連続ドラマ『北の国から』が、BSフジで一挙放送されることになりました。夏休みに合わせる形で、7月20日(水)18時にスタート。翌21日からは、平日17時~19時の放送となるそうです。
1981年の放送から35年。あらためて、この国民的ドラマの意味を考えてみたいと思います。
(以下、敬称略)
1981年秋、ドラマ『北の国から』の衝撃
それは、過去のどんなドラマとも似ていなかった。思わず、「なんだ、これは!?」と、うなってしまった。1981年10月9日(金)の夜、フジテレビ系の連続ドラマ『北の国から』、その第1回の放送を見終わった時のことだ。
この日、午後10時の同じ時間帯にドラマが3本、横並びになっていた。1本目は前月から始まっていた、山田太一脚本の『想い出づくり。』(TBS系)だ。もう1本は、藤田まことの主演でお馴染みの『新・必殺仕事人』(テレビ朝日系)である。
どちらも手練れのドラマ制作者たちによる優れた仕事で、高い視聴率を叩き出していた。『北の国から』はそこへ遅れて参入してきたことになる。しかし、ふたを開けてみれば、あらゆる面で“異色”のドラマだったのだ。
固定ファンが多い『必殺』もさることながら、『想い出づくり。』がかなり話題になっていた。当時は結婚適齢期といわれていた24歳の女性たちが、“平凡な日常生活”から脱却しようと都会を彷徨する物語だ。演じたのは森昌子、古手川祐子、田中裕子の3人だった。
その秀逸な設定と、登場人物たちによる”本音”の掛け合いの妙は、2年後のヒット作『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)に通じるものがある。ちなみに、脚本の山田太一、演出の鴨下信一、プロデューサーの大山勝美という『ふぞろいの林檎たち』の布陣は、この『想い出づくり。』と同じだ。
一方、『北の国から』の主演俳優は、田中邦衛である。60年代から70年代にかけての田中は、加山雄三の映画『若大将』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズでの脇役という印象が強い。ドラマの主役といえば、スターだったり二枚目だったりすることが当たり前の時代に、いきなりの「主演・田中邦衛」。これには、多くの視聴者が戸惑ったはずだ。
そして肝心の物語も尋常ではなかった。東京で暮らしていた黒板五郎(田中邦衛)が、浮気が発覚した妻(いしだあゆみ)と別れ、子供たち(吉岡秀隆、中嶋朋子)を連れて、故郷の北海道に移住するという話だ。
住もうとする家は、実家だったとはいえ、ぼろぼろの廃屋のようなもので、水道も電気もガスもない。第1話で、小学生の純(吉岡)が五郎に、「電気がなかったら暮らせませんよッ」と訴える。
さらに、「夜になったらどうするの!」と続ける純。この時の五郎の答えは、純だけでなく、私を含む視聴者も驚かせた。五郎いわく、「夜になったら眠るンです」。
実はこの台詞こそ、その後20年にわたって続くことになる『北の国から』の脚本家・倉本聰の“闘争宣言”だったのだ。
夜になったら眠る。一見、当たり前のことだ。しかし、80年代初頭の日本では、いや東京という名の都会では、夜になっても活動していることが普通になりつつあった。“眠らない街”の出現だ。
“社会の合わせ鏡”としてのドラマ
80年代初頭。やがて「バブル崩壊」と呼ばれるエンディングなど想像することもなく、世の人びとは右肩上がりの経済成長を信じ、好景気に浮かれ始めていた。
仕事も忙しかったが、繁華街は深夜まで煌々と明るく、飲み、食べ、歌い、遊ぶ人たちであふれていた。日本とは逆に不景気に喘いでいたアメリカの新聞には、「日本よ、アメリカを占領してくれ!」という、悲鳴とも皮肉ともとれる記事まで掲載された。
そんな時代に、都会から地方に移り住み、しかも自給自足のような生活を始める一家が登場したのだ。これは一体何なのか。
そう訝(いぶか)しんだ視聴者も、回数が進むにつれ、徐々に倉本が描く世界から目が離せなくなる。そこに、当時の日本人に対する、怒りにも似た鋭い批評と警告、そして明確なメッセージがあったからだ。
倉本自身の言葉を借りよう。放送が続いていた82年1月、地元の「北海道新聞」に寄せた文章である。
「都会は無駄で溢れ、
その無駄で食う人々の数が増え、
全ては金で買え、
人は己のなすべき事まで他人に金を払い、
そして依頼する。
他愛ない知識と情報が横溢し、
それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、
人みなそこへ憧れ向かい、
その裏で人類が営々と貯えてきた生きるための知恵、
創る能力は知らず知らず退化している。
それが果たして文明なのだろうか。
『北の国から』はここから発想した」
80年代は、現在へとつながる様々な問題が噴出し始めた時代でもあった。世界一の長寿国となったことで到来した「高齢化社会」。地方から人が流出する現象が止まらない「過疎化社会」。何でも金(カネ)に換算しようとする「経済優先社会」。ウオークマンの流行に象徴される「個人化社会」等々。
それだけではない。「家族」という共同体の最小単位にも変化が起きていた。この頃から「単身赴任」が当たり前になり、父親が「粗大ごみ」などと呼ばれたりもした。また「家庭内離婚」や「家庭内暴力」といった言葉も広く使われるようになる。
『北の国から』はこうした時代を背景に、視聴者が無意識の中で感じていた「家族」の危機と再生への願いを、苦味も伴う物語として具現化していたのだ。それはまさに“社会の合わせ鏡”としてのドラマだった。
82年3月末に全24回の放送を終えた後も、スペシャル形式で2002年まで続くことになる『北の国から』。その20年の過程には、大人になっていく純や蛍の学びや仕事、恋愛と結婚、そして離婚までもが描かれた。
フィクションであるはずの登場人物たちが、演じる役者と共にリアルな成長を見せたのだ。また視聴者側も、彼らの姿を見つめながら同じ時代を生き、一緒に年齢を重ねていった。やはり、空前絶後のドラマだったのである。