Quantcast
Channel: 碓井広義ブログ
Viewing all 5563 articles
Browse latest View live

没後13年 稀代のプロデューサー「萩元晴彦」小伝 第3回

$
0
0
Lahaina,Maui,2014

9月4日は萩元晴彦さんの命日でした。1930年、長野県生まれ。早稲田大学文学部露文科卒。ラジオ東京(現在のTBSテレビ)に入社し、ラジオそしてテレビ番組の制作に携わります。

やがて1970年に仲間と共に日本初の番組制作会社テレビマンユニオンを創立。数々のプロデュースを行っていきます。その仕事はテレビの枠を超え、幅広い文化の創造に寄与するものでした。

亡くなったのは2001年、享年71。

没後13年を機に、プロデューサー萩元晴彦の軌跡をふり返り、そして次代に伝えたいと思います。


没後13年 
稀代のプロデューサー「萩元晴彦」小伝 
第3回

大型ドキュメンタリードラマへの挑戦

再度、萩元の70年代後半に戻ろう。この時期も、萩元は放送の歴史に残る大仕事をしている。日本初の3時間ドラマの実現だ。1977(昭和52)年にTBSから放送された『海は甦る』である。

主人公は日本海軍の父と呼ばれた山本権兵衛。原作者は山本の孫に当たる江藤淳。日露戦争の日本海海戦を背景にした、日本海軍の人々とその家族の物語だ。時の海軍大臣だった山本をはじめ、連合艦隊司令長官・東郷平八郎、参謀の秋山真之、旅順港閉塞作戦の広瀬武夫といった、多彩な人物が織り成す壮大な叙事詩だった。

実は、この番組の成立には前段がある。放送から2年前の1975(昭和50)年、萩元がプロデュースし、今野勉が演出した『欧州から愛をこめて』(日本テレビ)がテレビ界に大きな衝撃を与えていた。太平洋戦争の終結をめぐる秘話を描くこの番組で、萩元たちは史実を探るドキュメンタリーと、史実を再現するドラマとを見事に融合させ、後に「ドキュメンタリードラマ」の先駆けと呼ばれる一本となった。

たとえば、実在の人物である元海軍武官・藤村義朗本人が、彼を演じる俳優と共に画面に登場した。藤村役には、萩元が親友の仲代達矢を起用したが、仲代もこの大胆な演出には緊張したという。

『欧州から愛をこめて』の成功によって、この後、テレビマンユニオンは『燃えよ!ダルマ大臣〜高橋是清』(フジテレビ)、『B円を阻止セヨ!』(フジテレビ)など一連のドキュメンタリードラマを制作することになる。『海は甦る』は、いわばその集大成だった。

『海は甦る』のスポンサーは日立、広告代理店は電通、制作がテレビマンユニオン、そして放送局はTBSだ。この“座組み”は、約10年後の1986(昭和61)年に始まることになる『世界ふしぎ発見!』とまったく同じである。制作する一本一本の番組こそが、作り手にとって最大最強のプロモーションであることを、萩元は熟知していた。

1987年当時、日本のテレビ界には「長時間ドラマ」という概念も実例も存在しなかった。しかし、原作者の強い後押しなどもあり、萩元たちは夜9時から12時という3時間の一挙放映を実現させる。

そもそもプロデューサーとは何をする人か? 煎じ詰めれば「ひと・もの・かね」に責任を持つのが仕事である。最初の「人」には二種類ある。俳優やタレントなど番組に出る人(キャスト)と、創る人(スタッフ)を誰にするか、プロデューサーはその決定権を持っている。次に、「もの」は中身・内容だと言える。どんな番組にするのか、その内容を決めなくてはならない。最後の「金」もまた二つある。入ってくる金(予算確保)と、出て行く金(予算管理)に責任を持つことだ。

萩元は、『欧州から愛をこめて』に続いて仲代達矢を山本権兵衛に、その妻には吉永小百合、娘に大竹しのぶ、さらに広瀬武夫を加藤剛が演じるという豪華キャストを配した。演出はもちろん今野勉ディレクター。制作予算も、当時としては破格の8千万円を確保した。国内だけでなく、レニングラードでも撮影を行ったが、ロシアでのロケは日本のテレビ界では初のことだった。

視聴者にとって三時間という未体験の長さを心配する声もあったが、放送してみると30%近い高視聴率を獲得した。演出の今野の証言を借りれば、「放送日の翌朝、この数字が明らかになった瞬間、3時間ドラマは社会現象となった」のである。

3時間ドラマという“新たなジャンル”は、「日本の近代化時代の家族」というコンセプトで統一され、シリーズ企画となった。その後の5年間に、テレビマンユニオンとTBSがそれぞれ5本ずつ、計10本が制作された。

音楽プロデューサーとして

『先生!聞いてください〜斎藤秀雄メモリアルコンサート』を制作した1984(昭和59)年に、萩元は東京・赤坂に出来た「サントリーホール」のオープニング・シリーズ総合プロデュースを依頼される。クラシック音楽に対する造詣。一流の演奏家たちとの交流と信頼関係。確かに、萩元ほどの適役はいなかった。

真新しいステージで、ウィーン・フィルがベートーべンの第2番と7番を演奏し、内田光子がピアノの鍵盤に向かい、御喜美江がクラシック・アコーディオンを奏でた。さらに、当時の世界中の作曲家に新作を委嘱して、それを演奏するという企画もあった。武満徹、ユン・イサン、ヤニス・クセナキス、そしてジョン・ケージまでがこれに参加したのである。

そして2年後、サントリーホールの立ち上がりを見届けた萩元は、主婦の友社が御茶ノ水に開設する新しいホールの総合プロデューサーに就任する。以前から室内楽への想いを抱いていた萩元は、そこを日本では珍しい室内楽専用ホールとすべく尽力した。

特に、ホールの名前を、敬愛する世界的チェロ奏者にちなんで「カザルスホール」とすることは萩元の夢だった。しかし、パブロ・カザルスの未亡人は、それまで世界中からの同様の要請をすべて断り続けていた。

1987(昭和62)年1月、萩元は米国ワシントンに飛ぶ。カザルス未亡人であり、当時ワシントンのケネディセンターでパフォーミングアーツの責任者を務めていたマルタ・イシュトミンに会うためだった。

萩元の申し出をじっくりと聞いたイシュトミン夫人は、静かな声でこう答えた。「カザルスの名前を冠するには、カザルスの意志を志すホールにすることが必要です。それが満たされる限り、彼の名前を用いてかまいません。費用もいりません。ただし、この意志の反映が見られなくなったとき、カザルスの名前は返上していただきます」。

そして、「意志の反映」の具体案を萩元に求めてきた。萩元は答える。「よくプランニングされたホール主催のコンサートシリーズがあること。レジデント・アーティスト(ホール所属の演奏家)を持つこと。若手音楽家育成のプログラムがあること。そして、チェロのシリーズ・プログラムがあることをお約束します」。萩元がこの日のために周到な準備をした完璧なプレゼンテーションだった。

夫人は萩元の説明を聞き終わると、躊躇することなくこれに同意した。また、同時に、付帯条件を加えてきた。それは「今の提案について、ミスター・ハギモトがこれに関わり、その保証をすること」だった。

「カザルスホール」は、こうして生まれた。萩元は夫人との約束を固く守り、この「音楽と音楽家に献身するホール」の仕事を晩年まで大切にした。

(以下最終回に続く 文中敬称略)

【気まぐれ写真館】 気がつけば、秋空

没後13年 稀代のプロデューサー「萩元晴彦」小伝 最終回

$
0
0
Lahaina,Maui,2014

9月4日は萩元晴彦さんの命日でした。1930年、長野県生まれ。早稲田大学文学部露文科卒。ラジオ東京(現在のTBSテレビ)に入社し、ラジオそしてテレビ番組の制作に携わります。

やがて1970年に仲間と共に日本初の番組制作会社テレビマンユニオンを創立。数々のプロデュースを行っていきます。その仕事はテレビの枠を超え、幅広い文化の創造に寄与するものでした。

亡くなったのは2001年、享年71。

没後13年を機に、プロデューサー萩元晴彦の軌跡をふり返り、そして次代に伝えたいと思います。


没後13年 
稀代のプロデューサー「萩元晴彦」小伝 
最終回

集大成――長野冬季オリンピック開・閉会式の制作

かつて赤坂にあったテレビマンユニオンの本社に、劇団四季の浅利慶太が萩元を訪ねて来たのは、1995(平成7)年4月のことだ。3年後に開催される長野冬季オリンピックの開閉会式総合プロデューサーに就任した浅利は、この席で萩元に協力を依頼する。

「オリンピックの開閉会式は、テレビを通じて世界の何十億という人が観る。会場でどう見えるかも大事だが、完成形はブラウン管の中だと思っている。だから、萩さんの助けが必須なんだ」。浅利は古くからの友人らしく率直に語った。

萩元は快諾し、2人はその場で、後に「総合プロデューサーチーム」と呼ばれることになるメンバーの人選に入った。

翌年、正式に発表された名前は以下の通りだ。総合プロデューサー:浅利慶太、シニアプロデューサー:萩元晴彦、音楽アドバイザー:小澤征爾、イメージ監督:新井 満(芥川賞作家)、映像監督:今野 勉。

それぞれのジャンルの第一人者が集まり、一つの国家的イベントを創り上げていく。それは、萩元がこれまで築いてきたテレビプロデューサー、音楽プロデューサーとしてのキャリアを集大成したような、まさに「プロデューサー」冥利に尽きるプロジェクトだった。

1996(平成8)年の夏、萩元は米国アトランタのスタジアムにいた。総合プロデューサーチームのメンバーと共にアトランタ五輪の開会式を視察に来ていたのだ。

真夏のアトランタは暑い。夜になり、開会式が始まっても気温は下がらない。汗だくのまま観客席にいる萩元たちの目の前では、まるでラスベガスのショーのような、華やかなアトラクションが延々と繰り広げられていた。

やがて会場内が静まり、照明が変わった。すると、スタジアムの上段からトラックまでをつなげた巨大なスロープを、選手たちがどっと降りてきた。場内が大きな歓声と拍手でいっぱいになる。ようやく“本編”が始まったのだ。

実はこの開会式の最中に、ある国のコーチが心臓発作で亡くなるという事故が起きた。猛烈な蒸し暑さの中、選手団はアトラクションが終わるまでの長い時間スタジアムの外で待たされた。そして、いざ入場となると、階段を駆け上がり、次に斜面を一気に下り降りた。これが心臓にきたという。

「開会式の主役は世界から集まってくれた選手たち。彼らを大切にしない開会式は駄目です。観客を楽しませることが開会式の目的ではありません」。帰国後、最初のミーティングで萩元はそう発言した。

続けて「私たちはアナザーウエイ(別の道)を行くべきです」と。結果、長野五輪はアトランタを“反面教師”とした、「簡素で、厳粛で、精神性の高い」開会式を目指すことになったのだ。

1998(平成10)年2月7日、午前11時。長野冬季オリンピック開会式の本番開始を、萩元は会場であるスタジアムの制作関係者席から見守っていた。善光寺の鐘で始まり、諏訪の御柱が立ち、力士の先導によって選手たちが登場する。そして、横綱土俵入り、聖火ランナー入場とプログラムが続いていく・・・。

善光寺の鐘や御柱は、開催地である長野市や信州をアピールしたものだ。相撲は日本の国技であり、この国でスポーツの祭典が行われることの象徴だった。これらローカル(長野)、ナショナル(日本)の次のイメージは、オリンピックらしくインターナショナル(世界)ということになる。

ベートーベンの「第九・歓喜の歌」を、世界五大陸の合唱団が、長野にいる小澤征爾のタクトに合わせて、同時生中継で歌う。これこそ萩元たちが構想したインターナショナルな山場だった。

このプログラムの実現には、世界各地との時差という大問題があった。萩元たちは、この解決をNHK技術研究所に依頼。技研は「タイムラグ・アジャスター」と呼ばれる装置を開発して、これに応えてくれた。

見事、五大陸と長野がつながって、世界規模の大合唱が聞こえてきたとき、萩元の脳裏には、亡き父・隼人のことが浮かんでいた。それは1838(昭和13)年、新宿の武蔵野館で、父に肩車をしてもらいながらベルリン・オリンピックの記録映画『民族の祭典』(監督:レニ・リーフェンシュタール)を観たときの光景だった。

その鮮烈な映像美と共に、スポーツの素晴らしさ、人間の肉体の美しさに感動していた八歳の萩元。一方、満員の映画館、しかも肩車だったから、父とつないでいた手はずっと汗ばんだままだ。少年のどこかやるせない想いは、長く萩元の記憶の底に残っていた。

後に萩元は開会式の制作当時を振り返って、こう述べている。「私は親父が良かったぞと言ってくれるような開会式と閉会式にしたいと思って仕事をしているのだ。・・・親父の手を握っているつもりなのである」。

世界をつなぎ、国境を越えた「第九」の合唱が続いていた。スタジアムの片隅、68歳の萩元の隣には、きっと息子の肩を抱く父の姿があったはずだ。

そして、静かなる熱狂へ

「あらゆる新しいこと、あらゆる美しいこと、あらゆる素晴らしいことは、一人の人間の熱狂から始まる」――それは晩年の萩元が好んで書き、また口にした言葉である。

1994(平成6)年に制作した札幌テレビ創立35周年記念ドラマは、世界的な彫刻家イサム・ノグチの生涯を描いたものだ。萩元はそのタイトルを『静かなる熱狂』としていた。人生の最後まで、創造の炎を燃やし続けた芸術家に、制作者としての自らの歩みを重ねたのかもしれない。

「熱狂の人」への思い入れは、最後の作品となったスペシャルドラマにも反映されている。選んだ原作は『聖(さとし)の青春』。難病と闘いながら、29年の短い生涯を生き抜いた天才棋士・村山聖A級八段の伝記である。

その生涯は純粋で激しく、哀しくて温かい。諦めずに己の道を究めようとした青年棋士を、萩元は優しい眼差しで描いた。1994(平成13)1月6日に放送されたこのドラマの共同プロデューサーは、松本深志高校(萩元は旧制松本中学)の後輩にあたる合津直枝(深志24回卒)である。


個人史がそのまま日本の放送史、文化史となるような萩元の足跡をたどるとき、萩元晴彦自身が紛れもない「熱狂の人」だったことが分かる。そして、その熱狂は、ジャンルを問わず「何ものかを生み出す人々」に伝播し、これからも受け継がれていくはずだ。

2001(平成13)年9月4日、時代の最前線を悠々と疾走し続けた71歳の熱狂の人は、ひとり静かな眠りの中に入っていく。

10日後に行われた葬儀の会場は、萩元が精魂を傾けて育てたカザルスホールだった。

この日、萩元の盟友・小澤征爾は、「サイトウ・キネン・フェスティバル」が開催されていた松本から駆けつけ、遺影に呼びかけた。

「萩さん。今朝、僕は、萩さんが大好きだった深志高校へ通った道を、萩さんのお葬式に出るために、歩いて来たんだよ・・・」

そう言って、小澤は泣き出した。    

(完 文中敬称略) 


<参考文献>

今野 勉 『今野勉のテレビズム宣言』 フィルムアート社 、1976
今野 勉 『テレビの青春』 NTT出版、2009
重延 浩 『テレビジョンは状況である〜劇的テレビマンユニオン史』
岩波書店、2013
テレビマンユニオン:編 『テレビマンユニオン史1970―2005』
テレビマンユニオン、2005
萩元晴彦 『赤坂短信』 創世記、1976
萩元晴彦 『甲子園を忘れたことがない』 日本経済新聞社、1981
萩元晴彦 『萩元晴彦著作集』 郷土出版社、2002
萩元晴彦、村木良彦、今野 勉
『お前はただの現在にすぎない〜テレビになにが可能か』
田畑書店、1969/朝日文庫、2008
深志人物誌編集委員会:編 『深志人物誌3』
松本深志高等学校同窓会、2008
村木良彦
『ぼくのテレビジョン〜あるいはテレビジョン自身のための広告』
田畑書店、1971
村木良彦 『創造は組織する―ニューメディア時代への挑戦』
筑摩書房、1984

「日本民間放送連盟賞」の発表

$
0
0

「日本民間放送連盟賞」(通称「民放連賞」もしくは「連盟賞」)の審査結果が発表されました。

審査員をさせていただいているのは「放送と公共性」部門、「テレビエンターテインメント番組」部門の東京地区、そして「ラジオ生ワイド番組」部門の東海・北陸地区の3つです。

まず、「放送と公共性」部門の表彰事績は以下の通りです・・・・

最優秀 ドキュメンタリー映画とテレビの未来
東海テレビ放送
実施責任者 伏原健之
東海テレビ放送は、平成23年から7本のドキュメンタリー映画を全国の劇場で順次公開した。「平成ジレンマ」「青空どろぼう」「死刑弁護人」「約束 名張毒ぶどう酒事件死刑囚の生涯」など、いずれもテレビドキュメンタリーを再編集したもので、劇場だけでなく各地で自主上映会を重ねてきた。映画化により地方局の番組を全国に発信するだけでなく、繰り返し上映することで埋もれていた問題を顕在化することができた。賛否あるテーマに挑戦し続けていることや、観客のリアルな反応を感じ、テレビの表現が抱える閉塞感を認識するなど、映画化で得たものを生かしてテレビの可能性を広げようとする点が高く評価された。

優 秀 HTB詐欺撲滅キャンペーン「今そこにある詐欺」
北海道テレビ放送
実施責任者 坂本英樹
北海道テレビ放送は、平成25年5月27日から平日夕方の情報番組「イチオシ!」のニュース企画で「今そこにある詐欺」と題して詐欺撲滅キャンペーンを開始。毎日欠かさず情報を伝え続けて放送回数は1年で250回を超えた。被害者の多くが高齢者であることから、細かい詐欺の手口や被害防止のポイント解説を重視し、最新かつ独自の情報を伝えている。理不尽な犯罪を撲滅するという意識を社内で共有するため、特別チームを編成せずに、記者が日々交代で取材にあたる。“毎日詐欺情報を扱うこと”を自ら課していることが番組作りのエネルギーになっている。常に新しい情報をわかりやすく伝え、地域の視聴者を犯罪から守ろうとする姿勢が評価された。

優 秀 「未来へ伝える〜私の3.11」手記募集
IBC岩手放送
実施責任者 姉帯俊之
IBC岩手放送は平成24年から、東日本大震災にかかわる忘れられない体験や伝えたい想いを県民から募集し、ラジオ番組「大塚富夫のTOWN」で朗読している。前身番組から約30年同じスタイルを貫き、リスナーからの葉書やFAXの紹介などフリートークが中心。届いた手記は全て番組で紹介し、平成25年8月には、一部の手記を朗読CD付き書籍にまとめ出版した。普段からの地域密着の姿勢に加え、ベテランアナウンサーの人柄が多くの投稿に結びついている。活字に残すことで被災した県民の思いを末永く語り継ぎ、未来への道標に役立てたいという取り組みが評価された。

優 秀 ヒューマニズムに訴え続けた20年〜日中韓共同制作による相互理解〜
福井テレビジョン放送
実施責任者 豊岡 猛
福井テレビジョン放送は、中国・杭州文化広播電視集団と韓国・春川文化放送との3社間で、平成6年に友好親善協約を結んだ。以来、幹事局持ち回りで毎年1本ずつ共同番組を制作し、それぞれの国で放送している。内容はヒューマニズムに訴えるテーマとし、相互理解を深めることに主眼を置いた。政治情勢の異なる3国での共同作業は決して平たんな道のりではなかったが、長年の社員交流で培った固い絆で乗り越えてきた。政情不安定な時期だからこそ、各国の視聴者に届ける共同番組の意義は大きい。単なる交流ではなく、多くの課題がある中で共同制作を20年間続けてきたことが評価された。

優 秀 報道キャンペーン「暮らしの防災」と、防災・減災を伝える放送外活動
名古屋テレビ放送
実施責任者 五十嵐信裕、大川敦子
名古屋テレビ放送は、南海トラフ地震や台風などによる大災害に備えるため、「暮らしの防災」をニュース情報番組内の週1回レギュラー企画とし、この2年間に約70回放送した。地域住民が日々の暮らしの中に「防災・減災活動」を取り込むことや、普段から非常時の対応を練習しておくことをテーマに制作・放送している。また、番組スタッフが防災に関する啓発活動や人材育成を目的とした講義を行ったり、アナウンサーが災害体験の伝承を目的とした「防災絵本」朗読などを行っている。放送局が“巨大地震は起きる”という前提に立ち、住民による防災の必要性を具体的に訴え続けていること、多岐にわたる地域に密着した放送外活動が評価された。


次に、「テレビエンターテインメント番組」部門では、私たち東京地区審査会が推したWOWOWの番組が優秀賞に入りました・・・・

優 秀 KAZEOKE チャンピオン大会スペシャル
W O W O W
プロデューサー 遠藤 裕、秋葉英行、演出 西方健保、
構成 加藤正人
「風が吹けば桶屋が儲かる」。この「風が吹く」と「桶屋が儲かる」からなる“前後ストーリー”をお題に、間に挟まる“間ストーリー”を、第一線で活躍する映画監督や漫画家といったクリエーターたちが作り、その優劣を競い合うというコンセプト。作家それぞれの物語作りの過程も描くことで、創作作業の面白さを伝えると同時に、仕上がりに対する想像力をかき立てる構成になっている。番組の企画自体のオリジナリティも高い。


そして、「ラジオ生ワイド番組」部門では、東海・北陸地区から推薦した北日本放送の番組が優秀賞でした・・・・

優 秀 とれたてワイド朝生!スペシャル どんとこい!更年期!
北日本放送
制作統括 土肥尚彦、ディレクター 宮腰昌隆、アナウンサー 陸田陽子、木下一哉
月〜金/9時〜11時50分の放送。今回は女性専門クリニックを運営する種部恭子医師をメインゲストに迎え更年期の正しい知識について解説したスペシャル版。更年期に悩むリスナーや更年期を卒業したリスナーからの生の声を放送することで、女性だけでなく男性も更年期について知識や理解を深められる構成となっている。2人のパーソナリティの息もぴったりで、リスナーの更年期に対する関心を更に高めている。

(解説は民放連サイトより)


・・・・いずれも、関係各局の皆さん、おめでとうございます!

【気まぐれ写真館】 続 ・ 気がつけば、秋空

見てソンはない航空サスペンス『フライト・ゲーム』

$
0
0



かなりのヒコーキ好きということもあり、とにかくヒコーキが出てくる映画は大歓迎。

特に“航空サスペンス”は、必ずと言っていいほど見てしまいます。

中には、ジョディ・フォスター主演の『フライトプラン』みたいな、「あらま、ハズレだ」の作品もありますが(笑)、まあ、ヒコーキが飛んでいてくれれば良し、としたりして。

公開中の『フライト・ゲーム』ですが、これは面白かった。

いわゆる“めっけもん”です。

ヒコーキという密室が巧みに生かされていました。

ニューヨークより146人の乗客乗員が搭乗した、ロンドンへと向かう旅客機。その警備を任されている連邦保安官ビル・マークス(リーアム・ニーソン)のもとに、1億5,000万ドルを指定口座に入金しなければ20分おきに機内の人間を1人ずつ殺害するという異様な犯行予告メールが届く。限定されたネットワークからメールが送信されたことから同僚が犯人ではないかと思いつつ、犯人の特定に奔走するビル。そしてメールの内容通りに、機内で1人ずつ人が命を落とす。やがて、地上から犯人が指定した口座はビルのものであることが判明する。

一見、あり得ないような設定なのに、いつの間にかストーリーに呑み込まれている。

やはり脚本がよく出来ているんですね。

そこが『フライトプラン』との違い(笑)。

リーアム・ニーソン、62歳。頑張ってます。

週刊新潮で、「松田龍平・翔太」兄弟についてコメント

$
0
0

発売中の「週刊新潮」最新号に、俳優の松田龍平・翔太兄弟に関する記事が掲載されました。

この中で、コメントしています。


記事タイトル:
「松田優作」の背中が遠い 「龍平」「翔太」芸能界の明暗

亡き父の後を追って、着実に芸能界での地歩を固めつつある長男・龍平さん(31)に対して、次男・翔太さん(29)は、という内容ですね。

例によって、記事全体は本誌をご覧ください。

以下、私のコメント部分です・・・・

「龍平さんは2007年に出演したNHKのドラマ『ハゲタカ』で評価が高まった。龍平さんが演じたIT企業の社長は、何を考えているか分からず、捉えどころのない男。普段は笑顔も見せないが、一旦?やる?と決めたら突き進む。そういう役柄を演じている時の彼は、父である松田優作を思わせるものがあります」

と、上智大学の碓井広義教授(メディア論)は語る。

「ですから、龍平さんと翔太さん、どちらが親父に近いかといえば、それは龍平さんの方だと思います。その表情からは読み取れないものの、きっと内面では色々な葛藤を抱えているんだろうな……。そんな思いを、彼は見る人に抱かせることができる。そういった演技は父親譲りだと思います」

・・・・続いて翔太さんについてですが、記事によれば、出演したフジテレビ『海の上の診療所』の収録現場で「俺はこんな役やりたくねえ」とゴネたとか、事務所の移籍問題などに触れています。

で、翔太さんの今後について、私のコメントは・・・・

先の碓井教授の話。

「個人的な意見としては、翔太さんは兄と同じ事務所に移ったことだし、一度兄と共演してみるといい。兄弟でぶつかり合うことで翔太さんの力も湧くだろうし、起爆剤になるはず」

草葉の陰の父もそれを望んでいるに違いない。

(週刊新潮 2014.10.02号)


・・・・龍平さんはもちろんですが、翔太さんもいい役者ですので、ぜひ、いい方向に行ってほしいと思っています。

いや、ホントに(笑)。

【気まぐれ写真館】 羽田空港 2014.09.26


朝日「次期社長」騒動についてコメントした「週刊新潮」記事全文

$
0
0
先日、朝日新聞「次期社長」騒動に関するコメントが掲載された、「週刊新潮」の記事が新潮社サイトにアップされました。

全文が読めるようになったので、以下に転載しておきます。


【朝日新聞】社長辞任が先延ばしで勃発する
「政治部」「社会部」覇権争い
退任時期を先延ばしにした木村社長のせいで、目下、朝日の社内では覇権争いが勃発。次期社長レースで、「政治部」と「社会部」がつば迫り合いを演じているという。しかし、コップの中の嵐に終わってしまっては、世間の冷たい視線は収まらない。

9月11日の謝罪会見で、木村社長は、改革の道筋がついたら進退を決めるとしたものの、その時期については明らかにしなかった。

同社の幹部社員が言う。

「社内で入り乱れる諸説のうち、今年いっぱいでの退任というのが、最も有力視されている。さすがに、年を跨いで居座ることはないだろうと。ただ、その間、木村社長がレームダックとなるのを見越し、早くも覇権争いが始まっているのです」

現在、次期社長レースでデッドヒートを繰り広げているのは、持田周三常務(59)と佐藤吉雄常務(56)の2人だという。

「長野“虚偽メモ問題”のとき、編集局長だった木村社長とともに処分を受けたのが、政治部長を務めていた持田さんでした。政治畑である木村社長の子飼いと見られている人物です。ただ、秋山耿太郎前社長の不興を買い、一度はテレビ朝日系列の北海道テレビに左遷されました。ところが、木村社長が昨年6月に呼び戻すと常務に大抜擢し、一躍、次期社長の最有力候補となったのです」

■外部招聘

なのに、なぜ、すんなりと、持田“新”社長誕生とはならないのか。

別の幹部社員によれば、

「池上問題でヘタを打った杉浦前編集担当役員をはじめ、渡辺勉編成局長や『吉田調書』報道を担当した特別報道部のデスクも政治部出身です。社内では、政治部のおかげで、世間の批判に晒されたという不満が鬱積しているのです」

そのため、“政治部支配”を打破すべく、とりわけ、社会部出身のグループが勢力拡大を図っているという。

「例えば、社会部OBには謝罪会見に出ていた喜園尚史広報担当執行役員、福地献一取締役社長室長などがいる。そんな社会部畑の連中が次期社長にと推しているのが、佐藤常務なのです」(同)

佐藤常務は東京本社の社会部デスク、部長代理などを経て、役員就任後はデジタルビジネスや新規事業開発部門を担当している。

「朝日ではかつて1人しか社会部出身者が社長に就任したことはない。確かに、佐藤常務が次期社長になれば、世間に社風刷新もアピールできるかもしれません」(同)

とはいっても、所詮は単なる社内抗争に過ぎない。

上智大学の碓井広義教授(メディア論)が指摘する。

「笹川一族の世襲批判を受けた日本財団が、曽野綾子さんに会長就任を要請したように、朝日は外部からの招聘も考慮すべきです。それこそ、コラム掲載のトラブルをなにかの縁として、池上さんに社長になってもらうのはどうでしょうか。世間の朝日を見る目も一瞬にして変わるはずです」

それくらいしなければ、朝日の独善的な体質は改善できないのだ。


「特集 十八番の「自虐」はどこへ行った? 『朝日新聞』謝罪が甘い!!!」より

(週刊新潮 2014年9月25日号掲載)

【気まぐれ写真館】 札幌 気温16度

HTB北海道テレビ「イチオシ!」で・・・

$
0
0
「イチオシ!」MCの国井アナとヒロ福地さん
札幌に来ています。

9月末の札幌。

やはり空気が違います。

爽やか、というか涼しい(笑)。

HTB「イチオシ!」で、コメンテーターです。



2020年の東京オリンピックと地方について話をしました。

基本的にオリンピックは開催する「都市」のものですが、東京だけを見て帰ってもらうのはモッタイナイ。

地方は今から、いわば「五輪ツーリズム」みたいなものを準備すべきだと思います。



いつもスタジオでお会いするオクラホマの河野さんが、全国ライブツアー中で不在のため、そのトレードマークである「半そでシャツ」を代行したのですが、空調の効いたスタジオでは、さすがに涼し過ぎでした(笑)。


27日(土)は朝7時から、「イチオシ!モーニング」生出演です。

よろしく、お願いします!

【気まぐれ写真館】 HTBの精鋭部隊!?

【気まぐれ写真館】 今週の「国井美佐アナウンサー」

HTB「イチオシ!モーニング」で・・・

$
0
0

土曜日の「イチオシ!モーニング」は、野球解説の岩本さんによる「ファイターズ情報」が目玉。

前日の試合の勝敗は、スタジオの盛り上がりに、大いに関係します。

とはいえ、たとえ昨日のように8対1でロッテに負けた翌朝であっても、岩本さんの話を聞いていると、負けた気がしません(笑)。

それと、今回は、「金子誠選手の引退発表」というビッグニュースもあり、これまた岩本節が炸裂。



ニュースのコーナーでは、小学校5年生から「英語を教科に」という文科省有識者会議の提言についてコメントしました。

小学校の先生も「中学英語免許」を持つ必要が出てくること、英語の授業を置くために何を削るのかなど、課題はあれこれあります。

大学もまた英語による講義を増やし、外国人教員も増加するなどの方向で動いており、国を挙げての「教育のグローバル化」はますます進みそうです。

大事なのは、その「狙い」でしょう。

小学校から大学までの教育を通じて、この国の経済に資するための、いわゆる海外向けビジネスマンを大量生産しようとしているだけではないといいのですが・・・・。



土曜日MCの木村愛里さん&依田アナウンサー


ファイターズガールの和音さん、野球解説の岩本さん


スポーツ担当の室岡アナウンサー

【気まぐれ写真館】 今週の「木村愛里さん」


【気まぐれ写真館】 札幌の街角で〜ギャツビー・ガール!?

【気まぐれ写真館】 千歳市・柳ばし「特製 塩レモンのチキンソテー定食」

昭和の作家たちに会える、阿川佐和子『あんな作家こんな作家どんな作家』

$
0
0



「うーん、上手いなあ」と思わずつぶやいてしまった。

阿川佐和子さんの文庫新刊『あんな作家 こんな作家 どんな作家』(ちくま文庫)だ。

名だたる作家にインタビューして、エッセイ風の文章にまとめる。

これ、なかなか難しい仕事ですよね。

読者って欲張りだから、その人の“人となり”と作品についてはもちろん、過去から現在(書いた時点での)までの軌跡や、“ここだけの話”も欲しくなる。

それを短い文章で、それも読ませる文章で仕上げるのだ。

ベースにあるのは、相手を構えさせず、媚びず、また慇懃にならずという、やっぱり阿川さんの“聞く力”です(笑)。

単行本が講談社から出たのは1992年。

60名近い作家が並んでいるが、20年以上が過ぎた今、こうして文庫本で読むと、亡くなった方々も多い。

松本清張、吉村昭、森瑤子、吉行淳之介、遠藤周作、井上ひさし、そして山口洋子も・・・・。

でも、この本の中では阿川さんのペンによって、実在している。

人物像も、肉声も、ここにある。

ありがたくて、ちょっと不思議な感じです。

ところで、ってのもヘンだけど、この本のタイトルが、童謡『汽車ぽっぽ』の歌詞「なんだ坂、こんな坂、なんだ坂、こんな坂」からきた、阿川さんお得意の駄ジャレだってことは、ちゃんと通じているのでしょうか(笑)。

この『汽車ぽっぽ』を作詞・作曲した本居長世は、国学者・本居宣長の、直系じゃないけど子孫だったはず。

余談ですが。


BSジャパン「金曜オトナイト」で阿川さんと

ということで、今週の「読んで書評を書いた本」は次の通りです。

池井戸潤 『銀翼のイカロス』 ダイヤモンド社

佐藤 優 『「知」の読書術』 集英社インターナショナル

北村龍平 『映画監督という生き様』 集英社新書 

小澤征爾 『おわらない音楽〜私の履歴書』 日本経済新聞出版社

高須基仁 『慶應医学部の闇』 展望社 

早瀬利之 『石原莞爾 アメリカが一番恐れた軍師』 双葉新書 

* これらの書評は、
  発売中の『週刊新潮』(10月2日号)
  読書欄に掲載されています。



宇宙人ジョーンズも見守っている、この国(惑星)のテレビ

$
0
0

日経MJ(流通新聞)に連載しているコラム「CM裏表」。

今回は、サントリーのプレミアムボス「テレビ局編」を取り上げました。


サントリー食品「プレミアムボス テレビ局編」
宇宙人見守る
テレビの裏側
こんな辛口批評がテレビから聞こえてきた。「妙に真面目ぶった番組もあれば、ひたすらクダラナイ番組もある」。うん、確かに。

「視聴率と呼ばれる尺度が重視され評価も決まる」。これもその通り。続いて「ただ、あるとついつい見てしまう」。本当にそうだ。

さらに、「この惑星のテレビは缶コーヒーとどこか似ている」と言われて、思わずニヤリである。

トミー・リー・ジョーンズさん主演の「宇宙人ジョーンズ」シリーズ。今回は出入りの花屋さんに扮してテレビの裏側を見つめている。

カンペ(カンニングペーパー)を書きかけのまま、長椅子で寝てしまったアシスタント・ディレクター)も実にリアルで可笑しい。

どんな番組も、それを支えているのは人だ。出る人、作る人の思いやエネルギーが見る人の気持ちを動かす。

流れては消えていくテレビだからこそ、もっと本気で伝えるべきだし、もっと真剣に遊ぶべきなのだ。宇宙人ジョーンズも見守っている。 

(日経MJ 2014.9.29)

産経新聞で、高視聴率で終わった「花子とアン」についてコメント

$
0
0

NHK朝ドラ「花子とアン」期間平均21・6% 
関西は「ごちそうさん」超えならず
27日に放送が終了したNHK連続テレビ小説「花子とアン」の全156回を通じた平均視聴率が、関西地区21・6%で、過去10年で最高だった前作「ごちそうさん」(21・7%=速報値21・8%)に次ぐ数字だったことが29日、ビデオリサーチの調べで分かった。

関東地区は22・6%で、「ごち−」の22・4%を抜いて、過去10年で最高となった。吉高由里子さん(26)ふんするヒロイン・村岡花子翻訳の「赤毛のアン」出版記念を祝った最終回の平均視聴率は関西22・8%、関東22・3%だった。

3月31日放送の初回視聴率は関西18・1%、関東21・8%だったが、関西でもすぐに20%を超え、東西とも週間ランキングの上位を常に独占するなど、終始安定していた。

元テレビプロデューサーで上智大学の碓井広義教授(メディア論)は「『赤毛−』は知っていても、花子を知る人が少ないので心配したが、世紀のスキャンダルといわれた白蓮事件を折り込み対比させることで、大正・昭和を自力で生きる女性を素直な形で表現できたのが、視聴者の支持を得たのではないか」と分析。

吉高さんは「花子として過ごしてきた時間は心から愛おしい日々でした。多くのみなさんに支えられ、感謝の気持ちでいっぱいです。また、お会いできるときまで、心を込めて『ごきげんよう、さようなら』」とのコメントを出した。

(産経ウエスト 2014.9.29)

Viewing all 5563 articles
Browse latest View live