産経デジタルの総合オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」に、朝ドラ「あさが来た」に関する論考を寄稿しました。
http://ironna.jp/article/2726
歴史に残る傑作の予感
「あさが来た」は朝ドラ55年の王道である
NHKの連続テレビ小説(通称、朝ドラ)『あさが来た』が好調、いや絶好調だ。昨年10月のスタート時から現在まで、平均視聴率は連続して20%台をキープ。11月20日には番組史上最高の25%を記録した。視聴率だけでなく、新聞や雑誌などメディアで取り上げられる頻度も高く、雪だるま式に支持層が広がっている。そんな『あさが来た』の絶好調の理由を探ってみたい。
NHK朝ドラの基本
朝ドラが開始されたのは1961年だ。すでに55年の長い歴史をもつ。第1作は獅子文六の小説を原作とする『娘と私』だった。66年に樫山文枝が主演した『おはなはん』で平均視聴率が45%を超え、視聴者の間に完全に定着した。
当初、一つのドラマを1年間流す通年放送だったが、74年の『鳩子の海』以降は渋谷のNHK東京放送局と大阪放送局が半年交代で制作を担当するようになり、現在に至っている。途中、唯一の例外は、平均視聴率52.6%(最高視聴率62.9%)というメガヒットとなった『おしん』(83~84年)で、全297話の通年放送だった。
歴代のNHK朝ドラには、いくつかの共通点がある。その第1は、当然のことながら、主人公が女性であることだ。少女が大人になり、仕事や恋愛、結婚などを経験していくのがパターンである。幼少時から晩年までを描いた、いわゆる「一代記」の形をとったものも多く、『おしん』では、その生涯を年齢の異なる複数の女優(小林綾子、田中裕子、音羽信子)がリレーで演じていた。また朝ドラには、女性の自立をテーマとした「職業ドラマ」という側面もあり、全体的には、生真面目なヒロインの「成長物語」という内容が一般的だ。
「あさが来た」のポイント
『あさが来た』の主人公は、京都の豪商の家に、次女として生まれた今井あさ(波瑠)。大阪に嫁いだ後、炭鉱、銀行、生命保険といった事業を起こし、日本で初めてとなる女子大学の設立にも携わる。
このドラマ、物語としてのポイントは2つある。1つ目は、あさが実在の人物をモデルとしていることだ。“明治の女傑”といわれた実業家・広岡浅子である。2番目は、物語の背景が幕末から明治という時代であることだろう。
実在の人物がヒロインのモデルとなるのは、最近の朝ドラでは珍しくない。2010年の『ゲゲゲの女房』(漫画家・水木しげるの妻)、その翌年の『カーネーション』(デザイナーのコシノ3姉妹の母)、14年の『花子とアン』(翻訳家 村岡花子)などだ。いずれも現代の話ではなく、近い過去がドラマの舞台となっていた。今回の『あさが来た』も、これらの作品が好評だったことを踏まえて企画・制作されている。とはいえ、幕末から話が始まるという設定は大胆で、冒険でもあったはずだ。
この“過去の実在の人物”という選択は、逆に言えば、近年“現在の架空の人物”で制作された朝ドラが、視聴者の気持ちをあまり捉えてこなかったことを示している。視聴者側としては、ヒロインが人間的にあまり魅力的とも思えない架空の人物の場合、彼女の個人的な“さまよい”や“試行錯誤”や“自分探し”に毎日つき合ってもいられない、ということだ。
今回は特に、前作が『まれ』だったことが大きい。世界一のパティシエになる夢を追う女性を描くこと自体は悪くないが、物語としてはかなり迷走気味で、脚本にもご都合主義が目立った。それに比べると、『あさが来た』は実話をベースにしている分、物語の骨格がしっかりしている。“女性の一代記”ドラマとして成立するだけの実質が広岡浅子にあるからだ。
また、時代設定が幕末から明治という大激動期である点も有効に働いている。現代は明日が見えにくい閉塞感が漂っているが、今とは比べものにならないほどのパラダイムシフト(社会構造の大転換)があった時代を、ひとりの女性がどう生き抜いたか、視聴者は興味をもって見ることができる。
さらに、舞台が関西であることにも注目したい。同じ時代であっても、立つ位置によって異なる視点から眺めることができるからだ。そこに発見もある。また幕末維新ものの多くは、江戸を舞台にすると武家中心の話になってしまう。武家の場合、しきたりに縛られてあまり面白くないが、『あさが来た』では大阪の商人たちが自由で伸び伸びと活躍する様子が新鮮だ。
登場人物と役者たち
ヒロインに抜擢された波瑠は、これまで何本かの主演作はあるものの、女優としては発展途上という印象だった。どちらかといえば、やや捉えどころのない、どこかミステリアスな役柄が多く、“女傑”が似合うタイプとも思えなかった。
しかし今回は、いい意味で裏切られたことになる。意外や、明るいコメディタッチも表現できることを証明してみせたのだ。加えて、まだ女優としてはこれからという波瑠のたどたどしさ、素人っぽさが、両替商の若いおかみさんや炭鉱の責任者といった場における初々しさに、うまく自然に重なった。視聴者側からいえば、応援したくなるヒロイン像になっている。
また確かに美人女優ではあるが、現代劇ではどこか生かしづらかった容貌も、このドラマの時代設定にはマッチしており、日本髪と和服がよく似合う。トータルで、非常に効果的なキャスティングとなった。
しかし、ドラマは主役だけでは成立しない。周囲に魅力的な登場人物が必要になる。その点でも、いくつか秀逸なキャスティングが行われている。
前半で大活躍したのが、姉のはつ(宮崎あおい)だ。性格も生き方も異なる姉の存在が、このドラマにどれだけの奥行きを与えてくれたことか。『花子とアン』で成功した、一種の“ダブルヒロイン”構造の踏襲だが、そこに宮崎あおいという芸達者を置いたことで、視聴者は2つの人生を比較しながら見守ることになった。
次が、あさの夫である新次郎(玉木宏)である。この男の人物像が何とも面白い。江戸時代までの男性の多くは、女性に関して、「台所を中心に夫や家族を支え、常に2歩も3歩も引いた控えめな態度でいること」をよしとしていた。だが新次郎は、「女性はこうでなくてはならない」というステレオタイプな女性観の持ち主ではない。あさが旧来の女性の生き方からはみ出して、思い切り活動できるのも、実は新次郎のおかげだと言える。あの夫がいたからこそ起業もできたのだ。
新次郎は常に、のんびり、のらくらしているが、リーダーとしての仕事をさせたら、きちんとこなせるだけの力量がある。それにも関わらず、自分は表に出ず、当然のように妻の仕事を応援しているところが侮れない。“頼りない”のではなく、あさが思う存分羽ばたける環境を整えてやれるだけの“度量がある”のだ。お転婆なあさは、孫悟空ならぬ新次郎の手のひらの上で飛び回っているのかもしれない。玉木宏が、そんな男をさらりと具現化している。
もう一人、魅力的な脇役として五代友厚(ディーン・フジオカ)がいる。後に「近代大阪経済の父」と呼ばれることになる人物だ。五代がいることで、時代の動きを見せることだけでなく、あさと新次郎の心情にも膨らみが生まれた。フジオカという役者の出現もまた、このドラマの収穫だ。
ドラマを支えるもの
こうして見てくると、『あさが来た』の絶好調の裏には、以下のような要素があると言えるだろう。
1)幕末から明治へというこの国の激動期を、関西を舞台に描いていること。
2)女性実業家のパイオニアともいうべき実在の女性を、魅力的な主人公として設定したこと。
3)「びっくりぽん!」などの決め台詞も交え、全体が明るくテンポのいい脚本になっていること。
4)主演の波瑠をはじめ、吸引力のあるキャスティングがなされていること。
しかも、『あさが来た』には、「女性の一代記」、「職業ドラマ」、そして「成長物語」という朝ドラの“王道”ともいうべき三要素がすべて込められている。まだ前半が終わったところではあるが、朝ドラの歴史の中で傑作の一本となるかもしれない。
このドラマの第1回は、洋装のあさが、初の女子大(後の日本女子大学)設立を祝う式典の壇上に立つところから始まっていた。あの場面に到達するまでに、あさはまだまだ多くの試練を経なければならない。その過程だけでなく、出来れば女子大設立後のあさの人生も、しっかり見届けたいと思う。これから展開される、『あさが来た』の後半戦が楽しみだ。
(産経デジタル「iRONNA」 2016.01.26)