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4年生のための臨時ゼミ

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卒論へダッシュ!?

大学4年生の夏休み。

一応、就職先は決まっているし、最後の長期休暇ということで、ゼミ生たちも海外含め、あちこちに散っています。

また、その一方で、4年生にとっての夏休みは、「卒論」の書き入れ時(?)でもあります。

ここで頑張っておかないと、後から苦労するのだ(笑)。

とはいえ、一人で書いていれば、迷ったりもします。

そこで、午前と午後に分けて、4年生のための臨時ゼミを開催しました。

軌道修正も今なら間に合う、はず(笑)。

がんばれ!4年生。

12日の「金曜オトナイト」は、再び水道橋博士さんと・・・

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金曜夜10時54分から、BSジャパンで絶賛放送中(笑)の「大竹まことの金曜オトナイト」。

先週の放送分は、旅行中の収録だったため、参加できませんでした。





今週のゲストは、2回目の水道橋博士さん。



オススメ本のコーナーで紹介してくださったのは、映画『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』などで知られる園子温(その・しおん)監督が書いた『非道に生きる』(朝日出版社)でした。

「映画のような」壮絶な人生が綴られています。







今週の「繁田美貴アナウンサー」

キャンパスで、北海道文化放送の水野悠希アナウンサーと・・・

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UHB北海道文化放送(フジテレビ系)の看板アナウンサーである水野悠希(みずのゆき)さんと、札幌ではなく、四谷キャンパスで再会しました。

水野さんとは、UHB「のりゆきのトークDE北海道」で何年もご一緒させていただきましたが、その後「U型テレビ」のメインキャスターを経て、現在は「U型ライブEXPRESS」に出演中です。

「U型ライブEXPRESS」の放送が始まる頃に、私はHTB北海道テレビのスタジオに入り、「U型テレビ」の放送中には、その真裏となる「イチオシ!」に出演しているので、最近はなかなか水野さんの姿をテレビで拝見することが出来ません。

この週末、用事があって東京に来たそうで、わざわざキャンパスに訪ねてきて下さいました。嬉しいですねえ。

「トークDE北海道」に出演させていただいている時、司会の佐藤のりゆきさんが夏休みで、何と私が2日ほど代役を務めたことがあります。確か2009年の9月。



UHBも、当時の番組プロデューサーも大胆だったなあと思いますが、そんな危ないこと(笑)が出来たのも、隣に水野さんがいたからなんですね。

生放送でどんなハプニングが起きようと、笑顔で冷静沈着な対応ができるプロ!というのが水野さんです。

土曜日、ましてやまだ夏休み中なので、キャンパスは全体的に静かでしたが、水野さんがそこに立つだけで、何だかスポットが当たったような雰囲気がありました。

訪問に感謝し、ますますのご活躍を祈っております!

『大江健三郎自選短篇』は、文庫本で最終定本

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『大江健三郎自選短篇』(岩波文庫)が出た。

その厚さ、3.5センチ。ずっしりと重い。

収録されている全ての作品に、大江の「加筆修訂」が為されているという。

確かに、表紙カバーになっている写真では、ゲラというか、かつて印刷され発表されたもの(底本)に、赤字ならぬ青字で加筆修訂が。

それをよく見ると、たとえば、「自分の子供っぽい気まぐれを恥じていた」という文章が、「自分の子供っぽい気まぐれを後悔していた」になっている。

うーん、今すぐには、加筆修訂前の作品(「空の怪物アグイー」でした)が読めないから何とも言えないが、それでも「恥じる」のと、「後悔する」のって、かなり違うよね。

いいのかなあ(笑)。

もちろん、著者本人が自作を加筆修訂するのは自由に違いない。本人にとって必要なことだったりするのだろう。

でも、「恥じていた」で読み、その意味を含め受け取っていた読者にとって、「後悔していた」にどう対処したらいいのか。

オーバーに言えば、別バージョン?

別のものとして、読めばいいのかな。

デビュー作「奇妙な仕事」は1957年5月の発表。著者は東大在学中の22歳だ。

この「最終定本」と銘打った文庫本に収録されている「奇妙な仕事」は、79歳になった著者が加筆修訂という形で手を入れた“2014年版”ということになる。

大江健三郎自身は、今後、「奇妙な仕事」も、芥川賞受賞作「飼育」も、ここに載っているものを後世に残そうとしているわけだ。

過去の自作を、どこまでも“書き直す”情熱、その執念はやはりすごいと思う。

でも、どんな作品も、それが生まれた時代というか、その時の著者というか、そんな諸々が埋め込まれていて、またその時代の評価を受けたものだったりするわけで・・・。

底本と定本、今度また、じっくり考察してみたいものです。


今週の「読んで書評を書いた本」は次の通りです。

小池真理子 『怪談』 集英社

馬飼野元宏:監修 『日本のフォーク完全読本』 
シンコーミュージック・エンタテイメント

スティーブン・ロウ:著、吉原雅子:監訳 
『ビジュアルではじめてわかる哲学』 東京書館

コウケンテツ 『保存版 僕が家族に作りたい毎日の家ごはん』 
新潮社

平川克美 『グローバルという病』 東洋経済新報社

* これらの書評は、
  発売中の『週刊新潮』(9月18日菊咲月増大号)
  読書欄に掲載されています。

没後13年 稀代のプロデューサー「萩元晴彦」小伝 第1回

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9月4日は萩元晴彦さんの命日でした。1930年、長野県生まれ。早稲田大学文学部露文科卒。ラジオ東京(現在のTBSテレビ)に入社し、ラジオそしてテレビ番組の制作に携わります。

やがて1970年に仲間と共に日本初の番組制作会社テレビマンユニオンを創立。数々のプロデュースを行っていきます。その仕事はテレビの枠を超え、幅広い文化の創造に寄与するものでした。

亡くなったのは2001年、享年71。

没後13年を機に、プロデューサー萩元晴彦の軌跡をふり返り、そして次代に伝えたいと思います。


没後13年 
稀代のプロデューサー「萩元晴彦」小伝 
第1回

お前はただの現在にすぎない

「いま一番欲しいものは何ですか?」「総理大臣になったら何をしますか?」「天皇陛下はお好きですか?」ーー若い女性の声が矢継ぎ早に質問を繰り出す。画面に映っているのは通勤途中のサラリーマンであり、魚河岸で働く仲買人であり、小学生の男の子だ。彼らは質問の意味を深く考える余裕も与えられないまま、即興で答えていく。

この後も質問は続き、「ベトナム戦争にあなたも責任がありますか?」「では、その解決のためにあなたは何かしていますか?」「祖国のために闘うことが出来ますか?」と畳み掛けていく。そして、「最後に聞きますが、あなたはいったい誰ですか?」で終わった。

829人の人々に同一の「問いかけ」を敢行したこの番組は、それまで誰も見たこともない斬新なテレビ・ドキュメンタリーとなる。正直な言葉、取り繕った言葉、そして戸惑った表情や佇まいも含め、カメラが活写したのは1966(昭和41)年の“現在”を生きる、日本人の“自画像”そのものだった。

放送史に今も残る傑作『あなたは・・』とはそんな番組であり、この年の芸術祭奨励賞を受賞した。制作したのは、TBSのテレビ報道部に在籍していた36歳の萩元晴彦。構成が寺山修司、音楽は武満徹である。

早稲田の露文科を卒業した萩元がラジオ東京(現TBSテレビ)に入社したのは1953(昭和28)年。奇しくも日本でテレビ放送が開始された年だ。はじめラジオ報道部に配属され、録音構成『心臓外科手術の記録』で民放祭賞受賞。後にテレビ報道部に転じてからも、『現代の主役・小澤征爾「第九」を揮(ふ)る』がやはり民放祭賞を受けるなど、番組制作者として評価は高まっていった。

そんな萩元に大きな転機が訪れるのは1968(昭和43)年である。前年に制作した『現代の主役・日の丸』に対して、視聴者から抗議、非難、脅迫風の電話が殺到。同様の投書も多数舞い込んだ。さらに、当時の郵政大臣が閣議で「偏向番組」だと指摘し、電波監理局の調査が行われる騒ぎとなった。

これに対し、会社側は萩元のニュース編集部への配転を決定。組合はこれを不当として立ち上がり、いわゆる「TBS闘争」へと発展していく。

1969(昭和44)年、萩元はTBSにおける後輩であり仲間でもある村木良彦、今野勉と共に一冊の本を出版する。当時の状況の克明な記録であり、「テレビに何が可能か」を徹底的に考察したこの本のタイトルは『お前はただの現在にすぎない』。後に、テレビ界を目指す青年たちのバイブルとなった。

テレビマンユニオンの誕生

時は60年代末。国内に学園紛争、国外にベトナム戦争と騒然たる時代である。『TBSニュースコープ』で日本初のニュース・キャスターとなった田英夫が、北爆の状況を現地からリポートした『ハノイ・田英夫の証言』も自民党が問題視して話題となった。この番組を作った村木良彦もまた、萩元と同様に“非現場”へと追いやられることになる。

 村木良彦も今野勉も、萩元に負けず劣らず個性的で優れた制作者だ。しかし、国の許認可事業としての放送局を経営する側から見れば、彼らは会社の言いなりにならない“危険分子”である。ひと癖もふた癖もあるこの男たちが自由に番組を作ることを許すわけにはいかなかった。

やがてTBS闘争が沈静化し終息に向かうころ、彼らは「ものをつくるための組織」「テレビ制作者を狭い職能的テリトリーから解放する組織」、つまり「テレビマンの組織」をつくることになる。実現へ向けて、水面下で難しい地ならしを行ったのは、村木や今野と同期入社の吉川正澄(きっかわ・まさずみ)だった。

1970(昭和45)年2月25日、萩元、村木、今野、吉川たちTBS退職者に、契約・アルバイトのスタッフも加えた総勢25名が、わが国初の番組制作会社を興す。「テレビマンユニオン」の誕生である。それは、番組をつくること、流すこと、その両方を放送局が独占的に行ってきた日本のテレビ界にとって一種の革命だった。

萩元は、皆に推される形で初代社長となる。この時、連日の話し合いの中で決めた組織の”基本三原則”は「合議・対等・役割分担」。それはテレビマンユニオンの創立から40年以上が過ぎた現在も生きている。

三原則の意味について、萩元はこう語っていた。「経験年齢とは一切関係なく全員が“対等”で、その運営は“合議”でなければならず、社長は選挙によって選ばれた者が“役割分担”する。全員が“やりたいことをやる”ために」。

(以下第2回に続く 文中敬称略)

長いタイトルも伊達じゃない、テレビ東京のトライアル番組

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日刊ゲンダイに連載している「TV見るべきものは!!」。

今週は、テレビ東京「不躾ですが、ドキドキな発表の瞬間立ち会わせて下さい。」について書きました。


「人間劇場」のDNAを蘇らせた
トライアル企画を高く評価したい
誰の人生にも「ここが勝負だ」という場面が何回か訪れる。その挑戦や賭けは、果たしてどんな結果を招くのか。

「不躾ですが、ドキドキな発表の瞬間立ち会わせて下さい。」(テレビ東京系)という長〜いタイトルの番組は、誰かのトライに密着し、「結果発表」や「合格発表」までを追ったドキュメント・バラエティだ。今月1日から22日まで、月曜深夜に限定4回で放送している。

登場したのはプロ資格を獲得すべく奮闘するソーシャル・ダンスの男女ペア。美容師ではなく理容師を目指している女子専門学校生。また自分の限界に挑むためコンテストに出場する76
歳のボディビルダーなどだった。

番組は彼らの取り組みを取材したVTRを、司会のサンドウィッチマンが見ていくというシンプルな作りだ。無理に視聴者を笑わせようとか、ウケようとかせず、素に近い感想を述べる2人に好感がもてる。

テレビ東京はかつて、有名・無名を問わず1人の人物にスポットを当てた1時間の人物ドキュメンタリーを放送していた。1992年から7年半ほど放送された「ドキュメンタリー人間劇場」だ。もちろん高い視聴率を取るような番組ではないので、当時の制作も編成もよく頑張ったと思う。

今回の4回限定放送を、そんなDNAを現代に蘇らせようとしたトライアル企画として高く評価したい。

(日刊ゲンダイ 2014.09.16)

週刊新潮でコメントした、「朝日新聞」問題に関する特集記事

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コメントした、週刊新潮の「朝日新聞」問題の特集記事が、新潮社のサイトにアップされました。

先日、このブログで一部を紹介しましたが、全文が読めるようになったので、以下に転載しておきます。


「売国」「誤報」は黒塗り「ペテン」はOK
「広告審査」のデタラメ
続・おごる「朝日」は久しからず
載せたり、載せなかったり、塗りつぶしたり。本誌の広告掲載について、朝日新聞の対応は支離滅裂と言うほかない。納得しうる基準をまったく示せないまま、場当たりで恣意的に対応し、後からご都合主義で理屈をくっつける。まるで広告審査の体をなしていないのだ。

*********

池上問題についての“釈明”記事を掲載する前日の9月5日夕のこと、

「編集局長室に編成局長や報道局長らが集まり、経緯掲載記事を“1面に載せるべきだ”“池上さんと話し合う前に載せるべきではない”などと意見が交わされ、かなり揉めていました」

と言うのは朝日の幹部社員。さらに若手社員も、

「その晩、現場のデスクやキャップが、いちど決まった“釈明原稿”では説明が不十分だと編集幹部に詰め寄り、騒然となりました」

と証言するが、広告をめぐる対応も同様である。

朝日は本誌9月4日号の広告を、〈部数がドーン!〉など2カ所の表現が問題だとして掲載拒否した。一方、9月11日号に対しては、「売国」「誤報」という文言に抗議しつつも、最終的には掲載した。迷走し、審査基準を見失っていると思しき対応だが、加えて、「売国」「誤報」の2語を勝手に塗りつぶしたのである。

さらに言うなら、8月28日号の広告は、「ペテン」という語に朝日は強く抗議しながら、そのまま掲載した。しかし、どうして「売国」や「誤報」はダメで「ペテン」はよいのか、一切明かされないのだ。労組に寄せられた声を拾ってみると、

〈個人情報保護法の情報統制・言論弾圧を批判しながら、意見が違うといって掲載を断る社の姿勢には、一般の読者にとって説得力など無いでしょう〉(広告・30代男性)

〈自分たちに都合の悪い意見を聞かない、載せない。これでリベラルな新聞と言えるのでしょうか〉(編集・30代女性)

これらは“池上問題”への批判だが、“広告審査”にもそのまま当てはまるだろう。上智大学の碓井広義教授(メディア論)も言う。

「新潮の広告の塗りつぶしは、言論弾圧が激しかったころの検閲や墨塗り教科書をイメージしてしまう。言論で仕事をしている会社が、自分の利益を守ろうとして言論を抹殺することに危機感を覚えます。広告も表現であり文化の一端を担っている。その情報が遮断されれば読者にとっても不利益になるし、言論機関ならば広告はそのまま載せ、記事の内容に反論があるならそれを具体的に示し、読者の判断にゆだねるべきです」

■「元に戻す努力を…」

ほかにも、朝日の対応がチグハグな例をひとつ。

「菅官房長官は国連人権委員会のクマラスワミ報告に“朝日の報道が影響した”と明言した。これまでの朝日ならすぐに反応し、全社あげて批判するのに、何も語っていない。朝日は自分に不利だとダンマリを決め込んでしまう。日和見なのです」(京都大学名誉教授の中西輝政氏)

何から何まで支離滅裂で制御が利かない朝日新聞が、再生する道はあるのか。

「第三者による調査委員会を作り、どういう経緯で誤報が掲載され、責任者は誰なのかを明らかにすべきでしょう。そうしないと、いつまでたっても火だるま状態から抜けられない」

と、元朝日新聞常務の青山昌史氏は言うが、それだけでは収まらない。アメリカ人弁護士のケント・ギルバート氏が訴える。

「慰安婦の強制連行は国連人権委員会やアメリカの議員をはじめ、国際的に信じられています。朝日新聞は自分が広げたそういう被害を、元に戻す努力をする必要があります。まずは“国連関係者各位”とか“韓国のみなさまヘ”と書いた英語や韓国語の謝罪文を、見開きで掲載すべきです」

信頼回復への道のりはあまりに遠い。

(「特集 続・おごる『朝日』は久しからず」より
 「週刊新潮」2014年9月18日菊咲月増大号)

4年生のための臨時ゼミ、再び

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先週来られなかった4年生メンバーのために、再度、臨時ゼミを開きました。

卒論の現状を見ながら、それぞれにアドバイス。

間もなく夏休みも終了しますが、秋学期が始まれば、卒論の提出まで、あっという間の一気です(笑)。



没後13年 稀代のプロデューサー「萩元晴彦」小伝 第2回

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9月4日は萩元晴彦さんの命日でした。1930年、長野県生まれ。早稲田大学文学部露文科卒。ラジオ東京(現在のTBSテレビ)に入社し、ラジオそしてテレビ番組の制作に携わります。

やがて1970年に仲間と共に日本初の番組制作会社テレビマンユニオンを創立。数々のプロデュースを行っていきます。その仕事はテレビの枠を超え、幅広い文化の創造に寄与するものでした。

亡くなったのは2001年、享年71。

没後13年を機に、プロデューサー萩元晴彦の軌跡をふり返り、そして次代に伝えたいと思います。


没後13年 
稀代のプロデューサー「萩元晴彦」小伝 
第2回

テレビの可能性を拡げる

「萩元さん、ひとつ仕事をお願いできますか?」―そう声をかけてきたのは読売テレビ東京支社長(当時)の中野曠三である。場所は銀座のバー。70年2月の創立から間もないころの話だ。

当時、ディスカバー・ジャパンというキャンペーンを展開しようとしていた国鉄をスポンサーに、旅番組をやりたいというのだ。中野は萩元の飲み友達だが、『巨人の星』『細腕繁盛記』などを手がけた辣腕営業マンでもあった。

「お話を承ります」と言って、ノートを拡げて身構えた萩元。それが現在も放送中の『遠くへ行きたい』が生まれた瞬間だった。

萩元は、この番組を、名所旧跡を巡る単なる観光PR番組にはしなかった。旅のドキュメンタリーとしたのである。演出の今野勉によれば、「移動する旅人を撮ることであり、旅人と旅先で出会った人との会話を撮(録)る」番組だった。まだ小型ビデオカメラがない時代で、ロケは16ミリフィルムカメラで行われた。

放送開始からの半年間、番組は旅をする永六輔を追い続けた。その後、五木寛之、野坂昭如などの作家や文化人が続々登場し、予定調和とはほど遠い異色のドキュメンタリーとして評判になる。

やがて、渡辺文雄、藤田弓子といった旅巧者のレギュラー陣も視聴者の間に浸透し、その後40年以上も続くことになる長寿番組の基礎が固まっていった。

新たなクラシック番組の開拓

『遠くへ行きたい』がスタートしてから2年後、1972(昭和47)年に、萩元は新たなレギュラー番組のプロモートに成功する。電々公社(現NTT)をスポンサーとする『オーケストラがやって来た』である。

NHKはともかく、民放ではクラシック番組の数は少ない。しかも、ほとんどがコンサートの中継録画だ。そんな中で、日本各地に本物のオーケストラがやって来て、クラシックの楽しさをやさしく伝えてくれる公開音楽番組は画期的なことだった。

この時、萩元が掲げたプロデュース方針は「一流の演奏家に良い演奏とわかりやすい話を」である。事実、小澤征爾、アイザック・スターンをはじめクラシック界の巨星たちが、相次いでこの番組に登場した。

そしてもう一つ大事なことは、萩元が、五嶋みどり、相沢吏江子など後にクラシック界をリードしていくことになる多くの新星たちを、この番組で紹介し応援していったことだ。

『オーケストラがやって来た』は、1983(昭和58)年まで11年間、544回も続き、萩元の代表作の一つとなった。

音楽への尊敬と愛情は、野球へのそれと共に、萩元の重要なDNAだ。『オーケストラがやって来た』以外にも、何本もの優れたクラシックスペシャルを創り上げている。

1978(昭和53)年に『北京にブラームスが流れた日〜小澤征爾・原点へのタクト〜』、1981(昭和56)年にはTBS創立30周年記念特別番組として、5夜連続の『カラヤンとベルリンフィルのすべて』を制作した。

特にベルリンフィルについては、その組織形態と運営方針を、テレビマンユニオンを創立する際、大いに参考にしたと萩元は語っている。

一人一人がソロ活動を出来るほどに力を持つメンバーの集団。ゆるやかな連帯と自己責任。テレビマンユニオンの目指すところを体現している先達として、ベルリンフィルを尊敬していたのだ。

また、小澤征爾や今井信子をはじめ、数え切れないほど多くの才能を育てたのが桐朋学園の斉藤秀雄だ。1984(昭和59)年に、斉藤のかつての教え子たちが集まり、記念コンサートを行うことになった。後年、「サイトウキネン・オーケストラ」として発展していく活動の第1回目である。

萩元は演出に実相寺昭雄監督を起用し、精鋭たちが世界各地から母校に帰ってくる瞬間から練習風景、小澤征爾へのインタビュー、そして聴く者の魂も震えるような本番での至高の演奏までを、全てカメラに収めた。

スペシャル番組『先生!聞いてください〜斎藤秀雄メモリアルコンサート』の制作は、後に萩元がテレビプロデューサーという枠を超え、一人の「音楽プロデューサー」として歩み始める転機となった。

(以下第3回に続く 文中敬称略)

箱根でゼミ合宿( 1日目) 2年生グループ研究発表

週刊文春で、テレ東・大江麻理子アナの「結婚」についてコメント

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発売中の「週刊文春」最新号に、テレビ東京・大江麻理子アナの「結婚」に関する特集記事が掲載されました。

この中で、コメントしています。

記事はまず、大江アナがWBS(ワールドビジネスサテライト)のキャスターに就任した経緯と、その人気を説明。

次に、お相手である、マネックス証券の松本大(おおき)社長の生い立ちから現在までを伝えている。

会社の時価総額は約85億円で、年収は2億円前後。

35歳の大江アナより15歳年上の50歳で、2年前に離婚していて2人の子供がいるそうだ。

そして、記事では・・・


慶事ながら、戸惑いを隠せないのがテレ東内部だ。

「大江のWBSキャスター就任は年単位で進行してきたプロジェクト。メイン就任からわずか半年での入籍に上層部は頭を抱えています。WBSは経済報道に特化しており、企業の機密情報が入ってくる。結婚相手が証券会社のトップとなれば、インサイダーや情報操作の疑いを招きかねない。また、WBSの大スポンサーは、大和証券なんです・・・」(テレ東関係者)

メディア論が専門の碓井広義・上智大学教授はこう指摘する。

「証券会社社長と経済報道番組のキャスターとの結婚は、報道倫理的に問題がないとは言えない。経済の世界は情報=マネーですから、万が一にも情報操作を疑われるような状況は、なるべく作るべきではないでしょう」

(テレ東広報部は)報道倫理との兼ね合いについては、以下のように回答した。

「厳しい報道倫理ガイドラインを設けて運用しています。インサイダー取引や情報操作などの防止については、プライベートな関係があるか否かに関わらず徹底しており、この方針に変更は一切ありません」

(週刊文春 2014.09.25号)


・・・・記事全体は、ぜひ本誌をご覧ください。

箱根でゼミ合宿(2日目) 3年生個人研究発表

箱根でゼミ合宿(2日目) 続・3年生個人研究発表

箱根でゼミ合宿(2日目) 卓球温泉!?

箱根でゼミ合宿(2日目) 番組企画コンペ


週刊新潮で、朝日新聞「次期社長」覇権争いについてコメント

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朝日新聞の木村社長が退任次期を先延ばししために、社内では覇権争いが勃発しているそうだ(やれやれ)。

発売中の「週刊新潮」最新号に記事が掲載され、その中でコメントしています。


タイトル:
社長辞任先延ばしで勃発する「政治部」「社会部」覇権争い

記事によれば・・・

・現在、次期社長レースを展開しているのは、持田周三常務(59)と佐藤吉雄常務(56)。

・これは2人の出身母体である政治部と社会部の争いだという。

・そして、政治部出身の社長が2代続いているのが現状。

で、記事の続きは・・・


「朝日ではかつて1人しか、社会部出身者が社長に就任したことはない。確かに、佐藤常務が次期社長になれば、世間に社風刷新もアピールできるかもしれません」(幹部社員)

とはいっても、所詮は単なる社内抗争に過ぎない。

上智大学の碓井広義教授(メディア論)が指摘する。

「笹川一族の世襲批判を受けた日本財団が、曽野綾子さんに会長就任を要請したように、朝日は外部からの招聘も考慮すべきです。それこそ、コラム掲載のトラブルをなにかの縁として、池上彰さんに社長になってもらうのはどうでしょうか。世間の朝日を見る目も一瞬にして変わるはずです」

それくらいしなければ、朝日の独善的な体質は改善できないのだ。

(週刊新潮 2014.09.25号)


・・・・記事全体は、ぜひ本誌をご覧ください。

箱根でゼミ合宿(最終日) おつかれさま!

朝日新聞で、日本テレビ「好調の理由」を解説

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10月改編を目前に、朝日新聞が好調の日本テレビに関する記事を掲載。

この中で、解説しています。


日テレ、視聴率DASH!!
今年の視聴率争いで、日本テレビがトップを快走している。1〜6月の視聴率3冠王(ビデオリサーチ調べ、関東地区)に輝き、好調を維持。10月改編で民放各局が新番組投入でてこ入れをはかるなか、ドラマ以外のほとんどの番組をそのまま継続する。突出した強さの秘密はどこにあるのか。

 ■日曜夜、企画育て定着

東京湾に浮かぶ人工の無人島「第二海堡(かいほ)」。9月初め、人気バラエティー「ザ!鉄腕!DASH!!」のロケでTOKIOの城島茂と山口達也が初上陸した。雑草の力強さに感動し、炎天下での釣りに没頭する。好奇心の赴くまま行動する2人をカメラが追う。

ロケは28日放送の3時間スペシャルの企画。島にテレビカメラが入ったのは初めてで、島の生物の生態調査の許可が国から下りた。

DASH!!は放送開始から19年。ゲストもなく、5人はめったにそろわない。それでも愛されるのはTOKIOとスタッフの雑談などから生まれる企画を楽しんで採り入れる懐の深さにあるようだ。城島も「僕らはがむしゃらにやっているだけ。スタッフと表裏一体で作り上げてきた」と言う。

島田総一郎プロデューサーは「5人がやりたいことをやるのが軸。変にテレビを意識せず、ありのままの姿を見せる形が今の視聴者に受けるのでは」と話す。

全日帯(午前6時〜翌午前0時)、ゴールデン帯(午後7〜10時)、プライム帯(同7〜11時)のいわゆる「視聴率3冠」で日テレは独走状態だ。全日帯は、昨年12月第2週から40週連続でトップを保つ。

好調の象徴がDASH!!を含む日曜夜の番組だ。「笑点」から始まり、「真相報道バンキシャ!」「世界の果てまでイッテQ!」「行列のできる法律相談所」「おしゃれイズム」と常時2ケタの高視聴率番組が続く。多彩な番組をそろえ、他局の追随を許さない。

10月期の改編率は全日帯で4・0%で、ほぼ変えていない。八木元・編成部担当部次長は「番組が当たっているということ。番組の枠は変えず、その中でいろんな企画を試す努力が、数字につながっているのではないか」と話す。

他局に比べ、視聴率の基礎をつくるレギュラーのバラエティー番組は日テレの安定度が抜群だ。13〜49歳の「コアターゲット」層の視聴習慣を定着させる戦略があたっているようだ。

上智大学の碓井広義教授(メディア論)はこうみる。

「際だつのは企画の重視。一度始めた企画を長く大事に育てる傾向がある。イッテQ!など大物タレントを起用せずとも企画力次第で人気を得た番組も多い。根底にあるのは作り手のこだわりや思い入れだ。

また、テレビは日常のメディアだからこそ目先の数字に振り回されず視聴習慣が根付くのを待つ。その姿勢が功を奏しているのでは」

(安斎耕一)

 ■他局、番組改編で対抗 

「1強」の日テレに他局はどう対抗するのか。

「週末に勝てないと、全日でも勝てない」。フジテレビの大多亮常務は12日、定例会見で力を込めた。10月改編では日テレが圧倒的に強い日曜夜を崩すため、「重量級」の歌手、美輪明宏を起用したニュースバラエティーをぶつける。TBSも22年続いた「さんまのスーパーからくりTV」に終止符を打ち、家族で楽しめる衝撃映像番組を始めることにした。テレビ東京も午後10時台に、ジャニーズの5人が週替わりで登場する生放送をレギュラー化する。

テレビ朝日は深夜帯で五つ以上の新バラエティーをスタートさせる。深夜で企画を育て、視聴率が取れる強い番組をゴールデン帯に投入していく戦略だ。こうして生まれた出世頭の「坂上忍の成長マン!!」は10月から日曜午後6時半に移動。「日テレ崩し」の一翼を担うことが期待されている。

(中島耕太郎)

<朝日新聞夕刊 2014.09.20>

日曜のキャンパスで「9月入試」

『こんなコラムばかり新聞や雑誌に書いていた』の文庫化

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『ぼくは散歩と雑学がすき』『いつも夢中になったり飽きてしまったり』に続いて、植草甚一さんの『こんなコラムばかり新聞や雑誌に書いていた』が、ちくま文庫から出ました。

えらいぞ、筑摩書房!(笑)

単行本が晶文社から出版されたのは、ちょうど40年前の1974年で、私の大学時代だ。

この本の中の「中間小説研究」は、月刊小説誌のほとんどをひたすら読んで、アンテナに引っかかったものについてひたすら書くという、東京新聞の連載だった。

66歳でこれをやっていたんだから、やはり植草さんはすごい。

この文庫本には、前2作と違って、巻末に「索引」が付いている。

これも実に貴重で、有難いモノなのです。


ということで、今週の「読んで書評を書いた本」は次の通りです。

永江 朗 『誰がタブーをつくるのか?』 河出書房新社

石光 勝 『生誕101年 「カミュ」に学ぶ本当の正義』 新潮社

逢坂 剛 『私のミステリー』 七つ森書館

千葉雅也 『別のしかたで〜ツイッター哲学』 河出書房新社

* これらの書評は、
  発売中の『週刊新潮』(9月25日号)
  読書欄に掲載されています。

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