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「日本民間放送連盟賞」審査会 2018.08.23

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紀尾井町の日本民間放送連盟へ。

終日、連盟賞「放送と公共性」部門の最終審査会。

今年もまた、優れた事績が並びました。

結果ですが・・・

発表は後日になります。

「ヤッさん」は食ドラマというより人情ドラマ

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日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。

今週は、テレビ東京のドラマ「ヤッさん~築地発!おいしい事件簿」について書きました。


ただの食ドラマにあらず
伊原剛志「ヤッさん」が醸す人情
主人公の設定が秀逸だ。テレビ東京系のドラマ「ヤッさん~築地発!おいしい事件簿」である。

ヤッさん(伊原剛志)はホームレスだが、銀座の高級店で賄い飯をごちそうになる。また築地市場の仲買人とも対等だ。食の知識が豊富で料理の腕も一流。築地と銀座を結ぶ隠れコーディネーターのような存在なのだ。

IT企業から落ちこぼれ、宿無しだったタカオ(柄本佑)は、ヤッさんに拾われて弟子になった。このドラマは、異色のホームレス2人が、築地や銀座で起こる事件を解決していく物語だ。個人の洋食店を乗っ取ろうとする悪徳外食グループと戦ったり、世代交代に悩む築地の人たちのために一役買ったりと忙しい。

人としての矜持を持ち、ホームレスという生き方を選んだヤッさん。困っている人を、「ありきたりな身の上話なんか聞きたくねえ」と言って、ある距離感を保ちながら助ける姿勢も好ましい。確かに、「どん底に落ちた人間を救うのは人とうまいメシ」かもしれない。一見、いわゆる食ドラマを思わせるが、実は脚本も含め、丁寧に作られた人情ドラマなのである。

脇役陣も2人をしっかり支えている。ヤッさんを応援するそば屋の主人(里見浩太朗)、ヤッさんを慕う韓国料理店主(板谷由夏)、そば職人を目指す女子高生(堀北真希に似た山本舞香)など、それぞれに適役だ。

(2016.08.24)

【気まぐれ写真館】 まだまだ30度超え 2016.08.25

BBCが選んだ「21世紀の偉大な映画ベスト100」

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イギリスの公共放送局BBC(英国放送協会)が選んだ、「21世紀の偉大な映画ベスト100」というランキングが発表されました。

4位に『千と千尋の神隠し』が入っているというので、話題になっています。

というか、100本の中に、日本映画は、これ1本だけなんですよね。

そちらのほうを話題にすべきかも(笑)。


で、1位から10位までを見てみると・・・

1.『マルホランド・ドライブ』(2001、デヴィッド・リンチ)
2.『花様年華(かようねんか)』(2000、ウォン・カーウァイ)
3.『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007、ポール・トーマス・アンダーソン)
4. 千と千尋の神隠し』(2001、宮崎駿)
5.『6才のボクが、大人になるまで。』(2014、リチャード・リンクレイター)
6.『エターナル・サンシャイン』(2004、ミシェル・ゴンドリー)
7.『ツリー・オブ・ライフ』(2011、テレンス・マリック)
8.『ヤンヤン 夏の想い出』(2000、エドワード・ヤン)
9.『別離』(2011、アスガー・ファルハディ)
10.『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(2013、ジョエル、イーサン・コーエン)


・・・うーん、かなりシブい選択であることが、わかります。

じゃあ、100本の全貌は? というので、確認してみました。

かなり壮観です。


BBC:
The 100 Greatest Films of the 21st Century

100. “Toni Erdmann” (Maren Ade, 2016)
100. “Requiem for a Dream” (Darren Aronofsky, 2000)
100. “Carlos” (Olivier Assayas, 2010)
99. “The Gleaners and I” (Agnès Varda, 2000)
98. “Ten” (Abbas Kiarostami, 2002)
97. “White Material” (Claire Denis, 2009)
96. “Finding Nemo” (Andrew Stanton, 2003)
95. “Moonrise Kingdom” (Wes Anderson, 2012)
94. “Let the Right One In” (Tomas Alfredson, 2008)
93. “Ratatouille” (Brad Bird, 2007)
92. “The Assassination of Jesse James by the Coward Robert Ford” (Andrew Dominik, 2007)
91. “The Secret in Their Eyes” (Juan José Campanella, 2009)
90. “The Pianist” (Roman Polanski, 2002)
89. “The Headless Woman” (Lucrecia Martel, 2008)
88. “Spotlight” (Tom McCarthy, 2015)
87. “Amélie” (Jean-Pierre Jeunet, 2001)
86. “Far From Heaven” (Todd Haynes, 2002)
85. “A Prophet” (Jacques Audiard, 2009)
84. “Her” (Spike Jonze, 2013)
83. “A.I. Artificial Intelligence” (Steven Spielberg, 2001)
82. “A Serious Man” (Joel and Ethan Coen, 2009)
81. “Shame” (Steve McQueen, 2011)
80. “The Return” (Andrey Zvyagintsev, 2003)
79. “Almost Famous” (Cameron Crowe, 2000)
78. “The Wolf of Wall Street” (Martin Scorsese, 2013)
77. “The Diving Bell and the Butterfly” (Julian Schnabel, 2007)
76. “Dogville” (Lars von Trier, 2003)
75. “Inherent Vice” (Paul Thomas Anderson, 2014)
74. “Spring Breakers” (Harmony Korine, 2012)
73. “Before Sunset” (Richard Linklater, 2004)
72. “Only Lovers Left Alive” (Jim Jarmusch, 2013)
71. “Tabu” (Miguel Gomes, 2012)
70. “Stories We Tell” (Sarah Polley, 2012)
69. “Carol” (Todd Haynes, 2015)
68. “The Royal Tenenbaums” (Wes Anderson, 2001)
67. “The Hurt Locker” (Kathryn Bigelow, 2008)
66. “Spring, Summer, Fall, Winter…and Spring” (Kim Ki-duk, 2003)
65. “Fish Tank” (Andrea Arnold, 2009)
64. “The Great Beauty” (Paolo Sorrentino, 2013)
63. “The Turin Horse” (Béla Tarr and Ágnes Hranitzky, 2011)
62. “Inglourious Basterds” (Quentin Tarantino, 2009)
61. “Under the Skin” (Jonathan Glazer, 2013)
60. “Syndromes and a Century” (Apichatpong Weerasethakul, 2006)
59. “A History of Violence” (David Cronenberg, 2005)
58. “Moolaadé” (Ousmane Sembène, 2004)
57. “Zero Dark Thirty” (Kathryn Bigelow, 2012)
56. “Werckmeister Harmonies” (Béla Tarr, director; Ágnes Hranitzky, co-director, 2000)
55. “Ida” (Paweł Pawlikowski, 2013)
54. “Once Upon a Time in Anatolia” (Nuri Bilge Ceylan, 2011)
53. “Moulin Rouge!” (Baz Luhrmann, 2001)
52. “Tropical Malady” (Apichatpong Weerasethakul, 2004)
51. “Inception” (Christopher Nolan, 2010)
50. “The Assassin (Hou Hsiao-hsien, 2015)
49. “Goodbye to Language” (Jean-Luc Godard, 2014)
48. “Brooklyn” (John Crowley, 2015)
47. “Leviathan” (Andrey Zvyagintsev, 2014)
46. “Certified Copy” (Abbas Kiarostami, 2010)
45. “Blue Is the Warmest Color” (Abdellatif Kechiche, 2013)
44. “12 Years a Slave” (Steve McQueen, 2013)
43. “Melancholia” (Lars von Trier, 2011)
42. “Amour” (Michael Haneke, 2012)
41. “Inside Out” (Pete Docter, 2015)
40. “Brokeback Mountain” (Ang Lee, 2005)
39. “The New World” (Terrence Malick, 2005)
38. “City of God” (Fernando Meirelles and Kátia Lund, 2002)
37. “Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives” (Apichatpong Weerasethakul, 2010)
36. “Timbuktu” (Abderrahmane Sissako, 2014)
35. “Crouching Tiger, Hidden Dragon” (Ang Lee, 2000)
34. “Son of Saul” (László Nemes, 2015)
33. “The Dark Knight” (Christopher Nolan, 2008)
32. “The Lives of Others” (Florian Henckel von Donnersmarck, 2006)
31. “Margaret” (Kenneth Lonergan, 2011)
30. “Oldboy” (Park Chan-wook, 2003)
29. “WALL-E” (Andrew Stanton, 2008)
28. “Talk to Her” (Pedro Almodóvar, 2002)
27. “The Social Network” (David Fincher, 2010)
26. “25th Hour” (Spike Lee, 2002)
25. “Memento” (Christopher Nolan, 2000)
24. “The Master” (Paul Thomas Anderson, 2012)
23. “Caché” (Michael Haneke, 2005)
22. “Lost in Translation” (Sofia Coppola, 2003)
21. “The Grand Budapest Hotel” (Wes Anderson, 2014)
20. “Synecdoche, New York” (Charlie Kaufman, 2008)
19. “Mad Max: Fury Road” (George Miller, 2015)
18. “The White Ribbon” (Michael Haneke, 2009)
17. “Pan’s Labyrinth” (Guillermo Del Toro, 2006)
16. “Holy Motors” (Leos Carax, 2012)
15. “4 Months, 3 Weeks and 2 Days” (Cristian Mungiu, 2007)
14. “The Act of Killing” (Joshua Oppenheimer, 2012)
13. “Children of Men” (Alfonso Cuarón, 2006)
12. “Zodiac” (David Fincher, 2007)
11. “Inside Llewyn Davis” (Joel and Ethan Coen, 2013)
10. “No Country for Old Men” (Joel and Ethan Coen, 2007)
9. “A Separation” (Asghar Farhadi, 2011)
8. “Yi Yi: A One and a Two” (Edward Yang, 2000)
7. “The Tree of Life” (Terrence Malick, 2011)
6. “Eternal Sunshine of the Spotless Mind” (Michel Gondry, 2004)
5. “Boyhood” (Richard Linklater, 2014)
4. “Spirited Away” (Hayao Miyazaki, 2001)
3. “There Will Be Blood” (Paul Thomas Anderson, 2007)
2. “In the Mood for Love” (Wong Kar-wai, 2000)
1. “Mulholland Drive” (David Lynch, 2001)


BBCが選んだ「21世紀の偉大な映画ベスト100」
100位 『トニ・エルトマン』(マーレン・アーデ、2016)
100位 『レクイエム・フォー・ドリーム』(ダーレン・アロノフスキー、2000)
100位 『カルロス』(オリヴィエ・アサヤス、2010)
99位 『落穂拾い』(アニエス・ヴァルダ、2000)
98位 『10話』(アッバス・キアロスタミ、2002)
97位 『ホワイト・マテリアル』(クレール・ドニ、2009)
96位 『ファインディング・ニモ』(アンドリュー・スタントン、2003)
95位 『ムーンライズ・キングダム』(ウェス・アンダーソン、2012)
94位 『ぼくのエリ 200歳の少女』(トーマス・アルフレッドソン、2008)
93位 『レミーのおいしいレストラン』(ブラッド・バード、2007)
92位 『ジェシー・ジェームズの暗殺』(アンドリュー・ドミニク、2007)
91位 『瞳の奥の秘密』(フアン・ホセ・カンパネラ、2009)

90位 『戦場のピアニスト』(ロマン・ポランスキー、2002)
89位 『頭のない女』(ルクレシア・マルテル、2008)
88位 『スポットライト 世紀のスクープ』(トム・マッカーシー、2015)
87位 『アメリ』(ジャン=ピエール・ジュネ、2001)
86位 『エデンより彼方に』(トッド・ヘインズ、2002)
85位 『預言者』(ジャック・オーディアール、2009)
84位 『her/世界でひとつの彼女』(スパイク・ジョーンズ、2013)
83位 『A.I.』(スティーヴン・スピルバーグ、2001)
82位 『シリアスマン』(コーエン兄弟、2009)
81位 『SHAME -シェイム-』(スティーヴ・マックイーン、2011)

80位 『父、帰る』(アンドレイ・ズビャギンツェフ、2003)
79位 『あの頃ペニー・レインと』(キャメロン・クロウ、2000)
78位 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(マーティン・スコセッシ、2013)
77位 『潜水服は蝶の夢を見る』(ジュリアン・シュナーベル、2007)
76位 『ドッグヴィル』(ラース・フォン・トリアー、2003)
75位 『インヒアレント・ヴァイス』(ポール・トーマス・アンダーソン、2014)
74位 『スプリング・ブレイカーズ』(ハーモニー・コリン、2012)
73位 『ビフォア・サンセット』(リチャード・リンクレイター、2004)
72位 『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(ジム・ジャームッシュ、2013)
71位 『熱波』(ミゲル・ゴメス、2012)

70位 『物語る私たち』(サラ・ポーリー、2012)
69位 『キャロル』(トッド・ヘインズ、2015)
68位 『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(ウェス・アンダーソン、2001)
67位 『ハート・ロッカー』(キャスリン・ビグロー、2008)
66位 『春夏秋冬そして春』(キム・ギドク、2003)
65位 『フィッシュ・タンク』(アンドレア・アーノルド、2009)
64位 『グレート・ビューティー/追憶のローマ』(パオロ・ソレンティーノ、2013)
63位 『ニーチェの馬』(タル・ベーラ、アニエス・フラニツキ、2011)
62位 『イングロリアス・バスターズ』(クエンティン・タランティーノ、2009)
61位 『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(ジョナサン・グレイザー、2013)

60位 『世紀の光』(アピチャートポン・ウィーラセータクン、2006)
59位 『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(デヴィッド・クローネンバーグ、2005)
58位 『母たちの村』(センベーヌ・ウスマン、2004)
57位 『ゼロ・ダーク・サーティ』(キャスリン・ビグロー、2012)
56位 『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(タル・ベーラ、2000)
55位 『イーダ』(パヴェウ・パヴリコフスキ、2013)
54位 『昔々、アナトリアで』(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、2011)
53位 『ムーラン・ルージュ』(バズ・ラーマン、2001)
52位 『トロピカル・マラディ』(アピチャートポン・ウィーラセータクン、2004)
51位 『インセプション』(クリストファー・ノーラン、2010)

50位 『黒衣の刺客』(ホウ・シャオシェン、2015)
49位 『さらば、愛の言葉よ』(ジャン=リュック・ゴダール、2014)
48位 『ブルックリン』(ジョン・クローリー、2015)
47位 『裁かれるは善人のみ』(アンドレイ・ズビャギンツェフ、2014)
46位 『トスカーナの贋作』(アッバス・キアロスタミ、2010)
45位 『アデル、ブルーは熱い色』(アブデラティフ・ケシシュ、2013)
44位 『それでも夜は明ける』(スティーヴ・マックイーン、2013)
43位 『メランコリア』(ラース・フォン・トリアー、2011)
42位 『愛、アムール』(ミヒャエル・ハネケ、2012)
41位 『インサイド・ヘッド』(ピーター・ドクター、2015)

40位 『ブロークバック・マウンテン』(アン・リー、2005)
39位 『ニュー・ワールド』(テレンス・マリック、2005)
38位 『シティ・オブ・ゴッド』(フェルナンド・メイレレス、2002)
37位 『ブンミおじさんの森』(アピチャートポン・ウィーラセータクン、2010)
36位 『禁じられた歌声』(アブデラマン・シサコ、2014)
35位 『グリーン・デスティニー』(アン・リー、2000)
34位 『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー、2015)
33位 『ダークナイト』(クリストファー・ノーラン、2008)
32位 『善き人のためのソナタ』(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク、2006)
31位 『マーガレット』(ケネス・ローナガン、2011)

30位 『オールド・ボーイ』(パク・チャヌク、2003)
29位 『ウォーリー』(アンドリュー・スタントン、2008)
28位 『トーク・トゥ・ハー』(ペドロ・アルモドバル、2002)
27位 『ソーシャル・ネットワーク』(デヴィッド・フィンチャー、2010)
26位 『25時』(スパイク・リー、2002)
25位 『メメント』(クリストファー・ノーラン、2000)
24位 『ザ・マスター』(ポール・トーマス・アンダーソン、2012)
23位 『隠された記憶』(ミヒャエル・ハネケ、2005)
22位 『ロスト・イン・トランスレーション』(ソフィア・コッポラ、2003)
21位 『グランド・ブダペスト・ホテル』(ウェス・アンダーソン、2014)

20位 『脳内ニューヨーク』(チャーリー・カウフマン、2008)
19位 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(ジョージ・ミラー、2015)
18位 『白いリボン』(ミヒャエル・ハネケ、2009)
17位 『パンズ・ラビリンス』(ギレルモ・デル・トロ、2006)
16位 『ホーリー・モーターズ』(レオス・カラックス、2012)
15位 『4ヶ月、3週と2日』(クリスチャン・ムンギウ、2007)
14位 『アクト・オブ・キリング』(ジョシュア・オッペンハイマー、2012)
13位 『トゥモロー・ワールド』(アルフォンソ・キュアロン、2006)
12位 『ゾディアック』(デヴィッド・フィンチャー、2007)
11位 『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(コーエン兄弟、2013)

10位 『ノーカントリー』(コーエン兄弟、2007)
9位 『別離』(アスガル・ファルハーディー、2009)
8位 『ヤンヤン 夏の想い出』(エドワード・ヤン、2000)
7位 『ツリー・オブ・ライフ』(テレンス・マリック、2011)
6位 『エターナル・サンシャイン』(ミシェル・ゴンドリー、2004)
5位 『6才のボクが、大人になるまで。』(リチャード・リンクレイター、2014)
4位 『千と千尋の神隠し』(宮崎駿、2001)
3位 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(ポール・トーマス・アンダーソン、2007)
2位 『花様年華』(ウォン・カーウァイ、2000)
1位 『マルホランド・ドライブ』(デヴィッド・リンチ、2001)


・・・恥ずかしながら、観てない作品が結構ありますねえ。

まあ、今後のお楽しみ、ということで。



『マルホランド・ドライブ』

書評した本: 川村二郎 『社会人としての言葉の流儀』ほか

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残暑、お見舞い申し上げます!

「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。


川村二郎 『社会人としての言葉の流儀』
東京書館 1512円

著者は元「週刊朝日」編集長。言葉に関して筋金入りの頑固者だ。「生きざま」「こだわり」といった言葉を無神経に使うことを戒め、「思う」と「考える」と「感じる」を正確に使い分けることの大切さを教えてくれる。正しい言葉を学ぶ日本語読本。言葉は人なり。


瀧口雅仁 『古典・新作 落語事典』
丸善出版 5184円

新作を含む約700席を収載した画期的な事典。あらすじに続く解説も秀逸だ。たとえば三遊亭圓朝作とされる「死神」では、グリム童話などとの関係を辿る一方で、六代目圓生や十代目柳家小三治、立川志の輔の型にまで言及している。個人で成し遂げた金字塔だ。


小屋一雄 『シニアの品格』
小学館 1620円

対話は哲学的思考の基本だ。本書は59歳のプレシニアと88歳の老人が語り合う設定の人生論。「ひたすら話を聞く」だけで相手が変化していくという視点がユニークだ。「であるべき」に縛られず、「生き続けること」を続けること。読後、心がやわらかくなっている。

(週刊新潮 2016年8月25日秋風月増大号)

【気まぐれ写真館】 大気は不安定 2016.08.27

BPO「放送倫理検証委員会」の10年

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設立から10年となる、放送倫理・番組向上機構(BPO)「放送倫理検証委員会」。

毎日新聞の「論点」に寄稿しました。


<論点>放送倫理検証委を問う
 NHKと日本民間放送連盟が設置した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の3委員会の一つ、放送倫理検証委員会が今年、10年目を迎えた。放送の自律を強化し、政治による介入を阻止すべく誕生した検証委は、その役割を果たせているのだろうか。


過ちを指摘し、志を評価 
川端和治・BPO放送倫理検証委員会委員長
 その都度起きる問題に対応していたら、10年が過ぎてしまった。
 これまでを振り返って、最初に頭に浮かぶのは、2001年に従軍慰安婦問題を取り上げたNHKの「ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか『問われる戦時性暴力』」。NHKは公表した事実経過の中で、現場のトップである放送総局長が放送前、安倍晋三内閣官房副長官(当時)に番組内容を説明したことを認めた。そこで、こうした行為はNHKの自主・自律性への疑念を視聴者に抱かせるためすべきではないとする委員会決定を出した。番組の制作責任者が放送前に政府関係者に内容を説明することをやめさせたという点で意味のある意見だった。
 委員会の設立当初から最も意識してきたことは、我々は表現の自由を守るために存在する機関であるということだ。今まで公表してきた23の委員会決定を読めば分かるように、放送局が自ら定めた放送倫理を基準として判断しているが、制作者を萎縮させないように常に配慮している。
 例えば、09年11月に発表した「最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見」。視聴者からバラエティー番組に対する不満や違和感が相次いで寄せられたため、応える必要があると考えた。視聴者が違和感を持つ例を挙げながらも、放送倫理違反とは決して言わなかった。反発を招く可能性を意識しながら、面白いと確信が持てるものなら自由にやっていいと、ある意味過激な結論を出した。
 それでも放送局からは、番組内容を規制する組織と見られている。しかし、電波法に基づいて放送局に免許を与えたり、奪ったりする強大な権限を持つ総務省とは明らかに立場が異なる。何の処分権限も持たない第三者だからこそ、放送局を萎縮させずに放送倫理の向上を求められる。
 総務省が行政指導を控え、我々の活動を見守ってきたことで、「日本モデル」とでもいうべき、このユニークな仕組みは機能してきた。しかし昨年、総務省は「事実の報道」や「政治的公平」などを求める放送法4条を根拠に、NHKに対して行政指導を行い、この仕組みが破られた。それは09年6月にTBSの情報・報道番組で虚偽報道があったとして同省担当局長名で厳重注意して以来のことだ。社会の同調圧力も高まっている。自由ではないと感じる放送関係者は増えているのかもしれない。
 しかし、それは制度として求められていることではない。放送法4条は放送局が自らを律するための倫理規定であり、行政指導の根拠となる法規範ではない。厳密な政治的公平公正さが求められる選挙報道でも、当たり障りのない放送や、機械的に両論を併記した番組ばかりでは、国民の判断材料として必要な情報が提供されなくなる。放送局が萎縮すれば民主主義は成り立たなくなる。
 委員会は、伝えるべきものを伝える過程での勇み足であれば、過ちの指摘はするにしても、番組制作者の志を適正に評価することにより、意見が萎縮効果を生じさせないよう一層配慮していきたい。【聞き手・須藤唯哉】


社会的存在感高めてきた 
碓井広義・上智大教授
 この10年間の検証委の活動を高く評価したい。その理由は、「もの言う」委員会という積極的な姿勢にある。発足当初は一種の駆け込み寺、もしくは静かなお目付け役という印象が強かった。また「第三者機関といいながら身内を守る組織ではないか」と皮肉る声もあった。しかしその後、検証委は活動そのものによって、社会的な存在感を高めてきた。
 多くの取り組みの中で、特筆すべきものが3件ある。
 一つは2009年11月に公表した「最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見」だ。ジャンルとしての50年以上の歴史を踏まえ、「テレビの中核的な番組スタイルこそ、バラエティーだった」とした上で、視聴者に嫌われる「瞬間」を「内輪話や仲間内のバカ騒ぎ」「生きることの基本を粗末に扱うこと」などと分析してみせ、バラエティーの危機を訴えた。
 二つ目は11年7月の「若きテレビ制作者への手紙」である。情報バラエティー2番組3事案に関する意見書と共に発表された。この「手紙」は、若手制作者に向けて、まさにかんで含めるように、制作プロセスでの基本的な注意点を語っている。例えば、ネットの情報はうのみにせず、正しい情報をえり分けること。また、上司から事実関係の確認を指示された場合、取材対象に直接尋ねただけでよしとしないことなどだ。実に丁寧に制作者を諭している。
 ここにつづられていたのは、いずれも制作現場の常識ばかりだ。つまり、それまでの常識が通用しなくなっている現実があり、当たり前のことが、当たり前にできていないことを意味する。文面には委員会が抱いている危機意識がくっきりと表れていた。
 最後が、15年11月に出された「NHK総合テレビ『クローズアップ現代』“出家詐欺”報道に関する意見」だ。意見書全体から、誤った意識と方法による報道に対する強い憤りと、この問題が今後、放送の自律や表現の自由に悪影響を及ぼすことへの懸念がひしひしと伝わってきた。
 しかも意見の対象は、当事者である記者とNHKだけではない。政権与党に対して、個々の番組に介入すべきではないこと、またメディアの自律を侵害すべきではないことを強調したのだ。政権によるメディアコントロールがこれまで以上に強まることを警戒・けん制する内容に、検証委の見識と矜持(きょうじ)を強く感じた。放送に関わる者全員が読むべき、筋の通った意見書だった。
 検証委が随所で示してきた「あえて言う」姿勢は、放送界が表現や言論の自由への圧力をはね返す大きな原動力となっている。しかし、その一方で、作り手が自らの首を絞めるような、不誠実な番組作りが後を絶たないことも事実だ。検証委の働きかけが、実際の制作現場でどのように生かされているのか、いないのか、再確認していく必要がある。
 また視聴者の番組や放送局に対する目は、より厳しいものになっている。放送の自主・自律を守るため、検証委と視聴者のコミュニケーションの強化も、今後の課題の一つと言えるだろう。(寄稿)


現場の萎縮こそ危険 
金平茂紀・TBSキャスター
 BPO、なかでも検証委という存在は、テレビの報道・制作現場の人間からとても疎まれている。番組のあら探しをするだの、放送の中身を裁く「お白州」の場のようだの、果ては自由な表現を束縛するだの、さんざんな言われ方をされることがある。
 けれども僕は、どんなに疎まれようが、嫌われようが、政権や所管官庁から放送の中身について直接、統制を受けたり、指導されたりするよりは、はるかに健全な仕組みだと考える。なぜか。
 第一に、放送で流通している情報は、公共財としての性格をもっており、結局、社会の成員ひとりひとりに帰属する。政府や官庁のものではない。だから、国や役所が統制・規制することには最大限に抑制的でなければならない。
 世界的にみると、日本の放送を運営するシステムは、先進国の中では異質だ。一般的には、放送の独立性・自律性を担保するため、第三者の独立行政委員会が放送行政を運営している。例えば、イギリスでは情報通信庁(OFCOM)、アメリカでは連邦通信委員会(FCC)といった第三者機関があり、機能している。日本の場合、最近の放送行政は、むしろロシアや中国に近づいているのではないか。それらの国では、政府や所管官庁が直接放送をコントロールする。ロシアや中国にはBPOのような組織もない。放送の自由と独立の概念がそもそもないのだ。
 第二に、過去に政権や官庁の言いなりになった、あるいは一体化したマスメディアが、どれほど悲惨な役割を担ったかを私たちは知っている。
 先ごろ、オバマ米大統領は、原爆投下から71年にして初めて現職大統領として被爆地・広島を訪問した。歴史的訪問と評価された。だが、その広島への原爆投下の被害を、当時、僕らの国の報道機関はどのように報じていたか。
 大本営発表のみの言論統制下、ある新聞は翌日の紙面で、「若干の被害」としか報じなかった。放送は当時、ラジオのみだった。NHKの前身、社団法人日本放送協会の広島中央放送局は8月6日の原爆で壊滅し、翌日、郊外にあった予備の設備で県民向け放送を再開した。その最初の放送で広島県知事は「ひるむな、職場に戻れ」と呼びかけた。放送と国策が一体化すると、このような悲劇が起こる。
 こうした過去への反省から、戦後、放送の自由と独立をまもるために放送法が作られ、その後、BPOが設置された。しかし、放送現場では今、そんな過去へのまなざしが忘れられつつある。8月のテレビはリオデジャネイロ五輪に占拠された。選挙の事前報道は激減した。テレビなんてそんなものだよ、という訳知りの声が聞こえる。
 検証委の存在が危機に陥るとすれば、政治の介入や圧力によるよりも、放送現場の人間が、萎縮・そんたく・自主規制に走ることで、検証委が活動する余地がなくなる場合であろう。逆説的な言い方になるが、放送現場の人間は、政治権力や力の強い者におもねらず、擦り寄らず、隷従せず、監視犬(ウオッチドッグ)の役割を再認識する矜持(きょうじ)と、危機に対する覚醒が求められている。(寄稿)
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自律機能強化が目的
 検証委は弁護士や学者、評論家らで構成。現在は9人。虚偽の疑いがある番組について、取材や制作の過程、番組内容を調査し、結果を公表する。放送局に対し、再発防止策の提出を求めることもある。発足は2007年5月。当時、関西テレビによる番組捏造(ねつぞう)問題をきっかけに、政府が放送法改正を伴う番組内容に対する規制強化に乗り出した。自律機能の強化でこの動きを阻止しようと、放送界がBPOに検証委を設置した。
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 ■人物略歴
かわばた・よしはる
 1945年生まれ。東京大法学部卒。弁護士、朝日新聞社コンプライアンス委員会委員。日弁連副会長、法制審議会委員などを歴任。検証委発足時から委員長を務める。
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 ■人物略歴
うすい・ひろよし
 1955年生まれ。慶応大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。20年にわたり番組制作に携わる。その後、慶応大助教授、東京工科大教授などを経て現職。専門はメディア論。
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 ■人物略歴
かねひら・しげのり
 1953年生まれ。77年TBS入社。社会部記者、ニュース23編集長、報道局長、アメリカ総局長を歴任。2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。土曜午後5時半放送「報道特集」を担当。

(毎日新聞 2016年8月26日)

怖いけど、笑える話

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『鳥肌が』(PHP研究所)は、短歌、エッセイ、評論と横断的に活躍する歌人・穂村 弘さんの最新エッセイ集。

怖いけど、つい苦笑いしてしまう話が並ぶ。

言われてみれば、またよく考えてみれば、「そっくりさん」も、そして「原材料」もかなり不安だ。

著者の歌ではないが、本書に掲載されている、

 ほんとうは 
 あなたは無呼吸症候群 
 おしえないまま 
 隣でねむる

の一首が怖い。

ね、怖いでしょ?(笑)

何を“怖い”と感じるか。

実はそれが、その人の本質部分につながっているから面白い。



【気まぐれ写真館】 台風、関東の東に接近 2016.08.29

武井咲主演の「忠臣蔵」って?

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週刊新潮で、NHKの土曜時代劇「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」についてコメントしました。


武井咲、48人目の忠臣に 
浅野家再興を描く
クライマックスの討ち入りで終わらぬ忠臣蔵――。しかも主演は女優の武井咲(22)というのが、9月24日にスタートするNHKの土曜時代劇「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」(全20回、18時10分~)である。

「第1回歴史時代作家クラブ賞作品賞を受賞した『四十八人目の忠臣』(諸田玲子著)を原作に制作することが発表されたのは今年3月でしたが、8月12日にようやくキャストと制作開始が発表されました」(放送記者)

それによると浅野内匠頭役にタッキー&翼の今井翼(34)、浅野の妻・阿久利を“なっちゃん”田中麗奈(36)、大石内蔵助は石丸幹二(51)、イケメン四十七士の礒貝十郎左衛門に福士誠治(33)、その礒貝と恋仲になる奥女中きよを演じるのが武井である。この“おきよさん”が誰かといえば、後に7代将軍・家継の生母となる月光院で、大奥の実力者となって浅野家再興を計る。それゆえ四十八人目の忠臣というわけだ。

上智大学の碓井広義教授(メディア論)はいう。

「土曜の夕方という時間帯は誰に見せたいのか。子どもに忠臣蔵はないでしょうし、年配者に武井咲の時代劇が通用するのか。それが来年2月まで……おそらく討ち入りシーンは12月でしょうから、その後は四十七士もいなくなり、彼女一人がクローズアップされるのでしょう。難しい役どころであることは間違いない。現代劇でもこれが代表作といえる作品がない彼女が時代劇で“咲く”ことが出来るのか、興味深いですね」

武井咲の再興がかかる。

(週刊新潮 2016年8月25日秋風月増大号)

『24時間テレビ』の裏で、「障害者=感動」に問題提起

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フジテレビのニュース専門チャンネル「ホウドウキョク」。

30日の夜、「あしたのコンパス」に、電話で生出演しました。

テーマは、「『24時間テレビ』の裏で、「障害者=感動」に問題提起」。

MCは津田大介さんと、大島由香里アナウンサーです。




<報じられていること>

●8月28日に日本テレビの24時間テレビの裏で、障害者を感動のテーマとして扱うことを疑問視する生討論番組を、NHK Eテレのバラエティ番組「バリバラ」が放送し、ネットで議論を呼んだ。

●「バリバラ」では、28日19時~19時30分に「『検証!障害者×感動』の方程式」というテーマで生放送。障害者が努力する姿で健常者に感動や勇気を与えようとする番組を「感動ポルノ」と称し、障害者のイメージを固定化してしまっていると問題提起。

●登壇者は「笑いは地球を救う」とい書かれた黄色いTシャツを着たり、最後に「サライ」を口ずさんだりと、同じ時間に生放送されている「24時間テレビ39 愛は地球を救う」にぶつけた形。

●ネットでは、「最高に皮肉が効いている」「『24時間』都合よくデザインされた感動を垂れ流すよりも、よっぽど意義深い『30分間』だったんじゃないでしょうか」 「単なる24時間テレビのパロディでも敵対でもなく、立派なメタ分析であり、メディア批評」と、番組の報道姿勢を評価する声が相次いだ。

●また、「『24時間テレビ』的な障害者像を作ってきたのも我々大衆であるという視点は常に持つ必要がある」など、「感動ポルノ」を定着させたのはメディアだけの責任ではないという見方も。

●障害者をどう取り上げていくべきか、さまざまな意見があがっている。




以下は、論点と話したポイントです・・・・


『24時間テレビ』は「感動ポルノ」か?

障害をもつコメディアン&ジャーナリストだった、
ステラ・ヤングさんの言葉です。

「感動ポルノ」は確かに強烈な表現ですが、
まさに言い得て妙!です。

「感動」したいのは誰か?
「感動」を商品にしているのは誰か?


障害者のイメージは固定化されているか?

多くの人はたぶん無自覚なだけで、
固定化されているのではないでしょうか。


「感動ポルノ」を定着させたのはメディアだけの責任か?

もちろんメディアだけではないでしょう。
でも、メディアの影響は大きいと思います。


障害者をメディアでどう取り上げていくべきか?

バリバラを見習いたい。

つまり
障害を「個性」として捉え、
フツーに向き合っていくことです。









・・・・番組で話した詳しい内容は、あたらめてアップする予定です。

上野の東京文化会館で「吉田都」を観る 2016.08.31

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上野の東京文化会館で、バレエの「吉田都」を観てきました。

吉田都×堀内元「Ballet for the Future 2016」。

バレエの素人にも、目に前にすごい人がいるぞ、ってことがわかりました。




吉田都(よしだ・みやこ) バレエダンサー

1965年、東京都生まれ。
83年、ローザンヌ賞を受賞。英国留学。84年、サドラーズウエルズ(現バーミンガム)ロイヤルバレエ団に入団。88年、同バレエ団プリンシパル(最高位)に昇格。95年、英ロイヤルバレエ団にプリンシパルとして移籍。06年、Kバレエカンパニーに移籍。07年、日本で紫綬褒章、英国で大英帝国勲章を受ける。


設定と内容に無理があった「女たちの特捜最前線」

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日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。

今週は、「女たちの特捜最前線」(テレビ朝日)について書きました。


高島&高畑出演ドラマ
そもそも設定と内容に無理があった
先週、高島礼子主演の「女たちの特捜最前線」(テレビ朝日系)が6話目で終了した。視聴率の低迷による打ち切りといわれるが、高畑淳子の息子が婦女暴行の容疑で逮捕されたことで、二重に悲愴感が漂う。

主演女優の夫の逮捕で始まり、メーンキャストの息子の逮捕で終わるという前代未聞のドラマとなった。

「特捜最前線」といえば、1977年から10年も続いた人気刑事ドラマだ。ボスは二谷英明。部下の西田敏行や藤岡弘(当時)たちが犯人を追って東京の街を駆け回っていた。

その栄光のタイトルを復活させた「女たちの……」だが、出演者の身内のリアル逮捕以前に、設定と内容には無理があった。

京都中央警察署に勤務する3人の女性が活躍するわけだが、高島礼子は総務課、宮崎美子が広報課、そして高畑淳子に至っては食堂のおばちゃんである。誰もまともな捜査などできないのだ。

高島は署内をうろうろし、のぞき見をしたり、盗み聞きをしたりの情報収集。あとは宮崎や高畑と食堂の片隅で捜査会議ならぬ井戸端会議ばかりしている。

最終回では、渡辺いっけい演じる刑事課課長が食堂のテーブルに盗聴器を仕掛け、彼女たちの話を聞いていたことが判明した。そんなのありか! と苦笑いだ。

異色の刑事ドラマを狙うあまり、刑事ドラマとして成立していない珍品と化した本作に、合掌。

(日刊ゲンダイ 2016.08.31)

Eテレ『バリバラ』が問いかけた、障害者とテレビの「危うい関係」

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8月27日の夜から翌28日にかけて、『24時間テレビ39 愛は地球を救う』(日本テレビ系)が放送された。約40年も続いており、テレビ界の夏の風物詩としてすっかり定着した大型チャリティー番組だ。

毎回、番組の軸となっているのは、障害を持つ人たちの様々な“挑戦”である。

今年も、「富士登山をする両足マヒの少年」、「佐渡海峡40kmを遠泳リレーする片腕の少女」、「本田圭佑選手と交流する義足のサッカー少年」、「がんで顔の半分を失った少年」などが登場した。それぞれの取り組みを紹介するVTRを見て、つい涙を流した人もたくさんいたのではないか。

また100kmマラソンの林家たい平も、こん平師匠の待つ日本武道館に、番組終了直前に堂々のゴールイン。その時点で、約2億3400万円の募金も集まり、恒例の「サライ」大合唱と共に“感動のフィナーレ”を迎えていた。

●Eテレ『バリバラ』の挑戦

『24時間テレビ』が続いていた28日の夜、NHK・Eテレはレギュラー番組の『バリバラ』を放送した。障害者をめぐる情報バラエティーであり、タイトルは「バリアフリー・バラエティー」の略だ。

司会はラジオDJの山本シュウさん。義足のスプリンター・大西瞳さん、脳性まひの障害者相談支援専門員・玉木幸則さん、そして多発性硬化症など3つの難病を抱える大橋グレースさんなどが出演している。

2012年から続いているこの番組は、「障害者と性」「障害者虐待」など、これまでタブー視されてきたテーマにも果敢に取り組んできた。何より、笑いとユーモアを散りばめたその作りは、福祉番組の既成概念を完全に打ち破っている。

28日は異例の生放送だった。テーマは「検証!『障害者×感動』の方程式」。しかも出演者たちは、胸に「笑いは地球を救う」の筆文字が躍る黄色いTシャツを着ていた。

この回で秀逸だったのが、障害をもつコメディアン&ジャーナリストだったステラ・ヤングさん(1982-2014)が、生前に行った講演会の模様を紹介したことだ。

彼女は、安易に障害者を扱った映像を健常者が見れば、「自分の人生は最悪だが、下には下がいる。彼らよりはマシだと思うでしょう」と指摘。障害者が「健常者に勇気や感動を与えるための道具」となっている状態を「感動ポルノ」と呼んで、その弊害を訴えていた。

●感動の方程式

毎年、『24時間テレビ』に接するたび、まるで免罪符のように「チャリティー」という言葉ですべてを押し通す姿勢が気になっていた。特に障害者の見せ方や表現に、どこか居心地の悪さや違和感を覚える人も多かったはずだが、ステラさんはその理由を明快に教えてくれたのだ。

『バリバラ』では、さらに一歩踏み込んで、テレビが「障害者の感動ドキュメント」を仕立て上げるプロセスを、ユーモアまじりに解説していた。

まず、障害者の「大変な日常」を見せる。次に「過去の栄光」と、「障害という悲劇」を描く。その上で、「仲間の支え」によって「ポジティブに生きる」現在の姿を見せて、一丁上がりというわけだ。

感動を削(そ)ぐような描写を排除し、物語性を優先する作り手の姿勢まで、一種のパロディとして伝えていた。そして、この仕掛けを、「不幸で可哀相な障害者×頑張る=感動」という方程式で示したのだ。

番組が行ったアンケートでは、「障害者の感動的な番組」について、障害者の90%が「嫌い」と答えている。これって、かなり衝撃的なデータではないか。

テレビの作り手だけでなく、たぶん私たち視聴者のこころの中にも、この”感動の方程式”を受け入れる素地や基盤が存在する。いわば、作り手との”共犯関係”だ。

今回、「バリバラが24時間テレビを批判」といった形で話題になったが、これは批判ではない。テレビというメディアが生み出す、障害や障害者に対する固定化したイメージを、作り手も受け手も、そろそろ自己検証してみませんかという提案である。

ステラさんは、「障害は悪ではないし、私たち障害者は悪に打ち勝ったヒーローではない」と語っていた。それは、日ごろ『バリバラ』が標榜する、“障害は個性だ”とも重なっている。感動のためでなく、ごく普通に生きている障害者と、ごく当たり前に、また日常的に向き合う『バリバラ』のようなテレビ番組が、ぜひ民放にも登場してほしい。

書評した本: 浅丘ルリ子 『私は女優』 ほか

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「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。

浅丘ルリ子 『私は女優』 
日本経済新聞出版社 1,836円

現在、脚本家の倉本聰が“新作”を執筆中だ。それだけでドラマファンはわくわくする。しかもNHK朝ドラのように毎日放送する帯ドラマだ。放送は来春からで、タイトルは『やすらぎの郷(さと)』(テレビ朝日系)。

一世を風靡した芸能人が暮らす老人ホームが舞台だ。かつての大女優や人気俳優が一つ屋根の下で晩年を過ごす。過去と現在のギャップ、病と死の恐怖、残り火のような恋情など、それぞれが葛藤を抱えており、“やすらぎ”どころか、濃厚な人間ドラマが展開されることだろう。

倉本は具体的な役者を想定して、“あて書き”をする作家だ。配役には、その意向が大きく反映される。今回の主人公は、倉本自身を思わせるシナリオライター・菊村。演じるのは石坂浩二(75)である。そして本作のヒロインともいうべき大女優役が浅丘ルリ子(76)なのだ。

よく知られるように、2人は30年間も夫婦だった。結婚のきっかけは倉本が書いた『2丁目3番地』(日本テレビ系、71年)であり、夫婦役が本物になったのだ。結婚から45年、離婚して16年、元夫婦が倉本ドラマで再び共演する。加えて、結婚前に石坂の恋人だった加賀まりこ(72)も出演者の一人。倉本が仕掛ける虚実皮膜のドラマが期待できそうだ。

この自叙伝『私は女優』には、石坂との出会い、倉本に付き添われた石坂の結婚申し込み、楽しかったという結婚生活、さらに離婚の経緯も率直に綴られている。伝わってくるのは、離婚会見の5日後に再婚した石坂に対する慈母のような愛情だ。

一方、熱烈な恋愛といえば、「運命の人」にして「結ばれぬ恋」と著者がいう日活時代の小林旭である。スターがスターだった時代。「一目会ったときから私は恋に落ちていた」とはいえ、その成就は難しかった。しかし、私生活の不幸さえも血肉に変えていくのが役者の業(ごう)。だからこそ浅丘ルリ子はこれまで、そしてこれからも大女優なのである。


木村草太、山本理顕、大澤真幸 
『いま、〈日本〉を考えるということ』
河出書房新社 1,728円

この国が抱える課題と、どうしていくべきかを探っている。社会学者、建築家、憲法学者によるシンポジウムはもちろん、書き下ろしの論考も刺激的だ。家族が国家の基礎単位という構図の破綻。日本人が持つ空虚な自信。そして官僚制的支配。これらを踏まえた未来とは。


渡辺達生 
『渡辺家 素顔のアイドルたち1974-2016』
集英社 2,916円

アイドルグラビアの巨匠、堂々の集大成である。「GORO」から「週刊プレイボーイ」まで、著者の写真に接したことのない男子はいないのではないか。武田久美子の貝殻ビキニも、故・川島なお美のヘアヌードも渡辺製だ。“日本の美女図鑑”と呼ぶべき保存版。


長友啓典 『「翼の王国」のおみやげ』
木楽舎 1,512円

著者は小説の挿絵や広告デザインなどで知られるアートディレクター。全日空の機内誌での連載をまとめたのが本書だ。全国各地で見つけた“お気に入りの味”と、くすりと笑えるエピソードが並ぶ。郡山のゆべし、松山のじゃこ天、沖縄のスーチカー、いずれも絶品。


本橋信宏 『上野アンダーグラウンド』
駒草出版 1,620円

鶯谷、渋谷円山町に続く、“街ノンフィクション”の最新作だ。聖と俗とが隣接する上野。著者が肩入れするのはもっぱら俗のほうだ。出会い喫茶、キャバクラ、アロマエステなど、大人のディズニーランドで出会う女性たちが著者だけに語る自分史に引き込まれる。

(週刊新潮 2016年9月1日号)


一種の”ショー”と化していた、高畑淳子「謝罪会見」

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産経新聞で、高畑淳子さんの「謝罪会見」について、コメントしました。


高畑淳子、みのもんた、三田佳子…
なぜ成人した子供の不祥事で
「親の責任」に関心が集まるのか?
「私の育て方がいけなかった」-。強姦致傷容疑で逮捕された俳優の高畑裕太容疑者(22)の母で女優、淳子さん(61)の謝罪会見は、大半のテレビ局が生中継するなど大きな注目を集めた。家族の起こした事件を受け、以前から謝罪や仕事の自粛が繰り返されてきた日本の芸能界。親(家族)の責任に、なぜ関心が集まるのだろうか。(放送取材班)

「刺し違える覚悟」

 「私ども(家族)のように皆さまの目に触れる機会が多い人間は『いけないことをしたら互いに刺し違えて死ぬ』くらいの覚悟でやらなければ」「(私は)一人の母親で人間ですが、“商品”です。(息子が)成人しているからといって、『自分とは関係がない』とは絶対に言えない」

 淳子さんは8月26日の会見で、芸能界における家族の責任の取り方について、そんな考えを明かした。

 淳子さんは「私がここで仕事を降りては、(番組が差し替えになった息子と)同じことをしてしまう」と、主演舞台に予定通り出演する考えを示した。一方、テレビのトーク番組出演を見合わせたり、CMが放送中止になったりと、事件の波紋は広がってもいる。

親も謝る風潮

 今回に限らず、家族の不祥事に対する著名人の対応は、かねてから度々、人々の注目の的になってきた。

 女優の三田佳子さんの次男は平成10年以来、3度の覚醒剤事件を起こし、三田さんが繰り返し、会見で謝罪。三田さんはCMを相次いで降板し、一時は活動を自粛した。

 25年にはタレント、みのもんたさんの次男が窃盗未遂容疑で逮捕(後に起訴猶予処分)され、みのさんは司会を務めていた情報番組を降板。会見では「辞めなければ(バッシングが)収まらない風潮を感じた」と語り、成人した子供に対する親の責任をめぐって議論を呼んだ。

 中央大の山田昌弘教授(家族社会学)は「日本では伝統的に、人が罪を犯した場合、家族に責任があるという考えが根強い。欧米では、子供が小さい場合は別だが、行動の責任は本人にあると考えられている。親が謝罪することはまずありえない」と指摘。その上で「人の成長には友人や学校、職場など多くの要素が関わっている。何かあったら親が謝るという現在の風潮は、親の過保護、過干渉につながり、社会にとって必ずしも良くないことだと思う」と話す。

一部質問に苦言も

 一方、上智大の碓井広義教授(メディア論)は今回の事件をめぐり、淳子さんと裕太容疑者が親子で度々、バラエティー番組で共演し、暮らし向きを公開していたことに着目。「裕太容疑者は『親の七光』をフル活用して世に出てきた印象が強い。そうしたイメージが事件への注目度の高さにつながったのでは」とみる。

 一般人と異なり、芸能人の場合、私生活が良くも悪くも「見せ物」になってしまうケースは少なくない。淳子さんの会見では、裕太容疑者が事件前、テレビ番組で語っていた女性観や異性との交際に関する質疑も交わされた。

 碓井教授は「淳子さんに裕太容疑者の『性癖』を尋ねるなど、報道陣の質問の一部には、その意図に首をかしげたくなるものもあった」と苦言を呈し、「捜査中とはいえ、傷つけられた女性のいる悪質な事件で、ニュースの扱いには慎重であるべきだ。メディアは謝罪の場を一種のショーのようにとらえ過ぎていないか」と、警鐘を鳴らしている。

(産経新聞 2016.08.30)

「評伝」の面白さ~瀬戸内寂聴さんをめぐって

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本のサイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。
https://shimirubon.jp/columns/1674123


瀬戸内寂聴さんをめぐる「評伝」の面白さ
評伝や伝記は面白い。作家という種族を描いたものは特にそうだ。

瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』(日本経済新聞出版社)を読んでいると、何度も「うーん」と唸ってしまう。このシリーズでは瀬戸内さんが直接出会った人々を回想しているのだが、1冊目となった本書には、谷崎潤一郎や川端康成はもちろん、驚くべし、”生きた近代文学史”といえるような、島崎藤村や正宗白鳥までリアルタイムの人として登場するのだ。

そして、もう一つ、唸ってしまうのは、文士と呼ばれる人たちのアナーキーというか大胆というか、その“暴走的恋愛”の凄まじさである。

有名なところでは、谷崎潤一郎。妻である千代の妹のせい子を引き取って同居させ不倫の関係になって千代を冷たく扱う。谷崎の親友だった佐藤春夫は千代に同情し、やがて恋愛関係となり、結局二人は夫婦になってしまう。いわゆる「妻譲渡事件」だ。

女流作家も、たとえば東郷青児や北原武夫と結婚してきた宇野千代など天晴れというしかない。

瀬戸内さんが一枚の紙に文士たちの名前を書いて、宇野千代に直接聞いてみた。「先生、この方とは・・」という問いに、千代先生は速攻で「寝た」とのお答え。以下、ネタ、ネナイの連発。そしてネタという答えが圧倒的に多かったというのだ。

笑えるのは、梶井基次郎について尋ねると「寝ない!」と言い、「わたし面食いなの」と続く。宇野千代が85歳になってから書いた、『生きて行く私』を再読したくなった。

この本の中には荒畑寒村も登場するが、そこで語られる「名前」がすごい。というか、豪華だ。

寒村は「菅野須賀子」と結婚するが、寒村が「堺利彦」や「大杉栄」らと共に投獄されている間に、須賀子は「幸徳秋水」とデキてしまう。後に大杉栄は関東大震災の際に、「伊藤野枝」と共に虐殺されるが、その野枝は「辻潤」の妻でありながら、「神近市子」から大杉を奪ったのだ。怒った神近は葉山の日陰茶屋で大杉を刺してしまう。

このあたりは瀬戸内さんの『美は乱調にあり』を思い出す。いわば大正・昭和の歴史的人物たちが織り成す恋愛模様なのだ。

それにしても、当時、彼ら、彼女らは、どうやって相手と連絡を取り合っていたんだろう。携帯やメールどころか、普通の電話だって簡単に使える時代じゃない。いや、電話や手紙も「人妻」や「人夫(?)」に対しては、まずいだろう。うーん、謎です。

横尾忠則さんが各章に描いた、文士たちの肖像画も実にゼイタクだ。

”逸脱のひと”瀬戸内寂聴

瀬戸内寂聴さんをめぐる評伝を、もう一冊。

いい本を読み終わったときの、心地よい余韻というか、虚脱感にも似た疲労感は、本の内容そのものが与えてくれる喜びとはまた別の、うれしいオマケのような気がする。

たとえば、齋藤愼爾『寂聴伝~良夜玲瓏』(白水社)だ。

この本が出た時、86歳だった(現在94歳)瀬戸内寂聴さんの、それまでの軌跡をたどった本格評伝である。400ページを超す長編であり、小説のようにストーリーに「おんぶにだっこ」で身をゆだねて、というものではないので、じっくりと時間をかけて読むのが正解。

ただ、読み終わっても、まとまった感想にならず、断片的な言葉しか浮かばない。それは、やはり瀬戸内寂聴という作家の実人生に圧倒されるからだろう。

自分は、瀬戸内作品の熱心な読者とはいえない。だが、それでも、大杉栄と共に関東大震災直後に殺された伊藤野枝を描いた『美は乱調にあり』などの伝記小説や、『夏の終り』など自伝的作品群の双方を、それなりに読んできた。

しかし、この評伝によって、あらためて、作家・瀬戸内寂聴の「凄み(魅力と言い換えてもいい)」を知ったような気がするのだ。

たとえば、「夫と幼い娘を捨てて家を出て、文学と恋愛へと走った」というような、一般的に流布されている瀬戸内さんの過去。その内実を知ることもなく、単に卑俗的な、スキャンダラスな図式の中に、勝手に落とし込んで分かったような気でいた部分が、この本を読むことで、いくつも払拭された。

冒頭で、齋藤さんは書く。「寂聴をひとことでいえば<逸脱する作家>ということになろう」と。

かつて政治学科の学生だった私は、「日本政治史」の授業の中で、幸徳秋水や大杉栄などを知った。さらに、そこから菅野須賀子や伊藤野枝を知った。彼らの著作や、彼らについて書かれた文献を読んでいったが、実は最も熱心に読んだのが瀬戸内さんの小説『遠い声』であり、『美は乱調にあり』だったのだ。特に作品のタイトルにもなった、大杉栄の言葉が強く印象に残った。

「美はただ乱調にある。諧調は偽りである」

そこには、近い過去に生きた、なまなましい男や女がいた。彼らは、皆、どこか「過剰の人」だった。いや、「逸脱の人々」だった。そこに魅力があった。

この『寂聴伝』を通読して打たれるのは、過去も、そして現在でさえも、瀬戸内さん自身が「逸脱の人」であリ続けていること。本書が書かれた当時、すでに出家して35年を経ていたが、それでもなお、「僧にあらず俗にあらず」を体現しているのだ。

それから、本文中に登場するこの言葉も忘れられない。

「世間を裁判官としない」

伊藤野枝の夫だった辻潤をめぐる記述に出てくるが、瀬戸内さんをも見事に表現していると思う。

優れた評伝作家でもある瀬戸内さんの「評伝」を書くことが、どれほど大変なことか。それは想像するしかないが、齋藤さんは見事にそれを達成されたのだ。共感と尊敬の念に流されず、対象を直視する姿勢にも感心した。

うーん、やはり評伝は面白い。

(シミルボン 2016.09.01)

24時間ソーシャル状態、しんどくない?

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ビジネスジャーナルに、以下のコラムを寄稿しました。


フォロワー数の増減は
実生活になんの影響もない…
24時間ソーシャル状態、しんどくない?
テレビ番組もそうだが、CMは時代を映す鏡だ。その時どきの世相、流行、社会現象、そして人間模様までを、どこかに反映させている。この夏、流されているCMのなかから、注目作を2本選んでみた。共通するのは「喚起するチカラ」だ。

●JR東日本『行くぜ、東北。
 「女川(おながわ)の今」篇』

CMの効用のひとつに、「思い出す」がある。JR東日本『行くぜ、東北。』シリーズはそんな1本だ。2011年3月から5年と5カ月。被災地に対する「どうしているだろう」の気持ちを、さりげなく刺激してくれる。

前回までの木村文乃さんに代わる、新たな旅人は松岡茉優さん。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の地元アイドル役でブレイクし、昨年の『She』(フジテレビ系)、今年の『水族館ガール』(NHK)と連ドラ主演作が続いている。どんな役柄も自然に自分のものにしてしまう演技力。またバラエティーでも崩しすぎない親しみやすさが持ち味だ。

今回、松岡さんが歩くのは宮城県女川町。地震と津波で沿岸部の被害は壊滅的といわれたが、昨年末にはテナント型商店街「シーパルピア女川」もオープンした。ナレーションの通り、「東北は前へ進んでいる」のだ。

間もなくやってくる今年の秋、旅に出るなら、ぜひ東北へ。


●武田薬品工業『アリナミン7シリーズ
 「乙です、ソーシャルちゃん!」篇』

家でもスマホ、会社でもスマホ。教室でも、そして電車の中でもスマホ。そんな風景が当たり前になっている。

多分、「普通の携帯電話(ガラケーって言葉、あまり好きじゃないので)」を愛用している者にはうかがい知れぬ、何かとんでもない秘密の“楽しみ”が手のひらの中にあるのだろう。でも、“24時間ソーシャル状態”って、しんどくないのかな?

そんなことを思っていたら、武田薬品『アリナミン7』のWEB限定CMで、“さや姉(ねえ)”ことNMB48の山本彩さんが、画面から語りかけてきた。

「意識高い投稿してるけど、モテたいだけでしょ?」
「キミの『いいね!』のハードル、いくらなんでも低すぎません?」
「タグ付けは慎重にね。それで人生が終わる人もいるんだよ」
「フォロワー数が増えても減っても、実生活にはなんの影響もないよ。楽になって!」

いやあ、よくぞ言ってくれました。お疲れ気味になっている世の“ソーシャルちゃん”たちへの救いの言葉であり、同時に一種の警鐘でもある。

もちろん、「つながること」自体は悪くはない。でも、「つながりかた」や「つながりすぎること」の危うさも、しっかり視野に入れるべき時代だと思う。

できれば、さや姉のメッセージが多くの人に届きますように。

(ビジネスジャーナル 2016.09.03)


「24時間テレビ」と「バリバラ」について

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北海道新聞に連載している「碓井広義の放送時評」。

今回は、「24時間テレビ」と「バリバラ」について書きました。


Eテレ「バリバラ」の挑戦 
「障害者で感動」検証促す
8月27日の夜から28日にかけて、「24時間テレビ39 愛は地球を救う」(日本テレビ―STV)が放送された。

番組の軸となるのは、障害をもつ人たちの様々な“挑戦”だ。今回も「富士山に登る両足マヒの少年」、「佐渡海峡40㌔を遠泳リレーする片腕の少女」などが登場。その取り組みを紹介するVTRを見て、思わず涙した人も多かっただろう。番組終了時点で約2億3400万円の寄付も集まり、恒例の「サライ」大合唱と共に“感動のフィナーレ”を迎えていた。

「24時間テレビ」が続く28日の夜、Eテレはレギュラー番組「バリバラ」を放送した。タイトルは「バリアフリー・バラエティー」の略。4年前から、「障害者と性」「障害者虐待」など、これまでタブー視されてきたテーマにも果敢に取り組んできた。笑いとユーモアを散りばめた作りは福祉番組の既成概念を打ち破っている。

生放送だった28日のテーマは「検証!『障害者×感動』の方程式」。しかも出演者たちは、胸に「笑いは地球を救う」の文字が躍る黄色いTシャツを着ていた。

中でも秀逸だったのが、障害をもつコメディアン&ジャーナリストだった、ステラ・ヤングさん(1982-2014)の講演を紹介したことだ。彼女は、安易に障害者を扱った番組を健常者が見れば、「自分の人生は最悪だが、彼らよりはマシだと思うでしょう」と指摘。障害者が「健常者に勇気や感動を与えるための道具」となっている状態を「感動ポルノ」と呼んで、その弊害を訴えていた。

毎年、「24時間テレビ」に接するたび、「チャリティー」という言葉ですべてを押し通す姿勢が気になっていた。特に障害者の見せ方や表現に、どこか居心地の悪さや違和感を覚える人も多かったはずだが、ステラさんはその理由を教えてくれた。

テレビの作り手だけでなく、実は私たち視聴者の心の中にも、この方程式を受け入れる地盤がある。ネットなどでは、「バリバラが24時間テレビを批判」といった形で話題になったが、これは批判ではない。メディアから与えられた障害者のイメージを、そろそろ自己検証してみませんかという提案である。

ステラさんは、「障害は悪ではないし、障害者は悪に打ち勝ったヒーローではない」と言っていた。それは「バリバラ」が標榜する“障害は個性だ”とも重なっている。

感動のためでなく、ごく普通に生きている障害者と日常的に向き合う、「バリバラ」のような番組が民放にも登場してほしい。

(北海道新聞 2016年09月05日)

遥か南の島 2016

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