書評サイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。
https://shimirubon.jp/columns/1676122
黒澤明監督と黒澤映画を“読む”楽しみ
「アップの多い映画だなあ」と何度も思った。DVDで、黒澤明監督の『わが青春に悔いなし』を見ていた時のことだ。
この映画では、お嬢さんだった原節子が生き方に目覚め、自分の意思で、あえて困難と思われる道を歩んでいく。その変化していく姿を見せる意味もあるのだろう。節目節目で、彼女の顔のアップが現れる。後期の黒澤作品では、アップのカットの印象が割と薄いので、よけい気になったのかもしれない。
樋口尚文『黒澤明の映画術』(筑摩書房)は、「技術が生み出す映画的なエモーションのみに切り口を絞る」というユニークな黒澤明論だ。その中に「顔と眼」の章があり、この作品での”顔のドラマ”にも言及していて、「顔そのものが持つ名状しがたい衝迫そのものがごろんと投げ出されている」とある。うーん、確かに。
『わが青春に悔いなし』で、原節子とともに、その顔が強い印象を残すのが、獄死した恋人(藤田進)の母である杉村春子だ。息子を思う気持ちは人一倍で、その息子が原因で受ける村八分の圧迫にも、じっと耐えていく。田んぼで汗を流す杉村の姿は、かつての「日本の母」そのものかもしれない。
中丸美繪『杉村春子 女優として女として』(文藝春秋)で確認すると、杉村はこの年、木下恵介監督の『大曾根家の朝(あした)』にも出ており、主人公である母・房子を演じている。ちなみに、1946(昭和21)年の『キネマ旬報』のベスト10では、『わが青春に悔いなし』が2位。1位が『大曾根家の朝』だった。
中丸さんによれば、かつて軍国の母を演じた杉村が、いわば「戦後民主主義映画の代表的作品」で評価され、これ以降、数多くの「日本の良心ともいえる、毅然とした理想の母親役」を演じていくことになるのだ。
一方、黒澤映画に欠かせない「男優」といえば、何といっても三船敏郎だろう。生涯出演本数は150本。中でも黒澤明監督とのコンビで生み出された名作の数々は、今も色あせることはない。
松田美智子『サムライ~評伝 三船敏郎』(文藝春秋)は、「世界のミフネ」と呼ばれた男の77年の軌跡を追った、初の本格的評伝である。
この本には、三船を身近に知る人たちの貴重な証言が多数収められている。殺陣師の宇仁寛三もその一人だ。黒澤監督の『用心棒』における壮絶な「十人斬り」は、三船の太刀さばきがあまりに速く、カメラで一気に追うことが出来なかった。宇仁は黒澤に相談して、カットを割ってもらったと言う。
三船の役作りは完璧で、撮影現場にも一番乗りする。スタッフへの気配りも忘れない愛すべきスターは、ついに世界進出も果たす。順風満帆だった三船に苦難が押し寄せるのは、自らの会社を興し、映画製作に乗り出してからだ。また女性問題や離婚騒動も栄光の歩みに影を落とした。本書はそんな三船の全体像に迫っていく。
上記以外にも、黒澤監督&黒澤映画に関する書籍は、関連本も含めたら、それこそ山のように出版されている。
そんな中で、読んでいてゾクゾクしてくるのが、橋本忍『複眼の映像~私と黒澤明』(文藝春秋)だ。橋本さんは、『羅生門』に始まり『生きる』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』などの共同脚本家として知られている。また、『砂の器』(野村芳太郎監督)などの脚本家・製作者でもある。
この本の最大の面白さは、「シナリオ作成」という、黒澤映画が生まれる”現場”を垣間見られることだ。黒澤の「テーマは理屈でなく、形の分かるもの、ハッキリ形の見えるもの」といったナマの言葉を知ることができるのも嬉しい。
黒澤監督作品はほとんど見ているが、もちろんリアルタイムで見たのは途中からだ。古い作品は、学生時代、都内にいくつもあった名画座での「黒澤明特集」で少しずつ”補填”していった。当時、銀座並木座でも何本かを見ている。
その並木座が配布していた無料のプログラム(懐かしい)のうち、1953年から56年までのものを収録した、復刻版銀座並木座ウィークリー編集委員会:編『銀座並木座ウイークリー』(三交社)という一冊がある。この本を開いてみると、54年に「黒澤明週間」、55年に「黒澤明選集」という特集をやっている。
たとえば「選集」では、2週間で「野良犬」「羅生門」「生きる」の3本を見ることができた。しかもスクリーンで! そう、やはり黒澤映画はスクリーンで見たいものだ。
そんな黒澤作品を映画館で、まさにリアルタイムで観てきた一人が、作家の小林信彦さんである。
小林信彦『黒澤明という時代』(文藝春秋)の中に、私の好きな『天国と地獄』について書かれた章がある。この第15章「文句なしに面白い『天国と地獄』」の途中で、小林さんが熊井啓監督の『世界の映画作家3 黒沢明』(キネマ旬報)での発言を引用している。
公開当時、『天国と地獄』での警察の扱いがおかしいと言われたようで、しかし熊井監督は「これはまったく見事なリアリズムだと思う」と述べているのだ。
続けて、「黒澤が官僚的な国家権力に癒着していくあらわれたみたいなことを、若手の批評家がいったけれども、ぼくは、よくぞ描いたと思う。警察とはそういうものだ。警察が自分で自分の交番を爆破することがあるんだから」。
そんな熊井監督の言葉をうけて、小林さんはこう書く。「これまた極論で、黒澤明には、そうした<国家権力>観はなかったと思う」。
いやあ、面白い。熊井監督は熊井監督らしく、小林さんもまた小林さんらしい(笑)。そして、映画『天国と地獄』を、また見直してみたくなる。
(シミルボン 2016.12.01)