捏造
記者「想像して書いた」
連載「新貧乏物語」
中日新聞は12日、5月に掲載した連載記事2本に誤りがあったとして、同日付朝刊社会面で「おわび」を掲載し、記事や見出し、写真を削除すると明らかにした。
架空のエピソードを盛り込んだ記者の取材メモをもとに記事が書かれたことが原因としている。今後、この記者や編集幹部を処分し、同じ記者が書いた連載以外の記事についても調査する方針。
誤りがあったのは、5月17日付と19日付の朝刊社会面に掲載された連載「新貧乏物語 第4部 子どもたちのSOS」。
おわびでは、19日付の記事について、「教材費や部活の合宿代も払えない、などとした三か所の記述が事実でないことを確認した」としている。病気の父を持つ中学3年の少女が、「教材費も払えない」「バスケ部の合宿代一万円が払えず」などと記述した部分を指すとみられる。
また、17日付の記事には、10歳の少年がパンを売るために「知らない人が住むマンションを訪ね歩く」などとした説明を添えた写真が掲載されたが、この写真は実際の販売現場ではなく、少年の関係者の自宅前で撮影したものだったという。
同紙によると、8月末に少女の家族からの指摘を受けて調査した結果、取材班の記者1人が架空の取材メモを作成し、写真も記者がカメラマンに指示して撮影していたことが判明した。記者は「原稿を良くするために想像して書いてしまった」と話しているという。取材班のキャップやデスクらは、記者が書いた記事をチェックしたものの、メモは記事掲載時点で誰も見ていなかったという。
臼田信行・名古屋本社編集局長は、おわびの中で、「記者が事実と異なることを自ら知りながら書いたことは到底許されません。深くおわび申し上げます」と謝罪した。この連載が6月に掲載された中日新聞社発行の東京新聞などでも当該の記事を削除する。
ただ、おわびでは、19日付の記事で誤りがあったという「三か所の記述」が明示されていない。平田浩二・編集局次長は読売新聞の取材に対し、「関係者に迷惑がかかるので、これ以上は明らかにできない。デスクなど上司による圧力などがあったとは認識していない」と話した。問題の記者の所属や年次なども明らかにしなかった。
連載は1月に始まり、第6部まで掲載。中日新聞は、今年度の新聞協会賞の編集部門にこの連載を応募していた。同紙は、ほかの記事に問題はないとし、連載を継続する方針。
碓井広義・上智大学教授(メディア論)の話
「子供の貧困問題に斬り込む連載の趣旨に沿って悲惨さを強調しようとしたのだろう。写真も読者から見れば、実際にパンを売っている少年にしか見えない。新聞全体の信頼を損なう深刻な捏造行為といえる。『おわび』で、事実でない記述を明示していない点も、読者の混乱を招くことになり、不適切だ」
(読売新聞 2016.10.12)
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