8月は、どこか忘れかけている「昭和」を、さまざまな形で思い出させてくれる。
15日(月)は、71回目の終戦(正確には敗戦)記念日だった。
71年前といわれると、「ずいぶん前」としか思えないが、私が生まれたのが1955(昭和30)年で、それは1945(昭和20)年の敗戦から、わずか10年後のことだ。
今から10年前なら2006(平成18)年。10年なんて、「ほんの少し前」、「つい昨日のような」と言いたくなるほど近い過去なのだ。
「昭和20年代」には、まだ戦争の時代の面影があるが、わずか10年後に始まる「昭和30年代」となると、戦争や敗戦のイメージは急に薄れる。
だが、それだって2016年という現在から見ての事であり、実際、昭和30年代には、まだ町角で傷痍軍人を見かけたし、デモや社会運動のスローガンとして「戦争反対」「戦争、許すまじ」は十分に生きていた。
そんなことを思うのは、特に今年の「8月15日」が、オリンピックの最中ということもあり、テレビが「終戦記念日特番」を打つわけもなく、靖国神社に政治家の誰が行き、誰が行かないといった報道くらいしか見なかったせいだろう。
●日本のいちばん長い日
そんな中、前日の14日(日)夜、テレビ朝日が原田眞人監督『日本のいちばん長い日』(2015)を放送していた。
力作ではあるし、放送自体は結構なのだが、個人的には、できれば岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(1967)のほうを流して欲しかった。
岡本版のほうが、「原作」が描いていた“あの日”と、“あの出来事”を、強烈な緊迫感で表現しているからだ。
生前の岡本喜八監督にお目にかかった際も、愛着の深い作品として、『肉弾』(1968)と『日本のいちばん長い日』を挙げていらした。
さて原作だが、私の手元にあるのは、1965(昭和40)年に出版された、並製(ソフトな表紙)の大宅壮一:編『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(文藝春秋)だ。
現在、入手できるのは、同じ文藝春秋から95年に出た半藤一利『決定版 日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』が文庫化された、『決定版 日本のいちばん長い日』(文春文庫)である。著者は「半藤一利」であり、タイトルに「決定版」が入っている。
大宅版の「あとがき」は、「文藝春秋<戦史研究会>」の名義で書かれており、そこに「本文は半藤一利がこれをまとめました」とある。
実は、元々この本を書いたのは半藤さんだったが、当時は文藝春秋新社の社員だったので、「大宅壮一 編」として出版されたという経緯があった。
もちろん営業的にも、大宅壮一のネームバリューは有効だったはずだ。
●昭和の風景と記憶を記録する
昭和は、(1)元年から20年まで、(2)20年代~30年代、(3)40年代、(4)50年代~最後の63年まで、といった具合に、大きく4つのブロックに分けられそうだ。
個人的な感触でいえば、すでに第3ブロックあたりまでが「歴史」の範疇になってしまっているような気がする。
テレビ朝日の原田版『日本のいちばん長い日』を横目で眺めつつ、秋山真志さんの『昭和 失われた風景・人情』(ポプラ社)を読んだ。
フリーランスのライター&エディターである秋山さんには、寄席を支える様々な仕事師たちを取材した『寄席の人たち 現代寄席人物列伝』(創美社)などの著書がある。
この『昭和 失われた風景・人情』のテーマは、昭和30~40年代の、まさに”失われた風景”。主な舞台は東京だ。
手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫といった漫画家が暮らしていた伝説のアパート「トキワ荘」。今は高層ビルが林立する新宿副都心にあった巨大な人工池「淀橋浄水場」。それから「丸ビル」や「玉川電車」も。
秋山さんは、東京の「かつてそれがあった場所」を訪ね、歩き回り、当時を知る人に話を聞いていく。記憶を記録しているのだ。
それだけではない。私のような「地方在住の子ども」にとっても、同じように懐かしい風景も登場する。デパートの屋上にあった楽園「屋上遊園地」。その店先に立つだけでわくわくした「駄菓子屋」などだ。
この本全体は、もちろん懐かしさにあふれているが、単なる懐古趣味ではない。丹念なフィールドワークによって徐々に甦ってくる「昭和の記憶」と「昭和の風景」は、ほとんど消えかけている「街と時代」の貴重な記録なのである。
やはり8月は、忘れかけている「昭和」を思い出させてくれる月だ。