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【気まぐれ写真館】 信州 安曇野 2016.06.04
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卒業50年 小学校のクラス会 2016.06.04
長野県塩尻市立塩尻西小学校6年3部(組ではなく部でした)
担任だった三原好清先生(80歳)
担任だった三原好清先生(80歳)
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講演会「今、報道番組で何が起きているのか」 2016.06.05
長野県塩尻市の映画館「東(あずま)座」で
たくさんの参加者の皆さん、ありがとうございました!
たくさんの参加者の皆さん、ありがとうございました!
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朝日新聞で、「朝ドラとCM」について解説
朝ドラと企業家、蜜月なぜ
NHKが宣伝に加担してる?
「朝ドラ」の愛称で親しまれるNHKの連続テレビ小説で、企業の創業者をモデルにした作品が続いている。放送後には、出演した俳優らがドラマでのイメージそのままのCMに出演するケースも。なぜ、実在の企業人にスポットを当てるのか。理由を探ってみると――。
「竹鶴さん、あなたがウイスキーづくりに注いだ情熱は、今もこのグラスに息づいています」。ニッカウヰスキーのテレビCMでグラスを傾けるのは、俳優の玉山鉄二。朝ドラ「マッサン」(2014年9月~15年3月)で同社の創業者、竹鶴政孝がモデルの主人公を演じた。
玉山は朝ドラ終了の3カ月後、同社の「アンバサダー(大使)」に就任。CMはドラマのロケ地、北海道の余市蒸溜(じょうりゅう)所で撮影された。広報担当者は起用の理由を「朝ドラ効果で視聴者がウイスキーを想起しやすい」と説明する。
「マッサン」では、サントリーの創業者鳥井信治郎をモデルにした人物も登場。演じた堤真一も昨年4月から、同社の「ウイスキーアンバサダー」を務め、ホームページや航空会社の機内誌などに露出する。
サントリーは「ウイスキーへの知識が深く品質などを丁寧に伝えてもらえる。朝ドラとは関係ない」とするが「ドラマでウイスキーになじみのなかった人も関心を持ってくれた。市場が拡大しているのは確かだ」と、効果の大きさを認める。
今年4月に終了した「あさが来た」で波瑠が演じたヒロインは、大同生命などの創業者・広岡浅子がモデル。現在放送中の「とと姉ちゃん」では、高畑充希が雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎮子(しずこ)がモデルの人物を演じている。そして今秋からの「べっぴんさん」は、子ども服メーカー「ファミリア」創業者の坂野惇子(ばんのあつこ)がモデルの物語だ。
大同生命広報部は「当社の創業者の一人、広岡浅子が広く知られ、営業担当から『営業活動がしやすくなった』との声もある」と話す。ファミリアは「問い合わせや取材依頼が増えた。より多くの方に知ってもらえる機会になれば」。NHKの看板番組だけに、企業側には「宣伝効果」への期待も大きい。
■企業宣伝に加担?
だがNHKには、公共放送として企業などの宣伝に加担しないという原則がある。放送法83条はNHKに対し、「他人の営業に関する広告の放送をしてはならない」と規定。ドラマで使う飲料はラベルを架空のものに貼り替え、携帯電話は会社のロゴをテープで隠すなどの配慮をしてきた。一方で同法は「編集上必要で、広告のためでない場合は放送することを妨げない」とも定め、一義的な判断は制作側に委ねられている。
NHKの遠藤理史ドラマ部長は「制作過程で企業を利することが想像されても、それを超える公共的理由があり、多くの方が楽しめるなら作る意義はある」と語る。
近年、朝ドラではドラマチックな人物を描くと視聴者に支持される傾向にあるといい、遠藤部長は「そういう素材を探すと企業の創業者や、何かのパイオニアに行き着くケースが多くなった」と打ち明ける。番組終了後に出演俳優らがCMに起用されることも、「企業がドラマを利用するのは作品がヒットした証し。ある意味ありがたい」と話す。
■三方に利益の起用
上智大の碓井広義教授(メディア論)は「特定企業を取り上げる『実録路線』がこれだけ続くのはいかがか」としつつ、「広告予算がしぼむ中、企業はヒットドラマでのイメージを利用できれば費用対効果も大きく、俳優もCM収入の確保はありがたい。テレビ局、企業、俳優と三方お得の起用法だ」と分析する。
1970年代から朝ドラを見続けているというコラムニストのペリー荻野さんは「オリジナルの主人公は『何者であるか』を伝えるまでに時間がかかる。その点実在の人物をモデルにすると説得力があり、浸透もしやすい」と話す。(後藤洋平)
(朝日新聞 2016.06.07)
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現場を熱演 “職業ドラマ”2本
北海道新聞に連載している「碓井広義の放送時評」。
今回は、「重版出来!」と「トットてれび」を取り上げました。
現場を熱演 “職業ドラマ”
実力派2女優 持ち味発揮
実力派と呼ばれる女優2人が、今期のドラマでそれぞれの持ち味を発揮している。1本目は、黒木華が主演の「重版出来!」(TBS)。タイトルは、「じゅうはんしゅったい」と読み、本などの出版物が増刷となることだ。
主人公の黒沢心(黒木)はコミック誌の新米編集者である。ケガをするまでは柔道の日本代表候補だったという体育会系女子だ。元気や明るさはもちろん、相手との絶妙な間合いのとり方や勝負勘も武器になっている。映画「小さいおうち」や大河ドラマ「真田丸」などで見せた“和風でおっとり”なキャラクターとは大きく異なるが、コメディエンヌとしての才能も発揮して軽快に演じている。
出版不況の中、コミックというジャンルにも、創造とビジネスのバランスなど課題は山積している。だからこそ、心をはじめ良い作品を読者に届けようと奮闘する人たちを応援したくなるのだ。また脇を固める編集部の面々も芸達者ぞろいだ。編集長は松重豊、指導係の先輩がオダギリジョー、編集部員に安田顕(好演)や荒川良々などがいる。
彼らが投げるクセ球の波状攻撃を黒木は一人で受けて立ち、きっちりと打ち返していく。漫画家の世界やコミック誌の現場を垣間見せてくれる“職業ドラマ”として、また20代女性の“成長物語”として出色の1本だ。
満島ひかりが黒柳徹子さんを演じる「トットてれび」(NHK)の舞台はテレビ草創期である。放送開始は昭和28年。黒柳さんはNHKの専属女優第1号として、「ブーフーウー」「チロリン村とくるみの木」「若い季節」「夢であいましょう」などで大活躍した。
黒柳さんが生きたまま憑依(ひょうい)したかのような、満島のハイテンション演技から目が離せない。また、森繁久弥(吉田鋼太郎)、渥美清(中村獅童)、沢村貞子(岸本加世子)など往年のスターたちのエピソードも見ものだ。特に、22歳の黒柳さんが「近所のちょっとエッチなおじさん」と評した森繁がおかしい。
ドラマも含めすべてが生放送だった時代。作り手たちは不慣れで、機材も乏しかった。しかし、それを補って余りあるハチャメチャともいえる熱気があったのだ。それは今のテレビに一番欠けているものかもしれない。制作陣はプロデューサー・訓覇圭、演出・井上剛、音楽・大友良英の「あまちゃん」チームで、脚本は「花子とアン」の中園ミホ。黒柳さんという放送界のレジェンド(伝説)の若き日々は、そのままテレビの青春でもあった。
(北海道新聞 2016.06.06)
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産経新聞で、今期「大人の恋愛ドラマ」について解説
【ZOOM】
4月期ドラマ終盤戦
「大人の恋愛」もの増える
4月スタートの連続ドラマが終盤戦を迎えている。
今期は恋愛ドラマが多く、中でも30~40代が主人公の「大人の恋愛ドラマ」が豊富。NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)から巣立っていった「朝ドラ女優」の活躍も目立っている。また、視聴率は伸び悩んでいてもインターネットなどでは評価の高い作品もある。(本間英士)
春の連続ドラマのうち、「恋愛」を主なテーマとして扱っているのは、日本テレビ系「世界一難しい恋」(水曜午後10時)や、フジテレビ系「ラヴソング」(月曜午後9時)など8作。フジ系「医師たちの恋愛事情」など、恋愛ものが3作程度しかなかった昨年4月期と比べると、このジャンルの作品が増えていることは確かだ。
中でも、主人公やその“お相手”が30~40代のケースが多い。例えば、TBS系「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」(金曜午後10時)と、フジ系「早子先生、結婚するって本当ですか?」(木曜午後10時)の2作品は、30代女性の「婚活」がテーマだ。その一方で、栗山千明主演のテレビ朝日系「不機嫌な果実」(金曜午後11時15分)など、大人たちの恋のさや当てを丁寧に描いた作品もある。
「大人の恋愛ドラマ」が増えた理由について、ドラマに詳しい上智大の碓井広義教授(メディア論)は「大人の女性はドラマ好きが多く、いわば視聴者層の“大票田”。ドラマの制作側も、若者より大人をターゲットとしている傾向にある」と指摘する。
朝ドラ出身女優が活躍
コラムニストの桧山珠美さんは「朝ドラ出身女優」の活躍を指摘する。その好例が、前の朝ドラ「あさが来た」で主演を務め、現在は「世界一難しい恋」にヒロイン役で出演している波瑠(はる)だ。同作は、出演陣の誇張気味な演技や先の読めないストーリー展開などが話題を呼んでおり、視聴率も12~13%と好調をキープしている。
さらに、昨年の朝ドラ「まれ」でヒロインを演じた土屋太鳳(たお)も日テレ系「お迎えデス。」(土曜午後9時)にヒロイン役で出演。TBS系「重版出来!」(火曜午後10時)の黒木華(はる)も、平成26年の朝ドラ「花子とアン」で知名度を大きく上げた。
桧山さんは「今のドラマ界はまさに朝ドラの『1強多弱』状態」と指摘。「人気の朝ドラで話題になった俳優は、ヒロインから脇役に至るまで、どの局も起用したがっている。『朝ドラ人気』にあやかりたいという気持ちがあるのでは」と話している。
視聴率では測れない?
4月期のドラマで視聴率が好調なのは、TBS系「99・9-刑事専門弁護士-」(日曜午後9時)。第2話の視聴率は19・1%を記録した。ストーリーの「どんでん返し」の爽快感と一話完結型の見やすさが特徴で、桧山さんは「ヒットの法則をしっかりつかんだドラマ」と評価する。
一方で、碓井教授と桧山さんが共通して指摘するのが、今期は「視聴率は伸び悩んでいても見ていて面白いドラマが多い」という点だ。2人は、出版社の女性新人編集者の奮闘を描いた「重版出来!」を今期のおすすめドラマとして挙げる。
同作の視聴率は7%台が中心。決して高くはないが、「仕事系ドラマとして完成度が高く、ヒロインの黒木さんがその実力を発揮している。見ないまま終わるのは惜しい」(碓井教授)。
録画機器や動画配信の普及により、近年はドラマの「ヒット作」が世帯視聴率に表れにくくなっている。そのため、視聴率では「不調」とされるドラマでも、その内容がネットで評判を呼ぶケースも近年増えている。
碓井教授は「あらかじめ視聴率やネットの評価を確認した上で、『評判の良い作品しか見ない』『時間を無駄にしたくない』と考える『損したくない症候群』の人が増えている。数字が悪くても面白いドラマはあり、視聴率やネットの評判だけで見る作品を決めてしまうのはもったいない」と話している。
(産経新聞 2016.06.07)
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「昼のセント酒」 真昼間の銭湯と湯上りの一杯はオトコの憧れ
日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。
今週は、テレ東「昼のセント酒」を取り上げました。
テレビ東京系「昼のセント酒」
原作大胆アレンジは地道なロケハン成果
テレビ東京系で放送中のドラマ「昼のセント酒」をご存じだろうか。
「セント酒」とは銭湯に入った後で飲む、罰あたりのようなうまい酒のことだ。
このドラマの主人公は小さな広告会社に勤める営業マン・内海(戸次重幸)。売り上げがイマイチであることは気になるものの、外回りで訪れた町で銭湯を見つけると入らずにはいられないし、風呂上がりには一杯やらずにいられない。
銭湯では、戸次が本当にスッポンポンで入浴する。これほど男のナマ尻を見せられるドラマも珍しいだろう。
いや、ボカシなど一切ない。裸で歩き回る戸次の度胸は見上げたものだが、その股間を風呂桶や飾ってある花で隠し続けるカメラも名人芸である。
さらに、「こら! 銭湯の中で騒ぐんじゃない!」と、やんちゃな子供を叱る近所のオヤジの存在もうれしい。
原作は「孤独のグルメ」で知られる久住昌之のエッセー集。毎回、実在の銭湯や店が登場するが、実は単純に原作をなぞっているだけではない。
たとえば北千住の場合、原作では「大黒湯」から居酒屋「ほり川」に向かったが、番組は「タカラ湯」と「東光」のチャーハンを取り上げた。
また、原作の銀座編は「金春(こんぱる)湯」とそば「よし田」の組み合わせだったが、番組では金春湯は同じでも、新橋のやきとん「まこちゃん」まで歩いて、シロとカシラを味わっていた。
地道なロケハンの成果だ。
カバンにタオルをしのばせ、行ってみたくなる。
(日刊ゲンダイ 2016.06.08)
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書評した本: 奥田英朗 『向田理髪店』ほか
「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。
奥田英朗 『向田理髪店』
光文社 1620円
その理髪店は北海道の元・炭鉱町にある。過疎化と高齢化で風前の灯の町だ。しかし、そこにも人の暮しとささやかな事件がある。親元に戻ってきた若者。中国からやってきた花嫁。新規開店したスナック。現代の“北の国”をリアルとユーモアで描く連作小説集だ。
山口道宏
『介護漂流~認知症事故と支えきれない家族』
現代書館 1728円
介護問題の深刻さを象徴する秀逸なタイトル。認知症患者が起こした事故に、介護家族はどこまで責任を負うのか。年間10万人の介護離職はなぜ起きているのか。高齢化社会、単身化社会の現状を踏まえ、誰もが“他人事”とは言えない「在宅介護」の深層に迫る。
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卒業40年 大学の同期会 2016.06.11
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ドラマ「深夜食堂」のネットフリックス配信について
週刊新潮で、ドラマ「深夜食堂」のネットフリックス配信についてコメントしました。
木戸銭650円が必要な
小林薫「深夜食堂」
できるもんなら何でも作るよ”は「深夜食堂」マスターの台詞だが、まさか新作を映像配信で作るとは。
TBS系の深夜ドラマとして第1シリーズが放送されたのは2009年のこと。小林薫主演で、営業は深夜だけという、新宿ゴールデン街にあるらしい“めしや”を舞台にした人情物語。
「ドラマは好評で、昨年1月には映画化。全国80館程度の小規模スタートでしたが、20万人超を動員するヒット作となり、アジアでもヒット。ドラマも世界各国で放送されるようになり、中国、韓国ではリメイクされているほど」(業界記者)
その新シリーズが10月21日からスタートすることが発表された。しかし、地上波ではなく、昨年日本に上陸した世界最大手の定額制映像配信サービス「ネットフリックス」による全世界190カ国同時配信というのだ。月額650円(ベーシック)で見放題だが、無料ではもう見られない?
「地上波も放送する方向で考えています。アミューズを幹事社とする製作委員会の作品であって、手放したわけではありませんよ」
とは第1シリーズより製作委員会に参加するMBS。
ネットフリックスには配信用に買ってもらうだけだという。
上智大学教授の碓井広義氏(メディア論)は、
「人気番組とはいえ、深夜枠では視聴率も高くはない。美術も照明も凝った番組はスポンサーだけでは賄いきれない。これまではDVD販売などでカバーしてきたが、今後は有料配信も加えるということでしょう」
地上波が生き残るため、有料配信は欠かせない?
(週刊新潮 2016年6月9日号 )
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つい、口ずさんでしまう 「トントントントン ヒノノニトン」
日経MJ(流通新聞)に連載しているコラム「CM裏表」。
今回は、日野自動車のCM「ヒノノニトン」について書きました。
日野自動車 小型トラック
「ヒノノニトン」 会社ファン作る
トラックのCMを見て、「買おうかな」と思うのはどんな人たちだろう。企業や個人商店で、日常的にトラックを使っている人たちだろうか。しかし日野自動車は、単なる売り上げ目的でこのシリーズCMを作ってはいないはずだ。
プールサイドで、耳に入った水を出そうと“片足けんけん”をしている男(堤真一さん)。その横で、「トントントントン ヒノノニトン」と連呼するインストラクター(リリー・フランキーさん)。第1作は衝撃的なおかしさだった。
今回また、自宅の建築現場にやってきた施主の前で、棟梁と大工さんたちが「トントントントン ヒノノニトン」と声をそろえてカナヅチを打つ、その大真面目に突き抜けたナンセンスが堪らない。
一般家庭の人たちは、いきなりトラックを買わないかもしれない。だが、このCMで日野自動車という会社を確実に好きになる。今どき、ファンやサポーターのいる企業ほど強いものはないのだ。
(日経MJ 2016.06.13)
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「ゆとりですがなにか」は、ゆとり世代のカウンターパンチ!?
日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。
今週は、日本テレビのドラマ「ゆとりですがなにか」について書きましたました。
クドカン脚本は最終回で
どう決着をつけるのか
確かに「ゆとり世代」と呼ばれる若者たちがアタマにくるのも当然だ。社会人になった彼らは、「使えない、覇気がない、ガッツが足りない、言われたことしかやらない、ライバル意識がない、危機感がない、緊張感がない」など、言われ放題だったのだから。
それに、彼らは好きで「ゆとり」をやってきたわけではない。学校の土曜休みも、薄い教科書も、国が勝手に決めたことだ。それでいて、学力低下となったらポンコツ扱いじゃあ、文句のひとつも言いたくなるだろう。
そんな「ゆとり世代」の声なき声を感知し、ドラマの形でカウンターパンチを繰り出したのが、宮藤官九郎脚本の「ゆとりですがなにか」(日本テレビ系)だ。
まず、登場人物たちのキャラクターが光る。食品会社勤務の正和(岡田将生)、小学校教師の山路(松坂桃李)、客引きのまりぶ(柳楽優弥)、そして正和と同期で恋人の茜(安藤サクラ)。いずれも29歳の「ゆとり第1世代」だ。
宮藤官九郎は、仕事や恋愛や自分自身との“折り合い”で悪戦苦闘する彼らの姿を、笑える応援のヤジを飛ばしながら描いていく。
劇中の山路が言うように、この世代には「他人の足を引っ張らない」「周囲に惑わされずベストを尽くす」「個性を尊重する」といった長所がある。
大混乱の現状に、今週末の最終回でどう決着をつけるのか、楽しみだ。
(日刊ゲンダイ 2016.06.15)
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書評した本: 吉増剛造 『我が詩的自伝』
「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、伝悦の詩人・吉増剛造さんの自伝です。
吉増剛造
『我が詩的自伝~素手で焔をつかみとれ!』
講談社現代新書 972円
「白馬、全円を破壊せよ、突破せよ」と、アジテーションのごとく綴られた衝撃の詩『古代天文台』。伝説の詩人が77歳にして自伝を上梓した。戦時下の幼年時代、60年代の詩壇デビュー、交友、詩作という冒険。その語り言葉は、長篇詩の朗読を聴いているかのようだ。
(週刊新潮 2016.06.16号)
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【気まぐれ写真館】 梅雨だけど、夏日 2016.06.17
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【気まぐれ写真館】 本日もまた、夏日 2016.06.18
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ラッパ屋の新作「筋書ナシコ」、上演開始! 2016.06.18
夏日の暑さの中、新宿・紀伊国屋ホールへ。
ラッパ屋の新作「筋書ナシコ」の初日です。
初めてラッパ屋の芝居を見たのが、1993年6月の第16回公演「アロハ颱風」でした。
今回の「筋書ナシコ」が第42回公演なのですが、23年間の全作品、皆勤賞です(笑)。
例によって、まずは脚本・演出の鈴木聡さんに、ご挨拶。
私が「筋書ナシコって、戯曲のタイトルとして、とんでもないですよね~」と言うと、鈴木さん、「ですよねえ~」と大笑いしていました。
<作者の言葉>
「筋書ナシコ」はご承知の通り(さっき僕が決めたのだが)、「この先の筋書きが見えない、或いは決まっていない状態および人物」を指す言葉である。たとえば「日曜日なのにスケジュールは真っ白。何しよう・・」というのは身近な筋書ナシコだ。「経歴を詐称してしまった。番組はなくなった。明日からどうすれば・・」というのはコメンテーター関係の筋書ナシコである。「人口が減り続ける一方、老人は増え続けるのでありまして・・」というのは年金関係の筋書ナシコだし、「ヘイ!壁つくっちまいなよ、どうなるかは知らねえけどな!」というのはトランプ関係の筋書ナシコである。つまり、そこもあそこも筋書ナシコ。いま世界は筋書ナシコなのだ、という芝居を書いても良いのだが収拾がつきそうもないので、できそうな範囲でやる。
思えば高度成長期やバブルの頃は良かったなあ(飲み屋にいるオヤジ風)。今日より明日の方が幸せになるって、若者もサラリーマンもお母さんもみんなが思えたんだよなあ・・・その頃は世の中全体がハッピーエンドに向かう筋書きを持っていたということだろう。だがいまは違う。一人一人が嗜好や性癖や価値観に合ったオリジナルな筋書きを持たなくてはならない。波乱万丈のサクセスストーリーでなくても良い。余韻勝負の不条理劇、というチョイスもあり得る。
というわけで「筋書ナシコ」。さまざまな人々が集うパーティーの夜。筋書ナシコが筋書アリコや筋書ナシオや筋書アリタローに助けられ邪魔されながら、自分だけの素敵な筋書きを探し求める物語になるのではないか。さああなたもご一緒に、自分の筋書き、考えてみません?
・・・場内は、ほぼ満員の盛況ぶり。
観客の年齢も、ラッパ屋と共に、それなりに高くなっています(笑)。
で、舞台ですが・・・
フリーライターのナシコさんを軸に、というか狂言回しとしながら、出版不況から舛添さん(!?)までを取り込んだ、びっくりぽん(古!)な上質コメディになっています。
26日までなので、ぜひ!
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東京新聞で、NHK「朝ドラ」の人気について解説
東京新聞に、NHK「朝ドラ」人気についての特集記事が掲載されました。
「考える広場」というページで、ドラマプロデューサーの小林由紀子さん、タレントの横沢夏子さんと共に、解説しています。
きょうも「朝ドラ」 人気のヒミツ
NHKのドラマ「連続テレビ小説」が人気を呼んでいる。ドラマ全体が視聴率を落とす中、なぜ「朝ドラ」は好調なのか。半世紀を超えるシリーズで描かれてきた日本の女性像に変化は。
◆女性像もっと冒険を
ドラマプロデューサー・小林由紀子さん
「朝ドラ」の制作はヒロイン像を決めるところから始まります。どんな女性がアピールするか。それには今がどういう時代かという分析が欠かせません。
例えば「おしん」(一九八三年度)の時は、臨時行政調査会会長だった土光(敏夫)さんの夕食のおかずがメザシということが話題になっていた。高度経済成長後の飽食の時代で、メザシには「日本人は浮かれていないか」という批判が込められていたと思います。そこで出てきたのが小作農家の娘という人物です。明治の近代化から戦争、復興を経て飽食に至る日本の歴史を生きた一人の女性の流転を描こうと。
彼女は最終的にスーパーのオーナーになりますが、会社が倒産寸前という設定が初回から出てきます。高度成長の崩壊がオチであり、メザシにつながっている。おしんは大根めしを食べてかわいそうというイメージがありますが、実は問題提起のドラマでもあったんです。
朝ドラが始まって五十五年。初期は昭和的な家族の物語で良妻賢母的なヒロインが多かった。「水色の時」(七五年度前半)で初めて現代が舞台に。ここから職業を目指す女性が増える。女性進出の時代を反映していました。二〇〇〇年代は現代物でいろいろ挑戦しましたが、あまり受けなかった。女性の生き方が多様化して一つにくくれなくなったからでしょう。そのため、「ゲゲゲの女房」(一〇年度前半)あたりから年代記物に回帰しました。
最近の「朝ドラ」は保守的になっているのでは。年代記物をやること自体がそうだし、ある種の日本女性のあるべき姿を押し付けているように感じます。「あさが来た」(一五年度後半)で、ヒロインが夫を「旦那さま」と呼び続けていたのがとても気になりました。それも今の時代の映し鏡ということでしょうか。
もともと朝ドラのヒロインは、みんないい子なんです。一生懸命で前向きで、少しおてんば。でも、男を立てるかわいい女。私は女性のダークな部分も描きたいと頑張りましたが、男性スタッフが多い現場では「かわいくない」と反対されて。政府が「一億総活躍社会」とか言って「女も働け」という時代でしょ。働く女性のすてきなロールモデルを作るために、もっと冒険してほしいと思います。(聞き手・大森雅弥)
<こばやし・ゆきこ>1940年、東京都生まれ。60年にNHK入局。「おしん」「はね駒」「たけしくん、ハイ!」などを制作。92年に退職。著書に『ドラマを愛した女のドラマ』『あま噛み』など。
◆共感「人生の教科書」
お笑いタレント・横沢夏子さん
「朝ドラ」の大ファンです。リアルタイムでは、「ひまわり」(一九九六年度前半)から全部見ています。再放送は「おしん」(八三年度)からの大半。見始めたのは六歳のころです。母親の影響ですね。一番早いBSの午前七時台の放送を一緒に見て「きょうも頑張ろう。じゃあ行ってきまーす」という感じでした。
影響力はありますね。女性の人生を追っかけていて、私が歩んでいない人生でも、「歩んでいる」と思えちゃう。ちゃんと生と死も扱う。身近な人が亡くなるとこんな気持ちになるんだと、泣きながら学校へ行っていました。でもそういう重いのって、水曜日や木曜日。で、金曜日とか土曜日は明るくなります。母と「あした土曜日だからね」とか話していました。
私にとっての最高傑作は「ちゅらさん」(二〇〇一年度前半)です。温かさがあって、エンジンがかかる感じ。沖縄の方言をまねしたり。それと、母親と対立しながら落語家を目指す女性を描いた「ちりとてちん」(〇七年度後半)も好きです。
「ちりとてちん」のヒロインは「お母さんみたいな人生を送りたくない」と言って落語の世界に飛び込むんですが、最後は出産して、お母さんとなって生きる。母は「昔は私もそう(ヒロインと同じ気持ち)だったわよ」って泣いていました。朝ドラは、「人生の教科書」です。
昭和の朝ドラは、戦争と戦う女性のたくましさを描きましたが、二十一世紀の朝ドラは、社会と戦う女性のたくましさが出ていますね。「まんてん」(〇二年度後半)では、ヒロインが宇宙飛行士になっちゃうんですよ。昔じゃ全然考えられないことですよね。
斬新だったのは「あまちゃん」(一三年度前半)。夜見てもいいぐらい。どす黒く、濃密で、面白かった。平成の社会の縮図をちょっとばかにした感じで見せてくれた。スナックでのシーンでも笑いがたくさん。朝ドラって、笑いはそんなに必要なかったのに。
朝ドラは、どれだけ「朝」を見せるか。みんなで朝ご飯を食べる風景。一人で見ていても、一緒に食べている気分になる。それと、晴れている田舎の風景とか。あとはヒロインの人柄を愛せるか。今の「とと姉ちゃん」役、やってみたいですね。引き込まれています。(聞き手・小野木昌弘)
<よこさわ・なつこ> 1990年、新潟県生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。一人コント「ちょっとイラっとくる女」など、周囲の女性を観察して生み出したネタで大人気。
◆半年続く「隣人」感覚
上智大教授・碓井広義さん
今や「朝ドラ」はブランドとして確立されました。良質で面白いドラマが見られるという安心感に加え、半年続くというのが大きい。民放のドラマが三カ月、十回程度で終わってしまうのに対し、朝ドラは視聴者にとって半年間付き合い続ける隣人のような存在になっています。
朝ドラには王道というべき三つの要素があります。女性が主人公の一代記ということ。職業ドラマであること。自立へと向かう成長物語であること。この三つがそろった連ドラは民放ではなかなか見られない。
近年は、新たな勝利のパターンが加わりました。大きな転機は、漫画家水木しげるさんの妻をモデルにした「ゲゲゲの女房」(二〇一〇年度前半)です。ヒロイン像が魅力的で、それ以降、“過去に実在した人物”を取り上げる作品が増えました。好評だった「カーネーション」(一一年度後半)、「花子とアン」(一四年度前半)、「マッサン」(同後半)。現在放映中の「とと姉ちゃん」もそうです。
いずれもヒロインのモデルは濃厚な人生を送った女性たち。すなわち半年間付き合うかいのある人です。戦前から戦後の昭和を舞台にした作品が多いのも、現代では希薄になってしまった、日本人の暮らしの原点みたいなものに視聴者が共感を覚えるからだと思います。
それは裏を返すと、“現代の架空のヒロイン”を魅力的に描けていないということでもある。「純と愛」(一二年度後半)や「まれ」(一五年度前半)では、ホテルウーマンやパティシエを目指していたはずの主人公が迷走した。実在の人物に頼るのは、脚本家や制作陣の想像力が弱っているせいかもしれません。
では現代の若い女性を主人公に、波瀾(はらん)万丈の物語が構築できないかというと、そんなことはない。「あまちゃん」(一三年度前半)はできたんです。しかも王道の一代記でなく、わずか数年間の物語で、あれだけ笑えて泣けて応援したくなるドラマが描けた。現実の東日本大震災をどう取り込むかという難題にも果敢に挑戦した。まさに五十年に一度の傑作と思います。
それを超えるのは並大抵のことではないですが、NHKにはぜひ架空の人物の物語でも視聴者を笑って泣かせてほしい。かつて向田邦子さんや倉本聡さんのドラマがそうだったように。人間の想像力は無限大なのですから。(聞き手・樋口薫)
<うすい・ひろよし>1955年、長野県生まれ。慶応大法学部卒。テレビマンユニオンに参加し、20年にわたり番組制作に携わる。その後、慶大助教授などを経て現職。専門はメディア論。
(東京新聞 2016.06.18)
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【気まぐれ写真館】 梅雨時も工事中 2016.06.20
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「TBSレビュー」の収録
「TBSレビュー」の収録がありました。
テーマは、先日最終回を迎えた、ドラマ「重版出来!」です。
また今回の番組キャスターは、慶大法学部政治学科の遠~い後輩である、秋沢淳子(あきさわ じゅんこ)アナウンサーでした。
”塾員”2名による放送は、7月3日(日)朝5時30分からの予定です。
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なぜ『北の国から』は20年間も続いたのか?
連続テレビドラマ『北の国から』(フジテレビ系)で知られる脚本家・倉本聰さんの自伝エッセイ『見る前に跳んだ 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)が出版された。
81歳の現在も旺盛な創作活動を続けている倉本さんは、草創期からテレビに関わり、数々の名作を生み出してきた。この本では、幼少時代の思い出、怒涛のドラマ黄金時代、富良野塾、演劇、そして自然と環境までを縦横に語っている。
倉本さんの代表作である、『北の国から』の放送開始から35年。あらためて、この国民的ドラマの意味を考えてみたい。
(以下、敬称略)
衝撃的だった『北の国から』の登場
それは、過去のどんなドラマとも似ていなかった。思わず、「なんだ、これは?」と声が出てしまった。1981年10月9日(金)の夜、『北の国から』の第1回目を見終わった時のことだ。
この日、午後10時の同じ時間帯にドラマが3本、横並びだった。1本目は前月から始まっていた、山田太一脚本の『想い出づくり。』(TBS系)。もう1本は、藤田まことの主演でお馴染みの『新・必殺仕事人』(テレビ朝日系)である。
どちらもドラマの手練れたちによる優れた仕事で、すでに高い視聴率を叩き出していた。『北の国から』はそこへ遅れて参入してきたわけだが、あらゆる面で“異色”のドラマだったのだ。
固定ファンが多い『必殺』もさることながら、『想い出づくり。』が話題になっていた。当時では結婚適齢期だった24歳の女性たちが、“平凡な日常生活”から脱却しようと、都会を彷徨する物語だ。演じるのは森昌子、古手川祐子、田中裕子の3人。
その秀逸な設定と彼女たちの掛け合いの妙は、2年後のヒット作『ふぞろいの林檎たち』に通じるものがある。ちなみに、脚本の山田太一、演出の鴨下信一、プロデューサーの大山勝美という『ふぞろいの林檎たち』の座組みは、『想い出づくり。』と同じだ。
一方、『北の国から』の主演俳優は、田中邦衛である。60年代から70年代にかけての田中は、加山雄三の映画『若大将』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズでの脇役という印象が強い。
ドラマの主役といえば、スターだったり二枚目だったりすることが当たり前の時代に、いきなりの「主演・田中邦衛」。多くの視聴者は戸惑ったはずだ。
そして肝心の物語も尋常ではなかった。東京で暮らしていた黒板五郎(田中邦衛)が、妻(いしだあゆみ)と別れ、子供たち(吉岡秀隆、中嶋朋子)を連れて、故郷の北海道に移住するという話だ。住もうとする家は廃屋のようなもので、水道も電気もガスもない。
第1話で、純(吉岡)が五郎に、「電気がなかったら暮らせませんよッ」と訴える。さらに「夜になったらどうするの!」と続ける。五郎の答えは、純だけでなく、私を含む視聴者を驚かせた。五郎いわく、「夜になったら眠るンです」。
実はこの台詞こそ、その後20年にわたって続くことになる、ドラマ『北の国から』の“闘争宣言”だったのだ。夜になったら眠る。一見、当たり前のことだ。しかし、80年代初頭の日本では、いや東京という名の都会では、夜になっても活動していることが普通になりつつあった。“眠らない街”の出現だ。
『北の国から』と80年代
やがて「バブル崩壊」と呼ばれるエンディングなど想像することもなく、世の人びとは右肩上がりの経済成長を信じ、好景気に浮かれていた。仕事も忙しかったが、繁華街は深夜まで煌々と明るく、飲み、食べ、歌い、遊ぶ人たちであふれていた。日本とは逆に不景気に喘いでいたアメリカの新聞には、「日本よ、アメリカを占領してくれ!」という、悲鳴とも皮肉ともとれる記事まで掲載された。
そんな時代に、都会から地方に移り住み、しかも自給自足のような生活を始める一家が登場したのだ。これは一体なんなのか。そう訝しんだ視聴者も、回数が進むにつれ、徐々に倉本が描く世界から目が離せなくなる。そこに当時の日本人に対する、怒りにも似た鋭い批評と警告、そして明確なメッセージがあったからだ。
倉本自身の言葉を借りよう。放送が続いていた82年1月、地元の北海道新聞に寄せた文章である。
「都会は無駄で溢れ、その無駄で食う人々の数が増え、全ては金で買え、人は己のなすべき事まで他人に金を払い、そして依頼する。他愛ない知識と情報が横溢し、それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、人みなそこへ憧れ向かい、その裏で人類が営々と貯えてきた生きるための知恵、創る能力は知らず知らず退化している。それが果たして文明なのだろうか。『北の国から』はここから発想した」
80年代は、現在へとつながるさまざまな問題が噴出し始めた時代だった。世界一の長寿国となったことで到来した高齢化社会。地方から人が流出する現象が止まらない過疎化社会。何でも金(カネ)に換算しようとする経済優先社会。ウォークマンの流行に象徴される個人化・カプセル化社会等々。
それだけではない。「家族」という共同体の最小単位にも変化が起きていた。「単身赴任」が当たり前になり、父親が「粗大ごみ」などと呼ばれたりもした。また「家庭内離婚」や「家庭内暴力」といった言葉も広く使われるようになる。
『北の国から』はこうした時代を背景に、視聴者が無意識の中で感じていた「家族」の危機と再生への願いを、苦味も伴う物語として具現化していたのだ。
82年3月末に全24回の放送を終えた後も、スペシャル形式で2002年まで続くことになる『北の国から』。その20年の過程には、大人になっていく純や蛍の学びや仕事、恋愛と結婚、そして離婚までもが描かれた。フィクションであるはずの登場人物たちが、演じる役者と共にリアルな成長を見せたのだ。
また彼らと併走するように、視聴者側も同じ時代を生き、一緒に年齢を重ねていった。それはまた、このドラマが20年にわたって、常にこの国と私たちの状況を“合わせ鏡”のように映し続けたということでもある。あらためて、空前絶後のドラマだったのだ。
(ビジネスジャーナル 2016.06.10)
”蛍”の中嶋朋子さんと
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