四谷から富士山を望む
1970年11月25日、三島由紀夫自決。
昭和45年に、45歳で亡くなってから、ちょうど45年になります。
今年も、四谷キャンパスの研究室から見える、市ヶ谷の防衛省(旧市ヶ谷駐屯地)に向かって、合掌しました。
毎年この日は、その年に出版された“三島本”を読みます。
今回は、佐藤秀明:編『三島由紀夫の言葉 人間の性(さが)』(新潮新書)。
さまざまな作品からの抜き書き、引用を、男女、世間、国家などの項目で括った、いわば箴言集です。
最後に置かれてるのは、有名な、そして今も生きている、あの文章でした。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽの、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
(「サンケイ」夕刊 1970年7月7日)
1970年11月25日、三島由紀夫自決。
昭和45年に、45歳で亡くなってから、ちょうど45年になります。
今年も、四谷キャンパスの研究室から見える、市ヶ谷の防衛省(旧市ヶ谷駐屯地)に向かって、合掌しました。
毎年この日は、その年に出版された“三島本”を読みます。
今回は、佐藤秀明:編『三島由紀夫の言葉 人間の性(さが)』(新潮新書)。
さまざまな作品からの抜き書き、引用を、男女、世間、国家などの項目で括った、いわば箴言集です。
最後に置かれてるのは、有名な、そして今も生きている、あの文章でした。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽの、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
(「サンケイ」夕刊 1970年7月7日)