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Channel: 碓井広義ブログ
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“暑がり君”が必死に伝える「熱中症予防情報」

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NHKの気象情報番組。

その中で、「明日の熱中症予防情報」が伝えられる。

で、この一覧表に出てくる“男の子”のキャラクターが、何ともいいんだよなあ。

「こんな暑さ、平気だよ」から、「もう死にそう!」っていうレベルまで、顔の表情で一目瞭然。




我家では大人気なんだけど、この子の名前がよくわからなくて。

勝手に、「熱中くん」とか、「暑さ坊や」とか呼んできましたが、どうやら「暑がり君」ではないかという情報あり。

違ってたら、ごめんね。

9日(火)は40度近くまでいく地域もあるらしく、暑がり君は「危険」レベルを示す悲痛な表情だ(笑)。

身をもって熱中症予防を訴えてくれている暑がり君のためにも、小まめに水分を補給し、猛暑を乗り切りましょう。







「パルコ劇場」と演出家・福田陽一郎

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猛暑の8月7日(日)、東京・渋谷の「パルコ劇場」が休館となった。思い出すのは、この、ちょっと贅沢な劇場で観た、いくつかの舞台。それ以上に、観ることのできなかった、たくさんの舞台。また、プロデューサーとして制作したドラマで、この劇場を貸切にして行った大掛かりな撮影。そして、演出家・福田陽一郎さんのことも。

福田陽一郎(1932-2010)という名前を意識したのは70年代半ばだった。「渋谷パルコ」が、商業施設でありながら文化の発信基地というイメージで登場し、「公園通り」と共に渋谷の街のイメージを変えてしまった頃だ。

西武劇場(現パルコ劇場)で「ショーガール」というミュージカル・ショーが上演されていた。出演は木の実ナナと細川俊之だ。当時の貧乏学生としては、気にはなったが見られるはずもなく、パルコに掲げられた巨大な看板というか、宣伝幕みたいなものを見上げるばかり。その演出家が福田陽一郎さんだったのだ。

福田陽一郎:著『渥美清の肘突き~人生ほど素敵なショーはない』(岩波書店)は、福田さんの自伝的回想録である。昭和7年生まれの福田さんが、戦後の学生時代、日本テレビのディレクター時代、そしてフリーとして舞台演出や脚本などで大活躍する時代を、いかにエンタテインメントと共に生きてきたかが綴られている。

タイトルに渥美清の名が入っているが、福田さんは、渥美清が若いころから亡くなるまでの長い時間を、よき友人として過ごした。「肘突き」も含め、福田さんしか知らないエピソードが満載だ。

それにしても、テレビ草創期の現場の熱気というか、はちゃめちゃぶりというか、何をやっても初めてであり、毎日が実験とお祭りみたいな日々は、読んでいて羨ましくなる。登場する役者は、その後重鎮と呼ばれるような人たちだが、彼らもまだ若く、福田さんと一緒になって何かを生み出そうとしていた様子が目に浮かぶ。

たとえば昭和38年、福田さんが日テレ時代に演出した『男嫌い』は、越路吹雪、淡路恵子、岸田今日子、横山道代という当時の人気女優4人を集めた連続ドラマだ。ゲストの男たちが、毎回、4人姉妹にやり込められるのがミソ。シチュエーション・コメディのはしりみたいな内容だったという。映像が残っているなら、ぜひ見てみたいものだ。

この洒脱な内容の本が、マジメなイメージの強い岩波書店から出ているのも面白い。割と小さな文字がぎっしり詰まっているが、巻末の三谷幸喜さんとの対談も含め、一気に読んでしまった。確かに、人生ほど素敵なショーはないかもしれない。

【気まぐれ写真館】 猛暑の戦後71年8月9日 合掌

異色の“食ドラマ”「侠飯~おとこめし~」の味

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日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。

今週は、テレビ東京のドラマ24「侠飯~おとこめし~」について書きました。


テレビ東京系ドラマ24「侠飯~おとこめし~」
異色の“食ドラマ”は名言もキモ
黒澤満といえば、松田優作の映画「最も危険な遊戯」やドラマ「探偵物語」などを手がけた伝説のプロデューサーである。

その名がドラマ24「侠飯~おとこめし~」(テレビ東京系)に、制作監修としてクレジットされていたので驚いた。御年83歳にしてバリバリの現役だったのだ。

三流大学に通う良太(柄本時生)は就活の真っ最中。討ち死にの日々が続いていたが、ひょんなことから逃げ込んできたヤクザの柳刃(生瀬勝久)と同居するハメになる。

しかもこの男、出自や経緯は不明だが、料理の腕前がプロ並みなのだ。

毎回のお楽しみは、柳刃が披露する、安くて簡単でうまい料理である。これまでに、「焦がし醤油のにんにくチャーハン」や「塩辛カレーリゾット」など、料理に不慣れなオトコでも実際に作れそうな品が登場した。「キッチンは俺のシマ(縄張り)だ!」とタンカを切るだけのことはある。

また、このドラマのもうひとつのキモは、料理について語る柳刃の言葉が、そのまま就活中の良太へのアドバイスになっていることだ。

「どんな食材も工夫次第(=大学のランクなど関係ない)」「他人の家の味をうらやむ必要はない(=自分の個性を大事にしろ)」といった名言が並ぶ。

「孤独のグルメ」とは、またひと味違うアプローチの“食ドラマ”。夏バテ対策にも有効だ。

(日刊ゲンダイ 2016.08.10)

31年目の8月12日に・・・

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切手「上を向いて歩こう」

31年前の今日、1985年8月12日に起きた日航機墜落事故。

現場である御巣鷹山が群馬県だったことから、地元の新聞は中央紙に負けじと独自取材でがんばった。まさに、その地元紙(上毛新聞)の記者として事故の取材に当たったのが、作家の横山秀夫さんだ。

小説『クライマーズ・ハイ』が世に出たのは2003年であり、事故から18年を経ていた。横山さんがこの作品を書くまでに、それだけの時間を必要としたということだ。確かに重い題材だったと思う。

原田眞人監督による同名映画の公開は2008年。原田監督といえば『金融腐蝕列島〔呪縛〕』を思い出す。「組織と個人の葛藤」というテーマは、この作品でも生きている。いや、一層ダイナミックに描き出される。原作よりも、新聞社内部の”熱気と混沌”に、より軸足を置いているからだ。

堤真一(好演)が演じる取材責任者や、実際に御巣鷹山に登り、自分の目で現場を見てきた記者・堺雅人(熱演)はもちろん、山崎努のワンマン社長、また編集や販売のトップたちも、なにやら「ヤクザの出入り」(東映作品だし)のような雰囲気とテンションの中でうごめいていた。

小説でも映画でも、新聞社の中にまだパソコンがなく、原稿用紙に手で書きなぐっている場面に、あらためて驚く。そういえばケータイもまだない。記者が現場から送稿するのに公衆電話を使っているのだ。アナログ時代と言わば言え。人間が取材し、人間が記事を書く。つまり、人間が新聞を作っていることが強く伝わってくる。

それにしても、映画で再現されたこの航空機事故の修羅場には、思わず息をのんだ。また、それを伝えようとしたジャーナリストたち、いや古い言葉でいえばブンヤさんたちのエネルギーにも圧倒された。

今日、あらためて、小説『クライマーズ・ハイ』を読み返してみたい。

合掌。

今月の「実相寺昭雄研究会」

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3年前から活動を続けている「実相寺昭雄研究会」。

今月は、実相寺監督とたくさんの仕事をしてきた、油谷岩夫プロデューサー(写真 右)へのインタビュー。

35年のお付き合いですが、油谷さんのことを、ほとんど知らなかったことがわかりました(笑)。

インタビューの撮影・収録は、実相寺監督の「ウルトラセブン」から「帝都物語」までを手がけた”伝説の撮影監督”(もちろん現役!)である中堀正夫カメラマン(写真 奥)。

豪華な布陣です。


実相寺昭雄オフィシャルサイト:
http://jissoji.wixsite.com/jissoji-lab

【気まぐれ写真館】 残暑お見舞い申し上げます 2016.08.13

「SMAP、年末に解散」の報道に触れて

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NHK紅白歌合戦2015

「SMAP、年末に解散」の報道がありました。

そうなったんですね。

今年の1月、例の解散騒動があった際、産経新聞の取材に答えたことを、思い出しました。

基本的には、今回も、あの時と同様の感想です。



――中略――

一方、解散を前向きに捉える意見も。

上智大学の碓井広義文学部教授(メディア論)は、「彼らも年齢を重ねた。ファンやメディアは『アイドル』という名目を外し、個々のメンバーが活躍できる場を広げる応援をしてあげてもいいのでは」と語る。

SMAPの活動が結成後約30年に及ぶことに触れ、「こうしたグループは世界的にも数少ない。よくぞここまで続けた」と労った。

(産経新聞 2016年01月14日)

【気まぐれ写真館】 曇天の戦後71年8月15日 合掌

JR東日本CM「行くぜ、東北。」の喚起力

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日経MJ(流通新聞)に連載しているコラム「CM裏表」。

今回は、JR東日本「行くぜ、東北。」を取り上げました。


JR東日本「行くぜ、東北。」
被災地への関心 さりげなく刺激
CMの効用のひとつに、「思い出す」がある。JR東日本「行くぜ、東北。」シリーズはそんな1本だ。

2011年3月から5年と5ヶ月。被災地に対する「どうしているだろう」の気持ちを、さりげなく刺激してくれる。

新たな旅人は松岡茉優さん。NHK朝ドラ「あまちゃん」の地元アイドル役でブレイクし、昨年の「She」(フジテレビ系)、今年の「水族館ガール」(NHK)と連ドラ主演作が続いている。

どんな役柄も自然に自分のものにしてしまう演技力。またバラエティーでも崩し過ぎない親しみやすさが持ち味だ。

今回、松岡さんが歩くのは宮城県女川町。地震と津波で沿岸部の被害は壊滅的だったが、昨年末にはテナント型商店街「シーパルピア女川」もオープンした。ナレーションの通り、「東北は前へ進んでいる」のだ。

オリンピックと甲子園のテレビ中継から目が離せない今年の夏だが、旅に出るなら、ぜひ東北へ。

(日経MJ 2016.08.15)

遅ればせの「お盆」で、信州へ

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遅ればせの「お盆」で、故郷・信州へ。

実家で父の、そして恩師である浜光雄(童話作家・はまみつを)先生の仏前にお線香。

浜先生がお元気な頃は、毎年のお盆と正月、それぞれ半日、飲みながらの大放談会でした。

今は、手を合わせて、半期の報告です。



先生の奥さまとお嬢さん(クッキングコーディネーター・浜このみさん)と一緒に、先生の写真を囲んで、本日の記念写真。

このみさんは、NBS長野放送「土曜はこれダネッ!」などで活躍中です。

無類のドラマ愛好家ということもあり、今期のドラマについて、楽しい放談会となりました。


というわけで、浜先生、また半年後に!

【気まぐれ写真館】 残暑の多摩川 2016.08.17

PKO参加の文民警察官は、なぜ“戦死”したのか!?

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日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。

今週は、NHKスペシャル「ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~」について書きました。


NHKスペシャル
「ある文民警察官の死
~カンボジアPKO 23年目の告白~」

日本人警官がカンボジアでなぜ“戦死”  
NHKが真相に迫った
先週末、NHKスペシャル「ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~」が放送された。扱われていたのは、1993年5月、カンボジアでPKO(国連平和維持活動)に参加していた日本人警察官が殺害された事件だ。

当時、カンボジア内戦の停戦を踏まえ、UNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)の主導で民主的選挙が実施された。日本政府は自衛隊と警察官を派遣。戦闘は停止されていたはずだった。

しかし、警察官たちはポル・ポト派とみられる武装ゲリラに襲撃され、高田晴行警部補(当時33歳)が命を落としたのだ。

番組では生き残った警察官たちが、23年を経て初めて「何があったのか」を証言していた。彼らが体験したのは、停戦合意も戦闘停止も建前に過ぎず、自分たちが標的となる“戦場”だったのだ。

しかも当時、UNTACも日本政府も、この事件をポル・ポト派の仕業とは認めず、あくまでも「正体不明の武装集団」だとした。また、「要員の撤収も考えない」と。

今回初公開された現地で撮影された映像や警察官の日記も、カンボジアPKOの実態をよく伝えていた。戦うために行ったわけではない高田警部補だが、まさに“戦死”だったのである。

戦後の安全保障政策は、すでに大転換を遂げている。23年前の“真相”から学ぶべきことは多い。

(日刊ゲンダイ 2016.08.17)

戦後71年8月15日と「昭和」の記憶

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8月は、どこか忘れかけている「昭和」を、さまざまな形で思い出させてくれる。

15日(月)は、71回目の終戦(正確には敗戦)記念日だった。

71年前といわれると、「ずいぶん前」としか思えないが、私が生まれたのが1955(昭和30)年で、それは1945(昭和20)年の敗戦から、わずか10年後のことだ。

今から10年前なら2006(平成18)年。10年なんて、「ほんの少し前」、「つい昨日のような」と言いたくなるほど近い過去なのだ。

「昭和20年代」には、まだ戦争の時代の面影があるが、わずか10年後に始まる「昭和30年代」となると、戦争や敗戦のイメージは急に薄れる。

だが、それだって2016年という現在から見ての事であり、実際、昭和30年代には、まだ町角で傷痍軍人を見かけたし、デモや社会運動のスローガンとして「戦争反対」「戦争、許すまじ」は十分に生きていた。

そんなことを思うのは、特に今年の「8月15日」が、オリンピックの最中ということもあり、テレビが「終戦記念日特番」を打つわけもなく、靖国神社に政治家の誰が行き、誰が行かないといった報道くらいしか見なかったせいだろう。

●日本のいちばん長い日

そんな中、前日の14日(日)夜、テレビ朝日が原田眞人監督『日本のいちばん長い日』(2015)を放送していた。

力作ではあるし、放送自体は結構なのだが、個人的には、できれば岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(1967)のほうを流して欲しかった。

岡本版のほうが、「原作」が描いていた“あの日”と、“あの出来事”を、強烈な緊迫感で表現しているからだ。

生前の岡本喜八監督にお目にかかった際も、愛着の深い作品として、『肉弾』(1968)と『日本のいちばん長い日』を挙げていらした。

さて原作だが、私の手元にあるのは、1965(昭和40)年に出版された、並製(ソフトな表紙)の大宅壮一:編『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(文藝春秋)だ。

現在、入手できるのは、同じ文藝春秋から95年に出た半藤一利『決定版 日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』が文庫化された、『決定版 日本のいちばん長い日』(文春文庫)である。著者は「半藤一利」であり、タイトルに「決定版」が入っている。

大宅版の「あとがき」は、「文藝春秋<戦史研究会>」の名義で書かれており、そこに「本文は半藤一利がこれをまとめました」とある。

実は、元々この本を書いたのは半藤さんだったが、当時は文藝春秋新社の社員だったので、「大宅壮一 編」として出版されたという経緯があった。

もちろん営業的にも、大宅壮一のネームバリューは有効だったはずだ。

●昭和の風景と記憶を記録する

昭和は、(1)元年から20年まで、(2)20年代~30年代、(3)40年代、(4)50年代~最後の63年まで、といった具合に、大きく4つのブロックに分けられそうだ。

個人的な感触でいえば、すでに第3ブロックあたりまでが「歴史」の範疇になってしまっているような気がする。

テレビ朝日の原田版『日本のいちばん長い日』を横目で眺めつつ、秋山真志さんの『昭和 失われた風景・人情』(ポプラ社)を読んだ。

フリーランスのライター&エディターである秋山さんには、寄席を支える様々な仕事師たちを取材した『寄席の人たち 現代寄席人物列伝』(創美社)などの著書がある。

この『昭和 失われた風景・人情』のテーマは、昭和30~40年代の、まさに”失われた風景”。主な舞台は東京だ。

手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫といった漫画家が暮らしていた伝説のアパート「トキワ荘」。今は高層ビルが林立する新宿副都心にあった巨大な人工池「淀橋浄水場」。それから「丸ビル」や「玉川電車」も。

秋山さんは、東京の「かつてそれがあった場所」を訪ね、歩き回り、当時を知る人に話を聞いていく。記憶を記録しているのだ。

それだけではない。私のような「地方在住の子ども」にとっても、同じように懐かしい風景も登場する。デパートの屋上にあった楽園「屋上遊園地」。その店先に立つだけでわくわくした「駄菓子屋」などだ。

この本全体は、もちろん懐かしさにあふれているが、単なる懐古趣味ではない。丹念なフィールドワークによって徐々に甦ってくる「昭和の記憶」と「昭和の風景」は、ほとんど消えかけている「街と時代」の貴重な記録なのである。

やはり8月は、忘れかけている「昭和」を思い出させてくれる月だ。

HTB北海道テレビ「イチオシ!」 2016.08.19

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オクラホマ藤尾さん、碓井、国井アナ、ヒロさん







和音ちゃん





今週の「国井美佐アナウンサー」

【気まぐれ写真館】 札幌 低気圧接近中 2016.08.20

HTB北海道テレビ「イチオシ!モーニング」 2016.08.20

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野球解説の岩本さん

ファイターズガールの谷口さん、安念さん

ニュースの柳田アナ、岩本さん



愛里さん、依田アナ、オクラホマ藤尾さん

今週の「木村愛里さん」

【気まぐれ写真館】 台風前の夕暮れ 2016.08.21

昭和20年8月15日、反乱部隊に抵抗したNHK女子アナ

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作家の近藤富枝さんが亡くなったのは、ついひと月ほど前、7月24日のことだ。享年93。

お目にかかったのは80年代末で、当時、制作を進めていた番組のために、明治の鹿鳴館について教えていただいた。

お話がとても明快で、分かりやすかったことを覚えている。

『本郷菊富士ホテル』(中公文庫)、『田端文士村』(同)などで知られる近藤さんは、昭和19年にNHKのアナウンサーになった。

元放送人の、またこの時代を生き抜いた一人の女性の回想録『大本営発表のマイク~私の十五年戦争』(河出書房新社)が出版されたのは3年前だ。

この本の読みどころは、放送に関する話だけではない。第1章が「昭和ノスタルジー」と題されているように、前半部分には著者が少女から大人になる昭和初期の生活が活写されている。

足繁く通った歌舞伎座。女優修行。東京女子大で出会う親友、のちの瀬戸内晴美(寂聴)等々。若い女性である近藤さんにとって、昭和は決して暗いだけの日々ではなかったのだ。

しかし、NHK入局後は、あの大本営発表も読むことになる。その最初が神風特攻隊に関するものだった。

そして昭和20年8月15日、反乱部隊がNHKに押し寄せる。マイクを奪おうとした将校に、決然として抵抗したのは同僚の女子アナだった。これもまた、“当事者”ならではの貴重な証言だ。

テレビ観戦の夏が終わる

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記憶の中にある、一番古いオリンピックの映像は1964(昭和39)年、小学4年生の時に見た東京大会だ。三波春夫の「東京五輪音頭」は、今でも歌詞を見ないで歌える。次のメキシコ大会はカラーテレビで見た。

それ以降のオリンピックは正確な順番も言えないが、それでも毎回テレビの前にいた。そして今回のリオも、かなりの時間、テレビ画面に目を向けた。

とはいえ、2016年の今、すでに私たちはオリンピックについてさまざまなことを知っている。それは単なるスポーツの祭典ではない。テレビをはじめとするメディアによって、劇的に演出された“メディアスポーツ”である。マーケティング戦略を駆使した”ビッグビジネス”の側面をもつ、“世界最大規模のイベント”だ。

また、トップクラスの選手にもドーピングなど薬物に依存する者がいる。そして、“平和の祭典”であるはずのオリンピック開催中も、世界各地の紛争や戦闘は止むことがない。

しかし、それらを承知の上で、「人はオリンピックに何を見ようとするのか。たぶん、私はスポーツにおける《偉大な瞬間》に遭遇したいと望んでいるのだ」(『冠 OLYMPIC GAMES』)という沢木耕太郎さんの思いは、私たちの胸の内にもある。

4年に1度という舞台に、世界中から選手たちが集まり、全力で走り、投げ、打ち、跳び、泳ぎ、舞う。その姿は、確かに、見る者の何かを揺さぶる大きなチカラをもっていた。

リオのオリンピックが終わる。テレビ観戦の夏が終わろうとしている。
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